第4話 【春のお話】
【春のお話】
ハルゼミの鳴き声が心地良い春の到来を告げる中、その光景はとても場違いのように感じます。
「また山介(やますけ)の奴か」
炭丸は大量の桜の花弁が乱暴に散らばっているのを確認すると、ため息を吐いて花弁の無い桜の木に寄り掛かり、ぐったりとました。一体どうすればいいものか。今は他の案件で忙しいというのに。
炭丸がふと見ると他にも花弁を失った桜の木が何本もあることに気付きました。
「僕達、とても困っているんだ。炭丸さんならあいつを説得できるでしょ?」
と、ウグイスの道彦は森の鳥達の中でも特につぶらな瞳で炭丸に助けを求めます。どうやら最近森にやってきたワカケホンセイインコの山介が桜の花弁を好き放題に食べているせいで、ウグイス達が営む花見業の経営が逼迫しているというのです。
「よし、分かった。俺に任せておけ」
ウグイスの道彦から一通り事情を聞いた炭丸は過労でよろめきながらそう言うと、とある鳥の元へ寄り道をしてから山介の家まで飛んで行きました。炭丸の頭の中にはこの件をスムーズに解決できるシナリオがいつの間にか完成していたのです。
山介の家に到着した炭丸がドアをノックして中に入ると、山介は真っ赤な嘴で今日も大量に収穫してきた桜の花弁を美味しそうに食べているのでした。食べかすが床に散乱しており、見ているだけで中に入るのも気が引けるほどです。
「おい山介」
と、炭丸は山介を睨みつけます。「いい加減桜の花弁を勝手に食べるのは止めないか」
「ん?何で?」
と、山介は何がいけないのか理解していない様子で炭丸を見つめます。「この森では個鳥の自由が尊重されているんでしょう?だったら僕も桜の花弁を好きに食べたっていいじゃん」
嘴で顔面を突きたい衝動に駆られるほど面倒な奴だ。と炭丸は思いましたが、慌ててそんな自分を制しました。
山介は目の前に炭丸がいることを気にせずに呑気に食事を再会するのですが、炭丸の表情からは不思議と不機嫌さが綺麗に無くなっていくではありませんか。
「そうか。山介、そこまでお前が態度を改めないのならこっちにも考えがあるぞ?」
「何?周りに迷惑をかけない紳士の自由とか説教垂れるつもり?」
と、山介は呑気な様子で言いますが、炭丸は勝ち誇った表情で彼を見つめています。
「いや、そうじゃない。今回俺はお前の教育係をつけることにした。俺からの愛ある対応だぞ。ありがたく思いたまえ」
「教育係?」
と、初めて表情を顰めた山介は、戸口に自分の倍以上の大きさの鳥が立っていることに気が付きます。これは何か嫌な予感がする。
「では、篤(あつし)さん。よろしくお願いします。何か進展があれば俺に報告して下さい」
「おう、分かったぜ。炭丸さんも大変だな」
オオタカの篤は飛び去っていく炭丸を見送ると、その強面に似合わない柔和な笑顔で山介を見下ろします。
「なんだ、篤さんか。久ぶり。教育係だって炭丸さんが言っていたけど、どんな教育をしに来てくれたの?」
と山介は安心した様子でオオタカの篤に話しかけます。篤は山介がこの森に引っ越す際に荷物を運ぶなどをして手伝った引越し屋なのでした。
「仕事の遠征が終わって久しぶりにこの森に帰ってくることができたんだ。……今日は山介の教育をするというより、報告があって来たんだ」
と篤は笑いかけながら言います。「まずはこれを見てくれよ」
山介は篤から差し出された箱の中身を見てみます。それは山介が家の倉庫に保管している桜の花弁を入れた箱なのですが、中身はかなり虫に食われているようでした。
「何これ」
と、山介は顔を顰めました。「ふざけているでしょ。僕が大事にしてきた桜の花弁をこんなにもむしゃむしゃ食べやがるなんて。……篤さん、報告してくれてありがとう。こんなことをしやがる虫達なんてとっとと絶滅しちゃえばいいんだ」
「それがお前のやってきたことだろ?」
篤の放ったその言葉でその家は時が止まったかのように静まり返りました。聞こえる音といえば時計の秒針の音だけです。
山介は自分が何を言われたのか分からない様子でポカンと嘴を開けています。
「残念な報告がもう一つある」
と、篤は切り出します。「来年はもう桜の花見ができなくなるかもしれない。どっかの誰かさんが好き放題食べてくれたおかげでな。ウグイスの道彦から事情を聞いてきたぞ。本当に苦労する羽目になってしまったらしい。……あの桜の並木は道彦の家系が先祖代々長い年月を掛けてやっと購入したものだ。しかも、それを使った花見事業だって客が来るまでに一〇年近くかかったらしい。客が来るようになった後だって貧乏続きで従業員には自費から捻り出した激安の給料でわざわざ働いてもらったり、時には多額の借金も背負わざるを得なかったそうだ。山介、俺が何を言おうとしているのか。それが分からないほどお前は馬鹿じゃないよな?」
「……うん」
山介はゆっくり頷き、床をじっと見つめています。しかし、彼が本当に見つめているのは床ではありませんでした。
それから一時間が経過した後のことです。
「本当にごめんなさい……」
森で一番大きい桜の木の下で、山介はウグイスの道彦を前にして地に頭を付けました。「……許して貰えるなんて思っていないよ。でも、どうしてもあなたに謝りたくて……」
「……顔を上げて。もう良いんだよ」
と、道彦は言い、山介を立たせます。「僕達ウグイスの寿命はどんなに長くても八年なんだ。八年だよ?桜の並木を購入するまでに二〇年。客が来るようになるまで九年。それから今に至るまで八年。僕の一族は三六年もの時間を使って花見事業を育ててきたんだ」
山介はじっと黙っています。
「山介君。僕も大人じゃなくてごめんね。君がどんなに謝ろうと、僕達はそれを受け入れることはできない」
道彦はキッパリそう言うと、森の奥深くへと飛んで行ってしまいました。
春一番が吹き乱れる中、一羽は花弁のない桜の並木を眺め、自分が今まで歩んできた足跡がいかに醜いものであるのかを深く後悔することとなったのです。
【夏のお話に続く】
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