第20話 手段を選ばないだけですよ?
それから一時間後────ついに二人の料理を食べる時が来た。
この部屋に充満する、胃を冷たい手で鷲掴みにされているような圧迫感、落ちたら即死確定の崖に立たされているような緊張感。どう考えても美味しくご飯を食べるような空気じゃない。
二人にとってこれは真剣勝負、この先の人生を懸けた大一番だ。それだけ重たい覚悟を持ってこの戦いに挑んでいて、そのせいで俺の冷や汗が止まらない。
「ふん、あまり手が動いてなかったようだったけれど、大丈夫なのかしら?」
「私はお兄様のことを良く知っています。あなたよりずっと、深く理解しているのです。だからこそ、余計な手間は必要ありませんでした」
「自信があるみたいね」
「当然です。あなたは自信がないのですか? 今ならまだ引き返せますよ。料理を出す前に棄権しておいた方がよろしいのでは?」
「そんなことするはずないでしょう? ここまで来たら、あとは広政君に決めてもらうだけよ」
二人は揃って俺の前に弁当箱を置く。そして同時に蓋を開け、その中身を露わにした。
「おぉ……」
ひょっとしたらとんでもないものが出てくるかもしれないと思ったが、どちらも案外普通だった。松波の弁当は以前に食べたものとほぼ同じだ。海苔の似顔絵など、時間のかかりそうなものは省かれていたが、全体的に手間のかかった豪華な弁当に仕上がっている。
対して陽依の弁当は王道を行くシンプルさが目立つ。から揚げ、卵焼き、タコ型のウインナー、一口サイズのハンバーグなどなど、弁当と言えばこれという品々が並んでいる。
二人が弁当に妙な物を入れていないことは確認済み。そして事前の取り決め通り、二人の前にも同じ弁当が置かれている。だから安心して食べられるというわけでもないが、食べられないということもなさそうだ。
「さて、じゃあさっそく……」
箸を手に取り、口に運ぼうとしたところで、松波が小刻みに震えているのが目に入った。
「……ちょっと、これはどういうことよ」
そのナイフのように鋭い視線の先にいるのは陽依だ。
「どういう、とは? 質問の意図がよくわかりませんね」
「とぼけないで。言ったよね? 料理対決だって」
「ええ、聞きましたよ。なので料理を作って出したではないですか」
「どこが料理なのよ! これほとんど冷凍食品じゃない!」
松波はヒステリックに叫びながら、机を拳で強く叩いた。その衝撃で食器類がほんのわずかに宙に浮いてカタカタと音を立てる。
「よくお気づきになられましたね。そう、これらは噂の冷凍食品です。レンジに入れて、パッケージに表記してある時間温めるだけで、簡単に美味しい料理が食べられるのですよ」
陽依は胸を張り、自慢げにそう語る。まるで自分だけが知っている裏技をひけらかしているかのような態度だ。
「あなたはご存じでしたか?」
「当たり前でしょ」
「えっ」
陽依は心底意外そうに素っ頓狂な声を上げる。別に兄だからわかるとか、そういうわけではないが、これは多分演技ではなく素の反応だ。
「馬鹿にしてるの? 料理対決なんだからちゃんと料理しなさいよ」
「……冷凍食品だって立派な料理ではないですか」
「私は美味しくて栄養のあるものを広政君に食べてほしくて、一生懸命メニューを組んで作ってるのよ! あなたは何? あれだけ大口を叩いておきながら出てくるものはこれ? やっぱりあなたに広政君は任せておけないわ!」
松波は感情任せに叫び、不満を爆発させた。陽依は何が問題だったのかわからずに自分の温めたから揚げを口に入れ、首を捻っている。
家では冷凍食品を食べる機会なんて全くなかったし、「レンジのスイッチを押すだけでできるなんて簡単じゃん!」くらいの感覚で使ったんだろうな。
料理なんて今までほとんどしたことないはずなのに料理に自信があるなんてどういうことだろうと思っていたが、なるほどこういうわけか。
