第11話
今、那由他の寝かされている部屋にいるのは、かなめと南雲。そして村上だけ。
村上は痛む体を押してまで那由他を安心させようと、その手を握りしめている。
「つまり」
かなめが、那由他の話をまとめた。
「君は、何も覚えていないと?」
「はい」
かなめは申し訳なさそうに肩を落とした。
「あの……私、本当に昨日、朝目覚めてからのことを何一つ」
那由他は村上の手を握り返した。
「ただ、頭の中に靄がかかったみたいで」
「薬の副作用による記憶の混乱だな。丁度、看護婦が別室に来ている。具合が悪ければ診断してもらえ」
「申し訳ありません……えっと」
「福井だ」
「福井さん。もし、思い出すことがあればお知らせします」
「福井さん」
村上がすがるような目でかなめに言った。
「もういいでしょう?那由他がつらそうです」
「……わかった。今はゆっくりやすんでくれ」
かなめはそう言い残して部屋を出た。
「少佐」
続いて部屋を出た南雲が小声でかなめに問いかける。
「那由他ちゃんの言うことは」
「真実だろう」
かなめは言った。
「目を見ていたが、うそはついていない」
「手がかりが途絶えましたね」
「何のだ?」
「その、敵の、です」
「敵とは?」
「だから」
南雲は言葉を詰まらせた。
かなめが何を聞こうとしているか、それがわからない。
「大尉は、那由他は命を狙う者に誘拐されたというのか?」
「違うのですか?」
「……私はそうは思わない」
かなめは思案しながら言った。
「少佐?」
「大尉。貴官がそういうなら、その根拠は何だ?」
「そ、それは……」
「命を狙ってきた相手だ。もし、同一人物の犯行なら、今、布団に寝ているのは死体のはず。それが生きている。何故だ?敵は何を狙っている?何故、那由他を殺さなかった?」
「では、那由他は誘拐されたのではない、と?」
「可能性は否定しないが、自作自演にしてはリスクが高いし、その意味はもっとわからない」
「1年前の殺人をカモフラージュするつもりでは」
「我々は捜査しているわけではない。我々を騙して何の意味がある?」
「……では」
南雲は考えをまとめた。
「那由他ちゃんは何らかの理由でここから出て、そしてその途中で何者かに誘拐された。ただし、それは、いままで那由他ちゃん達の命を狙っていた者とは別人である」
「模範解答、というべきだな。元・巡査長」
かなめがにやりと笑い、南雲がまじめくさった顔で敬礼した。
「恐れ入ります。元・警部補殿」
ピーピーピー
かなめの携帯が鳴ったのは、その時だ。
「私だ―――秋篠か?……何?」
かなめが携帯へ怒鳴った。
「場所は!?―――公園!?わかった。すぐに行く―――羽山!」
かなめの怒鳴り声に羽山がすっ飛んでくる。
「ど、どうしたんっすか?」
羽山は何故か前屈みでベルトを閉めようともがいていた。
「私と南雲は、これから運河公園へ向かう。しばらくはお前が村上達の護衛に当たれ……ん?」
「い、いってらっしゃい」
羽山は何故か焦っている。
それが、かなめにわからないはずがない。
まだ前屈みのままの羽山を、怪訝そうな顔で見たかなめが怒鳴った。
「何をしている!しゃきっと立て!」
「あ、いや、あの……」
「?……き、きっ……貴様ぁ!」
羽山の隠そうとしている下半身に視線を向け、その姿勢の意味がわかったかなめは、赤い顔で怒鳴った。
「立てるのは背筋だ!誰が粗末なモノを立てろといった!」
「い、いえその……」
「白川殿は桜井の看病に呼んだんだぞ!?貴様、顔が見えないと思ったら、ドコでナニしていた!」
「も、文字通りの……ナニです」
羽山が赤面しながら消え入りそうな声で、ようやくそれだけを答える。
「ったく、このサルめが!羽山!」
「はいっ!」
「さっさとそのシラス干しひっこめて、腕立て千回、私が戻るまでにやっておけ!」
「せ、千回っスか!?」
「やらねば―――この場で斬る!」
いーち、にーぃ、さぁーん、
かなめが玄関を閉める時、廊下で羽山がそんな声をあげていた。
かなめ達が向かった先は、運河公園。
親子連れなどでにぎわう一角から少し外れた所で、博雅が待っていた。
「よくわかったな」
「昨日、ルシフェルと相談して、公園に手がかりがないか調べていたんです」
