第21話 信用なさっていないようなので

 週末になり、ついに陽依との約束を果たす時がやってきた。


「さあ、お兄様。今日はデートの日です。デートしますよ。なんて言っても今日はデートの日なんですから」

「わかった。わかったから。そう何度もデートデート言うな」


 俺は寝起きの良い方だ。なかなか起きられなくていつも遅刻ギリギリなんてことはない。ゆっくり朝ごはんを食べて、余裕をもって出かけられるぐらい、起床時間は早めに設定してある。

 しかし今日ばかりは、布団から出るのに三十分ほどかかってしまった。どれだけ嫌な用事がある日でも、起きられなくなるなんてことは今までになかったのだが、今日ばかりはその例外らしい。


 勝った方とデートをするというのは自分で言い出したことだ。周りに流されるがままになるのではなく、自分から周りを巻き込む勢いで行動しなくては、いつまで経っても目標は達成できないと思ったからだ。


 その考えは今も変わらない。変わらないが、だからといって陽依とのデートに前向きになれるわけではない。嫌なものは嫌だ。そこにどんな合理性があろうとも、感情まで変えられるわけじゃない。


 だが嫌々やっても仕方のないことだ。これは俺にとって陽依という最大の敵を取り除けるかもしれない絶好のチャンス。文句ばかり言っていないで、良い立ち回りを考えなくてはな。


「楽しみですねぇ。お兄様とデートだなんて。今までなら絶対にしてくださらなかったでしょうに」

「勝負に勝ったわけだし、これぐらいはな」

「そういえば、あの女はあれ以来学校に来なくなりましたねぇ」


 調理室を飛び出して以降、俺は松波の姿を見ていない。担任教師の話では、学校をずっと無断で欠席しているらしい。

 あの松波が委員長の仕事を放棄して休むというだけでも異常な話なのに、仮病すら使わず黙って休んでいるとなると、いよいよただ事ではないという感じだ。


 原因は陽依に敗北したことで間違いないだろう。あんな負け方をすれば、陽依と顔を合わせるのも嫌だろうからな。


 もしくは俺への失望かもしれない。せっかく丹精込めて作った料理を、レンジで温めただけの料理と同等の評価にされ、頭にこないはずがない。顔を合わせるのが嫌というのは、俺に対してだって同じことか。


 クラスの生徒が休んでいたら、委員長が様子を見に行くものだとするのなら、その委員長が休んでいた場合は副委員長が様子を見に行くのが筋なのかもしれない。

 しかし俺の顔なんて見たくないだろうからな、俺が行くのは逆効果だ。かといって他に誰が行くわけでもなく、こうして週末を迎えてしまった。


 クラスの誰も解決に動かなかったというのは、決して松波の人望が薄いというわけではない。むしろ逆だ。松波はクラスメイトからとてもよく慕われている。

 ただ、クラスのちょっとしたトラブルは全て松波が解決していたからな。その松波がトラブルに陥ってしまった時、クラスの皆はどうしていいかわからず困っている様子だった。これは委員長として勤勉過ぎた弊害かもしれない。言ってしまえば、クラスメイトに対して過保護すぎたわけだ。


「まったく。あの女が学校に来ないせいで、お兄様の仕事が倍増してしまっているじゃないですか。本当に無責任な女です。私が行って引きずり出して来ましょうか」

「余計なことをするな。問題が悪化するだろ」


 元はと言えば、陽依の執拗な挑発が原因だと思うんだが……こいつには自分が元凶であるという自覚がないんだろうか。


 ともかく、今は目の前の問題を優先することにしよう。松波のことについては、来週になっても彼女が学校に顔を見せなければ、その時に考えるということで。


「それで、どこに行きたいのかは決めたのか?」


 デートプランなど考えるのは面倒なので、どこに行きたいのか決めておけと事前に陽依には伝えてある。


「候補はいくつかあります」

「言ってみろ」

「まず一つ目は、ハワイです」

「却下だ」

「な、なぜです⁉」

「予算の都合だ」


 前までは割と気軽に海外に行ってたからな。デートの行き先でポンとハワイが飛び出すのも仕方ないと言えば仕方ないが……こんなボロアパートに住んでいる高校生二人がデートでハワイなんか行けるわけないだろ。


「海外は無しだ」

「……なら、水族館などどうです?」

「却下だ」

「……な、なぜ⁉ 国内ですよ⁉」

「予算の都合だ」


 水族館の入館料っていくらぐらいなんだろう。高校生ならちょっと安くなるとは思うが、二人分の料金を払うのはちょっと厳しい。


「で、では……プラネタリウムなど、どうでしょう?」

「却下だ」

「なっ……プラネタリウムなら料金はそう高くありませんよ⁉」

「交通費がない」


 こんな田舎にプラネタリウムなどあるわけもないので、街まで出なくてはいけないわけだが、そうなると電車賃だけで予算が吹き飛ぶ。これに関しては水族館でも動物園でも同じことだ。


