第24話 俺は兄貴失格かもしれない
陽依はなぜあんなにも体力がないのだろうか。似たような生活をしていたはずの俺は人並み以上の体力を持っているというのに。
病的なほどの虚弱体質だが、別に呼吸器官や筋肉に何かしら問題を抱えているというわけではない。一年に二回ほど検診は受けているし、そこで異常が見つかったという話は聞かないので、彼女は健康極まる体で、単に運動不足なだけだ。
陽依が運動をしているところなんて見たことないが、それにしたってあまりにも貧弱すぎる気がする。人は一切鍛えないとあんな風になってしまうのか。
しかしそれにしては体形は維持できているんだよな。ただの運動不足ならもっとブクブク太っていてもおかしくないのに。
もしあの闇の深い性格に高い身体能力まで備わっていたらと思うと、怖すぎて夜も眠れなくなる。きっとそうならないように、超常的な力によってパラメーターを調整されたんだろ。知らんけど。
「まぁ、そんなことはどうでもいいか……」
俺の目の前には、担任教師から聞き出した松波の住むマンションがある。今日の俺の仕事は、副委員長として、委員長の現状を確認することだ。
俺が松波の所へ行くと知れば陽依が黙っていないだろう。どう考えても邪魔になる未来しか見えなかったので、ちょっと走って置き去りにしてきた。
途中までは必死に追いかけてきていたが、五十メートルを過ぎたあたりで涙と汗とよだれと鼻水を撒き散らしながら地に伏していくのをこの目で見た。可哀想よりも面白いという感想が先に出たので、俺は兄貴失格かもしれない。
普通に訪ねて行っても居留守を使われる可能性が高い気がしたので、とりあえず他の住人の後に続いてオートロックを突破し、松波家の部屋の前まで向かう。
とりあえず扉さえ開けてもらえれば、松波の様子を伺うことぐらいはできるんじゃないだろうか。
俺としては、欠席の原因が俺と陽依にあることは明らかなので、このまま引きこもりにでもなられたら心苦しい。そうでなくとも、松波がクラスに必要な存在であることは確かだ。何とかして引き戻さなくてはならない。
俺はインターホンを押し、中からの返事を待った。
「はいはい、今開けますよ~っと」
チェーンをかけて扉を開け、隙間から顔を出したのは、逆立った髪の少年だった。恐らく歳は俺よりもいくつか下。言葉遣いや、着崩したシャツからは軽薄そうな印象を受ける。
まさか、松波のやつ。学校を休んで部屋に彼氏を連れ込んでるのか……?
「えと、誰っすか?」
少年は、自分の顔をまじまじと見つめてくる俺に対し不快感を覚えたようで、怪訝そうな顔でそう問いかけてきた。
「ここは、松波真美の家でいいんだよな?」
「……ああ、学校の人っすか。姉ちゃんなら会わないっすよ」
「姉ちゃん……」
どうやら彼は松波の弟らしい。一瞬彼氏かと思ったが、冷静になって考えてみればそんなわけはなかった。
「俺は多田羅広政。松波のクラスの副委員長だ。できれば、扉越しでもいいから松波と少し話をさせてほしいんだが」
「だから、会わないって。誰も入れるなって言われてんすから」
そう答えた後で、少年は何かを思い出したように宙を見つめながらブツブツと唱え始めた。
「待てよ。タタラヒロマサ……? なんか聞いたことあるな」
「え?」
「……ああ、そういうことっすか」
彼の中で何らかの答えを得たようで、チェーンを外して扉を全開にした。
「入っていいっすよ」
「……誰も入れないんじゃなかったのか?」
「ま、姉ちゃんにはそう言われてますけどね。でもこのままずっと家に籠られても困るし、できることならサッサと何とかしてほしいんすよ」
少年は俺の名前を聞いて心変わりしたようだった。もちろん彼とは初対面だが、さっきの反応を見る限りでは俺のことを知っている様子。
まさか、俺の家のことを知っている? 俺は有名人というほどではないが、うちの会社のことを調べれば俺の存在に辿り着くのは誰でもできることだ。彼が俺のことを知っていたとしても、不思議ではない。
「お前、俺のこと知ってるのか?」
俺の家のことを知っているのだとすれば無視できない事態だ。何とかして口止めして松波には知られないようにしなくてはならない。
「え? ああ、姉ちゃんの手紙にちょくちょく名前出てきてるんで。広政君って呼ばれてる人っすよね?」
「……あ、ああ、そういう」
なんだ。俺の家のことを知っているわけじゃないのか。それなら一安心だな。危うく青春の終焉かと思ったが。
……待て、手紙だと? なんで同じ家に住む姉弟が手紙でやり取りしてるんだ?