「成る程?」
かなめは博雅横にいたルシフェルに意味ありげな視線を送った。
「せ、先生……」
「それで?」
「ここです」
博雅は、足下に敷き詰められた草をどかした。
「この草は?」
「通行人に気づかれないために自分が」
「まぁ、いいだろう」
博雅は無言で草の下の砂を、その草で払った。
「こ、これは」南雲が目をむき、
「成る程?」かなめが興味津々という顔で地面を見た。
「誰かが、これを隠したのは明白です」
博雅が答えた。
その足下。
そこには、地面にこびりついて真っ黒に乾いた液体があった。
「この量から見て、失血死は免れないな」
かなめがそう言った通り、血痕だ。
「では、誰かが?」
「これは話が厄介になって来たな」
かなめはそう呟いた。
「それと……」
博雅は、ベンチの下を示した。
そこには、片方だけのサンダルが転がっていた。
木製の、どこにでもありそうなサンダルだが。
「サンダルのかかとに、水瀬屋って書かれているでしょう?」
ルシフェルがサンダルを指さした。
「水瀬屋?」
確かに、囲み文字で「水瀬屋」と屋号らしきものが書かれている。
「ええ。水瀬が時代劇見て―――ほら、あるでしょう?宿屋の下駄に何とか屋って屋号の焼き鏝するの。あれをマネして」
「あいつはどこまで暇人なんだ」
「あの、それで、確か昨日って、那由他さんって」
「ああ……サンダル履きで外に出た」
かなめはサンダルと血痕を交互に厳しい顔で睨みながら言った。
「ここで、何かあったな」
ザァッ
かなめ達はメガクルーザーから飛び降りて水瀬の家に通じる石段を走り始めた。
「本格的に降り出す前に血痕を見つけられてよかったですね」
「ああ。桜井も家に送り届けたことだし」
一人だけ、鏡魔法の空間防御で雨を避けるルシフェルがジャケットを頭から被るかなめに言う。
「この降りだ。遅れていたら終わりだった―――ん?」
先頭にいたかなめが不意に足を止めた。
「先生?」
「おい。なんだ?アレ」
かなめがあきれ顔で指さした先。
そこは石段の上。
古びた石段を登っていくのは、
「あれ……マグロか?」
「ブリ……でしょうか?」
よくわからないが、とにかく、石段をゆっくり登っていくのは、間違いなく巨大な魚だ。
「と、とにかく、追いましょう」
博雅の言葉に、皆は石段を登り始めた。
どうやら魚を誰かが担いでいる。
そう気づいたのはいい。
だが、誰が?
魚はそのまま、勝手口の中へと消えていった。
「先生。自分が勝手口から入ります」
近くに転がっていた木の棒を拾った秋篠に言われ、
「よし。南雲先生は玄関から」
「というか……変じゃないですか?」
「何が?」
「羽山が動きません」
「あの種馬なら今頃布団の中だろうよ……行け」
「了解」
水を使う音。
何かをまな板の上で切る音。
台所ではそんな音が聞こえて来る。
かなめとルシフェルが霊刃を抜き、その背後で棒を握りしめる秋篠に指でカウントを示す。
3……
2……
1
バンッ!
ドアが乱雑に開かれ、三人が飛び込んだ。
その物音にあわせるように、南雲も台所の入り口を塞いだ。
「動くな……って?」
台所にいたのが誰か、皆が即座に理解できた。
「ほう?」
はっきりいって水瀬家の台所は、調理場といった方が正しいほど、機材が充実している。
コンロ一つとってもすべてが業務用。
冷蔵庫に調理台、大型オーブンなど、本格的な業務用厨房機器が壁一面に並ぶ様は、かなり圧巻だ。
その光景を前にした南雲の興味は、即座にその子供から完全に離れてしまった。
その一角を、特注だろう日本酒専用保管ケースが占め、「禁酒!飲む時は土下座して許可を取ること!」とルシフェルの手で書かれた張り紙が貼り付けられている。
酒の銘柄もかなりのものが揃っている。
それを確認した南雲は、張り紙に小さく書かれた「けち!」という水瀬の書き込みや、ガラスに貼り付けられたセンサー反応型地雷はあえて無視した。
「な、南雲先生?」
博雅があきれるのを無視する形で、南雲は台所の隅々まで見物に回り、思った。
(こりゃ、しばらくはここにいた方がいい料理が出来るな)
ラックに納められた包丁に手を伸ばしながら、南雲は、自分がここに来た理由を忘れていたが、とにかくかなめと博雅だけは子供から目を離さなかった。
