第17話 ここで帰ったらどうなるんだろう
こうして二人の女子の間で板挟みになり、争いに巻き込まれたことは初めてではない。
あれは中学の時のことだ。俺たちは修学旅行で京都に行くこととなり、市内をバスで巡って観光したのだが、その座席決めの際にトラブルがあった。……いや、トラブルというほどのことではないか。中学生を集めて、ペアを組めという指示を出せば揉め事の一つや二つ、起こって当然だろう。
バスの座席は最後列を除けば、通路を挟んで二つずつ設置されている。つまり二人一組のペアを大量に作ることになるわけだ。
ここでクラス内で地位の高い人の隣に座ることができれば、修学旅行をきっかけに強力な後ろ盾を得ることができるかもしれない。あるいは中学生らしく好きな人の隣になりたいと淡い恋心を抱いていた生徒もいたことだろう。
理由は様々あれど、バスに乗っている間はずっと隣に座ることになり、決して短くない時間を共にするわけなのだから、このペア決めには誰しもが熱を上げていた。
俺とて例外ではない。一体誰をペアにするべきか、悩みに悩んでいた。
旅行という非日常的な環境は、時として人の本性を露わにする。集団で旅行に行った結果、互いの意外な一面がわかって親睦が深まったり、逆に嫌な部分が見えてしまって幻滅したりすることがある。
残念なことに、もっぱら後者の方が多いような気がする。旅行をきっかけにして破局したカップルや、崩壊したサークルの話など星の数ほど事例があろう。
しかし何もマイナスなことばかりではない。ひょっとしたらこの旅行を通して、心から信じられる女性を見つけられるかもしれない。俺の生涯の伴侶になってくれるような人が現れるかもしれない。
何もそれは運命的な出会いとは限らないのだ。俺だって人間は全員腹黒いと思っているわけではない。何の打算もなく俺を愛してくれる人が、意外にも近くにいることだって考えられる。それがこの旅行をきっかけに判明する────そんな期待は確かにあった。
だからバスの座席は極めて重大な、運命の分岐点だと考えていた。
もし何かの間違いで、俺のことを疎ましく思っている奴や、俺に取り入りたいと企んでいる女子が隣に来てしまえば、信頼できる相手を探すどころではない。
ペアになるなら、普段から派閥争いや権力争いに関与していない、純朴そうな女子がベスト。
会話を重ねてその内面を探り、信用できる相手かどうかを見極めたい……と考えていたのだが、結論から言えばそれは達成できなかった。
そもそもうちのクラスに、純朴そうな女子がいなかったという問題があった。それに加え、俺に擦り寄って来る女子たちの圧力が想像以上に強かった。
普段からグイグイ来てはいたが、修学旅行とあっては彼女らとしても悠長に構えてはいられないらしい。いつにも増して詰め寄って来たのを覚えている。
結局、なんやかんやあって最終的には二人の女子の一騎打ちとなり、俺は勝った方と隣同士でバスに乗ることとなった。どんな争いをしていたのか俺は把握していないのだが、あの時の白熱っぷりは陽依と松波にも劣らないものがあった。
あんなものは何度経験しても慣れるものじゃない。人間の醜い心のぶつかり合いなのだから、間に挟まれる俺としては恐怖以外の何物でもない。
あの経験は、俺が稲山高校に来ることを決めたきっかけの一つになった。しかしまたここでも似たようなことになるとは。
「────はぁ、もう帰りたい」
ゴールデンウイーク明けの登校日。放課後を迎えた俺たちは、松波に呼び出されて学校の調理室へと足を運んでいた。
「ちゃんと逃げずに来たようね」
陽依に連行されるような形で部屋に入ると、ラスボスみたいな風格で松波が仁王立ちしていた。
誰にでも優しく、真面目で、明るい松波が、陽依と相対した時だけは悪役染みた風格だ。とはいえ陽依の方も悪役っぽいので、ここには光属性が欠けている。
「勝てる戦いから逃げ出す理由がありますか?」
「……相変わらず喧嘩腰なのね」
「当然です。私はあなたみたいに図々しく、身の丈を弁えない女が嫌いですから。そんなことより早く始めましょう。勝負をしたいのでしょう?」
陽依は時間が惜しいとでも言いたげに、時計を見ながら急かす。
余裕を見せる陽依は、対決の内容は松波に任せると言っていた。何をするのかは聞かされていないが、この部屋に集められた時点で大体察しはつく。
「そうね。あまり時間をかけすぎるのもよくないわよね」
「そうだぞ。俺この後バイトあるからな。もうお開きにした方がいいと思うんだ」
「広政君。悪いけど、少し座って待っていてもらえるかしら」
用事があるから早く帰りたい作戦は、残念ながら不発に終わった。
実際、この後にバイトなんて入れていないし、そのことを陽依は把握しているはずなので、もうこの手は使えないな。
「勝負の内容はシンプルに、料理対決にするわ。広政君のために、より安く、より美味しいお弁当を用意できた方が勝ちよ」
「なるほど、わかりやすくていいですね」
「広政君のためを思うなら、やっぱり料理ができないと話にならないと思うのよ。食への関心が薄いみたいだし、ちゃんとお世話してあげないと体を壊すわ」
「それは同感です。ですが別に、あなたがいなくても、私が管理するので心配はいらないと思いますが」
「そう言うと思ったわ。だから勝敗は料理で決めることにしたのよ。これならどちらが広政君のお世話をするに相応しいのか一目瞭然だから。文句はないわね?」
「お兄様の傍に立つに相応しいのは私です。どんな勝負であれ勝つのは私なのですから、問題はありませんよ」