「あ、ちょっと待って。家に上がる前に、覚悟決めといてください」
「は? 覚悟?」
意味深なことを言われ、手のひらにジワリと汗が滲む。
覚悟ってなんだ。俺は今から戦場にでも出るのか? もしそうなら全然覚悟決まってないからもうちょっと待ってほしい。
「ま、あんたならもう慣れてるかもしんないっすけど」
変な前置きをされ、おっかなびっくりしながら扉をくぐると、そこには下駄箱の上や壁など、ありとあらゆるスペースにビッシリと写真が貼られた玄関があった。
「……アイドルオタクなのか?」
「よく見てくださいよ。ポスターとかじゃないっすよ」
大量の写真のインパクトに圧倒されて認識できていなかったが、よく見るとこれらは全て目の前に立つ少年を中心に捉えたものだ。
「ナルシストなのか?」
「自分でやったんじゃないっすよ! 姉ちゃんの趣味っす」
「趣味……趣味? 弟の写真を飾るのが?」
「いわゆるブラコンってやつなんすよ。俺はこれが嫌で、今年からは全寮制の中学行ってるんです。姉ちゃんが学校に来なくなったって、高校から連絡来たんで、仕方なく今だけ帰ってきてますけど」
「寮か。じゃあ一緒に住んでるわけじゃないんだな」
「ええ、基本的には連絡も取ってないっすよ。ま、手紙は三十通ぐらい送って来てるんすけど」
なるほど、それで手紙のやり取りか。それにしてもまさか松波にこんな一面があったとは。
「今年からってことは、まだ家を出て二か月経ってないぐらいだよな? それで手紙三十通は確かに多いな」
「いや、そんなんじゃないっすよ。三十ってのは、一日あたりの数っす」
「は?」
「だから、毎日三十通来てるんすよ。俺が電話とかSNS系は全部ブロックしてるんで、手紙なら防ぐ手段がないとか言って」
「えぇ……」
怖いなぁ……怖いよぉ……なんか最近怖い奴ばっかりだなぁ……。
「前からこんな感じだったんすけどね。ちょっと前に親が死んでからはパワー全開って感じで。もう俺の手に負えるレベルじゃないんすよ。俺がここを出てけば少しは収まるかなとも思ったんすけどねぇ。逆効果だったみたいで」
「……そう、だったのか」
「ま、最近はあんたの面倒見て気を紛らわしてたっぽいんで、多分あんたならどうにかできます。つーかぶっちゃけ、姉ちゃんが引きこもった原因って、あんたが何かしたからじゃないんすか?」
図星を突かれ、俺はあからさまに狼狽してしまう。少年はそれに気づきながらも俺を責め立てるようなことはせず、苦笑いを浮かべた。
「いや、いいんすよ。姉ちゃん重いっしょ。俺だって距離開けてるし、仕方ないと思いますよ。ただ、まあ、あんなでも姉ちゃんなんで、元気がないのを見るのは嫌なんすわ」
「松波……いや、真美と話はしたのか?」
「もちろん、したっすよ? けどいまいちって感じっすね。俺が帰ったらすぐ元気になるかと思ったのに反応微妙だし、ちょっと自惚れてたかなって思ってたとこだったんすよ。明日には寮に戻らないといけないんで、できれば今日中になんとかしたいんすけど」
「それなら、俺が話をしても同じだろうな。溺愛してる弟でも通じないなら、俺が何を言っても効果があるとは思えない」
「いやいや、何言ってんすか。俺とあんたは役割別っすよ。どう考えても。姉ちゃんはそこんとこ混同させてるみたいっすけど」
彼の言っている意味がよく分からず、俺は首を傾げる。しかし彼は俺が疑問を抱いたことには気づいてくれなかったようで、答えはもらえなかった。
「姉ちゃんの部屋はそこの奥っす。あちこち写真ペタペタしてありますけど、あんま気にしないでください。もしあんたが行っても駄目なら、いよいよ最終手段に出るしかなくなるんで、なんとかしてください」
「最終手段ってなんだ。何か作戦があるのか?」
「適当に年齢ごまかして、俺も姉ちゃんと同じ高校に通うんすよ。そこまですれば流石に学校に行ってくれると思うんで」
「それは……」
「はは、なんて冗談っすよ。流石にそんな常識外れなことしないっす。つか絶対不可能だろうし。ま、それぐらい手詰まりってことっす。初めて会ったあんたを頼りにするぐらいには困ってるんすよ。それじゃ、後はよろしくお願いしますね」
彼はそう言って笑いながら、俺を松波の部屋の前まで送り届けて去って行った。
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