台所の調理台にのせられた巨大な魚を前に、巨大な包丁を持つのは、やたらと背の低い子供。
「み、水瀬?」
その声に子供は振り向きもしない。
ただ、雰囲気から察するに、かなり怒っているのはわかる。
子供は、魚を解体している。
「おーい。水瀬ってば」
南雲の声にも答えることはない。
子供は無言で魚の解体を続ける。
「水瀬!」
かなめが怒鳴り、ようやく子供は振り返った。
目が座っていた。
「……おかえりなさい」
子供、つまり水瀬は不機嫌さを隠さない声でそう言うと、解体作業に戻った。
「お前、そんなマグロ切り、よく持ってるなぁ」
「……」
「どうしたんだ?」
「……誰も探しにも来てくれなかった」
水瀬はぶすっ。とした声でそれだけ言った。
「救難シグナル出し続けたのに、誰も捜索に来てくれなかった」
かなめ達は、顔を見合わせた。
救難シグナルとは、近衛兵が緊急事態に陥った時に発信する救助を求める信号のこと。
「ずっと助けに来てくれるって信じてたのに」
「お前……そのシグナルって、もしかしてGS3を使っていたんじゃないのか?」
南雲が思い当たったことことを問いかけた。
「知らない……これ」
ぐすっ。
鼻をすすった水瀬が南雲に渡したのは、
「GS7……最新型じゃないか」
救難シグナルは発信されたままになっている。
「こりゃ、不良品だな」
「不良品?」水瀬がきょとん。とした顔で南雲を見た。
「ああ」
掌の中でシグナル発信装置を転がす南雲が言った。
「多分、発信装置が壊れてるんだ。これじゃどうしようもない」
「そんな不良品のせいだけじゃないもん!っていうか、みんなだって、探しににも来てくれなかったじゃない!」
わーんっ!
やけくそ気味に解体を続ける水瀬がわめいた。
南雲の見立てだと、最高級本マグロ。推定価格一千万円級が水瀬の手によって芸術的なまでに捌かれていく。
どうやら、やけくそになっても食材を傷つけるようなことだけはしないらしい。
大トロやナカオチなど、マグロの最も美味い部位が次々と並び、南雲が唾を飲み込む。
「仲間だと思ってくれているって信じていたのに!」
水瀬はそれらをタッパに詰め込み、「水瀬専用!」と書いた張り紙をした挙げ句、冷蔵庫に放り込んで冷蔵庫に鍵をかけてしまう。
南雲は無意識に、鍵の場所を頭にたたき込んだ。
「もう知らないもんっ!ルシフェだって、先生達だって!僕を殺そうとしても、助けようとはしてくれないんだもんっ!僕なんてどうでもいいんでしょう!」
「い、いや……そういうことじゃ」
南雲とかなめはばつが悪いという顔でお互いを見合った。
「教育委員会に抗議するもんっ!先生が生徒の暴行を指導したって!」
「い、いや……それはな?」
確かにその通りだ。
人を簀巻きにして運河に投げ込むなんて、たとえ相手が水瀬であっても、立派な犯罪行為なのだ。
「僕だって一応の扱いは人間だもん!それなのに、誰一人、僕の人権認めてくれないんてあんまりだよぉ!」
「まぁ……落ち着け」
「ぐすっ。運河で水死体に出くわすし、出た途端にサメに追いかけられて、逃げに逃げて黒潮に捕まって、大間まで流されて、マグロに頭からかじられたんだよ!?ずっと、誰か助けに来てくれるって信じてたのに!」
「水死体?」
かなめはその言葉にひっかかった。
「水瀬、水死体とは?」
「運河の途中で浮いていた。取水口の所で見たモン。真っ二つにされた男の死体がね?水中で一つになって泳いできたんだよ?」
「どんなホラー映画だ。それ」
「食べられるとイヤだから逃げたら、いつの間にかいなくなったけど」
「水瀬」
かなめが言った。
「もっと詳しく話せ」
「やだもん」
水瀬はそっぽを向いた。
「……ふぅ。やむを得ない」
「どうするんですか?」
小声で訊ねる南雲にかなめは自信ありげに答えた。
「イーリス殿にうかがった方法がある」
かなめはポケットから500円玉を取り出して水瀬に見せた。
「水瀬」
水瀬はそっぽをむいたままだ。
「お前、イーリス殿の珍しいコイン、欲しがっていたな」
「……」
「これだろう?」
水瀬の前につきつけられた、何の変哲もない500円玉。
「裏が表で、表が裏の500円玉。お前、欲しがっていたな?」