時間が空いても彼女らの対抗心は消えることなく燃え盛っている。一晩寝て、すっかり忘れて仲直り、なんてことはないみたいだ。
陽依は何年も前から俺を利用しようと画策し続けているし、松波だって一度決めたことをそう簡単に翻すタイプじゃない。そんな二人の喧嘩なのだから、そう容易く収まるわけもないはずだ。
「調理室は借りられたけど、食材は自分たちで準備しなくちゃいけないから、まずはそこから始めましょう」
「そうですか。ではお兄様」
「……はい?」
やる気の無さを隠さず返事をしてみたが、当然ながら二人の気が変わる様子は微塵もない。俺の意思を気にするつもりは全くないらしいな。
「お兄様には審査員をお願いします」
「……審査員? 最後に味見をすればいいのか?」
「はい、それでどちらの料理が美味しかったか、今後はどちらにお弁当を用意してほしいかを判定していただきたいのです」
「はぁ……まぁ……仕方ないな」
やらないという選択肢はどう考えてもない。依然として何を企んでいるか読めない陽依の手料理を食べるのには抵抗があるが、まさかここで毒を盛るようなことはあるまい。
現段階では、俺の排除よりも俺に近づく女性の排除を優先しているようだし、調理の様子をちゃんと見ていれば、変なものを入れられる心配もない……はず。
ともかく、二人に俺の意思を伺うつもりがない以上、俺は黙って出された料理を食うしかないのだ。ここは首を縦に振る以外にどうしようもない。
「じゃあ、今から買い物に行って、一時間半後にここに戻って来るってことでいいかしら?」
「一時間半ですか……わかりました。ではそれで」
「レシートは材料費の判定に使うから貰ってきなさいよ?」
「わかっていますよ」
そうして二人は、よーいドンで調理室を飛び出し、弁当作りの材料を調達しに行った。
「……これ、ここで帰ったらどうなるんだろう」
部屋に一人取り残された俺は、ふとそんなことを考える。
あの二人はどちらも俺を利用しようと考えているはずだから、その俺が二人ともを拒絶する素振りを見せれば、手を組むなんてことも考えられるな。
あの二人をまとめて敵に回す……なんて考えるだけでも恐ろしい。陽依だけでも厄介極まるのに、そこに松波まで加わるとなれば……今度こそ俺の青春は終焉するかもしれない。
そう考えると、やはりどちらかに勝たせて、しばらくは思うがままに利用されておくしかないというわけか。
中学の修学旅行の時も、その日だけはちゃんと付き合ってやったんだったな。少なくとも勝利の成果に見合うぐらいは相手してやらないと、角が立ってしまう恐れがある。
普通の高校生活を望む上で、人間関係の大きなトラブルは一番避けたいことだ。だから中学の時だって、肩書目当てで寄って来る人たちを露骨に拒絶したことはない。
俺の高校生活はまだ始まって一ヶ月しか経っていない。そんな中で、クラスにおいて絶大な影響力を持つ松波や、男子人気1位の陽依を邪険にするのは、他の生徒にだって良い印象を与えない。田村辺りが激怒すること間違いなしだ。
「となると、やっぱり逃げ帰るわけにもいかないよな……」
一応、俺にはこの諍いを収束させる義務があるのかもしれない。なんたって俺を巡っての争いだからな。俺がいなくてはどうにもならないし、決着をつけられるのは俺だけだ。
「だけどなんで俺に拘るんだろうなぁ……二人とも、別に争わなくたってそれぞれの目的を両立させることはできそうなものなのに……」
俺が陽依の将来的な会社での地位を保証することと、松波の学校内での地位を向上させることは全く持って矛盾しない。どっちも実現できる。余裕でできる。
だからちょっと話し合えば共謀できただろうに、やっぱり陽依が初手で煽ったのがいけないよな。アレは良くない。怒って当たり前だ。とても冷静な対応だったとは言えない。
それも陽依の頭に血が上っていたからだ。だから彼女はあんなにも幼稚な挑発を繰り返したわけで、だったらじゃあ、なんであいつはそんなに怒ってたんだって話になる。
「自分の部屋に入られるのがそんなに嫌だったのか……でも、前に松波を家に上げた時はそんなに怒ってなかったよな……ちょっと不機嫌だったけど」
うーむ、わからん。やっぱり他人が何を考えているのかなんて推測するだけ無駄なんだろうな。わからないものはわからない。どれだけ考えても答え合わせができないんじゃ予想の域を出ないしな。
ともかく俺は二人の料理を食って、旨いか不味いかの判定をするだけだ。一応審査員を任されたからには公平に、どっちが勝っても俺にとっては大差ないわけだし、贔屓なしで決めさせてもらうとしよう。
「……まだ五分も経ってないのか」
呼び出されたと思ったら一時間半も放置されるというのは……なんとも耐え難い虚しさのようなものがあるな。所詮は俺なんて肩書だけの存在。置物みたいな扱いをされて当然と言える。
俺が普通の学校生活を送れていたのは、誰もが肩書なんて理解していなかった小学校低学年くらいまでだったかなぁ……。
……なんて、夕方の校舎はちょっとノスタルジックな気分にさせてくる。遠くから聞こえてくる運動部の掛け声も、高校生らしくて悪くない。案外、誰もいない教室で何もせずジッと待つだけというのも、そう悪くはないのかもしれないな。
そんな感傷に浸りながら、俺は二人の厄介者が食材を手に戻って来るのを待った。
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