「ねえ、広政君。もうこんなの判定するまでもないわよね?」
松波が俺に、早く勝敗を告げるよう求めてくる。彼女からしてみれば、審査の過程など必要ないほど圧倒的な差がついているということらしい。
「いや、ちょっと待ってくれ」
ただ、非常に残念なことに、というかこれは完全な人選ミスだと思うのだが、俺は松波が想像しているレベルを遥かに超えた馬鹿舌なんだ。
「……マジでどっちも同じ味にしか感じないんだが」
陽依が適当にレンジでチンしたから揚げも、松波がやたらと複雑な下準備を丁寧にこなしてから揚げたから揚げも、どっちも普通に旨い。というか、目をつぶって食べたらどっちがどっちなのか多分判別できない。
「え……? いや、待って。私のお弁当の方が美味しいわよね?」
「どっちも旨いぞ」
「どっちの方が美味しいのよ」
「うーん…………どっち……えぇ……」
審査員になったからには、私情を完全に捨てて公平なジャッジをするつもりだ。面倒を避けるために、どっちも高評価にして同点優勝させようとか、そんな幼稚園の運動会みたいなことをするつもりもない。
しかしこれに関しては、一切の忖度抜きに、完全に互角にしか思えない。俺の舌はどうやら旨い、不味い、食えない、の三段階でしか判別できないらしく、この二つの弁当はどちらも最上位の旨いに属しているので、甲乙つけられない。
「…………どっちも旨い」
結局絞り出した答えはそれだった。よくよく考えてみれば、俺に料理の審査なんてできるわけなかったのだ。
明らかに料理としての質は松波の方が高い。ここに座っているのが俺以外の誰かだったなら、文句なく松波に軍配が上がっていたことだろう。
しかしここにいるのは俺なのだ。できればこの頑張りを評価して松波に勝たせてあげたいのだが、公平にジャッジすると決めた手前、味以外の要素でジャッジするのも気が引ける。
「お兄様は正直ですね。流石です」
「……仕方ないわね。でも、勝敗はどうやって決めるのよ」
「あら? ひょっとして、お忘れですか? ご自分でお決めになったことではありませんか」
陽依はそう言って、机の上に買い物のレシートを取り出した。
「さて、見たところあなたの料理は全体的にかなり良質な食材を使用しているみたいですね。一体いくらかかったのでしょうか」
「…………ッ」
陽依のレシートを見た途端、松波は悔しそうに顔をしかめてそっぽを向いた。
「どうされました? 早くレシートを出してください。まさか貰って来るのを忘れたんですか?」
「こんなの……」
「おかしいですか? この勝敗条件はあなたが決めたはずですよ。だから言ったじゃないですか。私の方がお兄様のことを理解していると。果たして一人よがりだったのは私とあなた、どちらだったのでしょうね?」
小馬鹿にしたような微笑みを浮かべながら、松波を煽る陽依。それに耐えかねたのか、松波は勢いよく椅子を倒しながら、部屋を飛び出してしまった。
「あらあら、私より年上のくせに子供みたいですね」
「お前、やっぱ性格悪いな……」
「それは心外ですね。私はお兄様と同じく、手段を選ばないだけですよ?」
陽依は松波の去った扉から、俺の顔へと視線を移す。そして目を細め、舐めまわすように見つめてくる。
「さて、勝ったのは私です。言うまでもないとは思いますが、約束、忘れないでくださいね?」
さっきまで名案だと思っていたはずなんだがなぁ……こいつとデートしなくてはならないと思うと、一時間前の俺は一体何を考えていたのかと問い詰めたくなる。
しかし多田羅家の男として、約束を反故にするという選択肢はない。一度言ってしまったことは責任を持って果たさなくてはならない。
「……ああ、わかってるよ。勝ったのはお前だ。約束は守る」
松波の残していった料理を頬張りつつ、俺は小さく頷いた。
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