「……」
水瀬は視線だけ500円玉に向けて、黙って頷いた。
「イーリス殿は10万円といっておられたそうだが……私はそこまでガメ……いや、高い値段を要求しない」
「……」
水瀬の目が、興味津々であることを告げている。
「1万円でどうだ?」
「ほ、本当?」
「ああ。ただし、機嫌直したらな」
「うん!」
水瀬は台所の隅っこの引き出しから財布を取り出し、中に入っていた1万円札をかなめに手渡した。
「ほ、本当にいいの!?」
「いいとも」
かなめがにこりと笑った。
しまってくる。とうきうき顔の水瀬を送り出したかなめに、南雲が耳打ちした。
「少佐。あれ、本当にそんな珍しいコインなんですか?」
「単なる500円玉だ」
「では!」
「あれはイーリス殿が編み出したダマシだ。水瀬には効果てき面だと聞いていたが……」
かなめは少し考えてから言った。
「ルシフェル」
「はい?」
「あまり、水瀬に金を持たせるなよ?」
「……了解です」
「つまり」
解体したマグロを冷凍庫に移す水瀬にかなめは言った。
「間違いなく、60歳代のアジア系男性、長髪に黒髪で、ヒゲ。頬に傷があったんだな?」
「うん」
水瀬はたいして興味がないという顔で頷いた。
「お前、真っ二つにされた人間が一つになったら、もっと驚けよ」
博雅があきれ顔で言ったが、水瀬はきょとんとして、
「見たときは驚いたよ?」
「いや、今もさ」
「だってね?」水瀬は言った。
「人間っていっても、元・人間だもん」
「まて。どういうことだ?」
かなめが水瀬に訊ねた。
「元・人間とは……つまり、人ではないと?」
「何度殺されても、高層マンションから飛び降りても死なない。そういう存在なんでしょう?」
「お前!」
南雲が驚いた顔で水瀬を見た。
「まさかお前、そいつが」
「マンションの前の地面に残っていた血痕から発せられる残存波と、水死体の波長が同じだってことはすぐわかったよ」
「そ、それで?」
かなめは興奮気味に問いかけた。
「それで、お前は何したんだ?」
「だから、逃げた」
「な、何故?」
「両手縛られてたんだよ?」
「魔法でなんとかすればよかったじゃないか!」
「……」
水瀬は、しばらく考えた後で、ぽんっ。と手を打った。
台所でかなめが暴れる音が響き渡ったのは、それからすぐのことだった。
「と、とにかくだ!」
かなめは水瀬に怒鳴った。
もう、声がかすれている。
「お前はツメが甘すぎる」
水瀬は無言で自分の指の爪を見つめると、ぺろりと舐めてみた。
「……嘘つき」
「バカか貴様っ!」
ゲホゲホゲホッ
勢い込んで怒鳴ったせいで喉が詰まったらしい。
かなめが激しく咳き込んだので、水瀬は水の入ったコップを差し出し、かなめがそれを乱暴に飲み干す。
「……ハァ。ハァ」
「先生、とにかく落ち着くのが先決」
「なら、もう少しだな……」
かなめも怒りすぎて、もう何を怒っていいのかすらわからない。
「ご飯、まだでしょう?作るから待ってて」
「それで誤魔化そうというのか?」
「空腹を誤魔化す位は出来るよ?」
クウッ
小さく鳴った腹を押さえたかなめが、それでも言った。
「せっかく、マグロがあるんだ。鉄火丼にしてくれ」
「えーっ?いい山芋が手に入ったから、まぐろととろ丼にしようよ」
「それもいいな」
ようやく、かなめの口元に笑みが浮かぶ。
かなめもわかってはいるのだ。
だから、内心では水瀬に期待している。
いくら水瀬を怒ったところでどうしようもない。
コイツはどんな失態を犯しても、帳消しにするほどの功績を挙げている。
恐らく、いや、もしかしたら私自身の希望かもしれないが、水瀬はバケモノと接触することで、何らかの対処方法を、すでに見いだしているのではないか。と。
もしかしたら、自分の甘えかもしれない。
だが、不思議とそれと信じてみたくなる。
それこそが、水瀬の不思議なところだと、かなめはそう思っている。
「じゃ、センセ」
水瀬はエプロンを身につけながら、
「ご飯、用意しておくから、仕事してきて?」
「仕事?」
「そう」
水瀬は何でもないという顔で言った。
「お客様(侵入者)だよ?」
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