「えと……どこなら行けるのですか?」

「予算は千円だ。それ以内ならどこでも行けるぞ」

「どこにも行けませんよ⁉」


 陽依はギリギリと歯を鳴らして抗議する。色々と考えていたというデートプランが全て崩れ去ってお怒りのようだ。


「そんなことはないぞ。歩いて行けばどこでもタダだ。ハワイだって泳いでいけば金はかからんぞ?」

「何を言ってるんです?」

「……まあ、徒歩圏内なら交通費はかからんということだ」

「家から車を出させるのはどうですか? それなら費用はかかりません」

「お前だけならそれでもいいが、俺はこの三年間は家には頼らないつもりなんだ。車だって出してもらうつもりはない」


 自分の力だけで何とかするという条件で、我が儘を通したんだ。今さら出掛けたいから車を出してほしいなどと軟弱なことを言えるはずもない。それでも親父は何も言わないだろうが、これは俺のプライドの問題だ。


「俺は電車で、お前は車移動にすれば交通費は半分で済むぞ。それに、交通費を自分で負担するのであれば俺の予算を気にする必要はない」

「現地集合ですか……それもデートらしくていいかもしれませんが、お兄様と一緒に出掛けることに意味があるのですよ」

「なぜだ? 悪くはない話だと思うのだが」

「何と言いますか……今、お兄様を一人にするのは危険な気がするので」

「危険……?」

「いえ、こちらの話です」


 陽依は思わせぶりに不穏なことを言い、説明もせずはぐらかした。


 予想はしていたが、やはり純粋にデートを楽しむつもりはないらしいな。好きでもない相手と出掛けるのだから打算抜きで楽しめという方が無理な話か。


 陽依が何を企んでいようとも、俺がやることは変わらない。このデートの最終目的は、陽依の目的を達成させることだ。具体的なことはまだわからないが、陽依は俺を利用して会社での地位を守ろうとしているはず。

 俺を排除して、自分が次期社長の椅子に座ってやろうということなら、達成させてやるわけにはいかないが、地位を保証してほしいというだけならば叶えられる余地はある。

 まずはそこを明確にする必要があるな。そのためにも、こうして二人きりで出かける時間が必要になるわけだ。


 普段と違う環境では口も軽くなりやすい。学校や家で話すよりも、デートという非日常的状況下の方が腹の内を探るには好都合だ。


 ……そう考えると、移動時間もなるべく共有しておいた方がいいわけか。だったら現地集合に難色を示した陽依の反応も理解できるな。彼女もひょっとすれば、俺と似たようなことを考えているのかもしれない。


 陽依は俺が稲山高校に来た本当の目的を知らないはず。しかし俺が中学で、肩書によって構成される人間関係に嫌気がさしていたことは察しているはずなので、普通の高校生活と信頼できる女性を求めてここに来たことには勘付いているかもしれない。


 だが俺が誰にも明言していない以上、そこに確信はないわけだ。だから彼女は不安になって、わざわざ同じ高校まで来た。自分の目の届かないところで俺が何かをしているというのは、陽依にとっては落ち着かないだろうからな。


 そしてこの生活も一ヶ月が経過し、そろそろ確証が欲しいと思っている頃合いだろう。それを探るため、陽依からしてもこのデートは打ってつけのはず。

 だから教えてやればいいんだ。俺は別にお前を害するつもりでいるわけではないんだということ。そっちはそっちで好きにやればいいということを。


 陽依が敵対しない限り、俺も陽依と敵対するつもりはない。ここで互いに敵意がないことを示すことができれば、陽依は大人しく家に帰ってくれるかもしれない。


「……わかりました。お兄様。では公園に行きましょう」


 しばらく行き先を考えていた陽依は、苦い顔をしながらそんな案を捻り出した。


「公園デートというのもそう悪くはありません。特別感はありませんが、このままズルズルと行き先を決められず、デートが流れるよりは良いでしょう」

「……そうか。なら近くの公園で良いんだな?」

「ええ、そこで少し、お話したいこともありますし」

「話?」


 陽依の目が闇夜の猫のように怪しく光る。


「お兄様はどうやら私を信用なさっていないようなので」


 俺の心を見透かしたように、彼女は淡々とそう言う。

 思ったよりも直接的に仕掛けてくるつもりなのか。だらだらと探り合いをするのは俺だって本意ではないので悪くない。


「お兄様の信用を得るために尽力してきたつもりですが、このまま続けていても埒が明かないと思いまして」

「へぇ……それで、何を話してくれるんだ?」

「そうですね……お兄様が今一番知りたいと思っていることについて……というのはどうでしょう?」

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