第15話 俺は今日、ここで死ぬかもしれない
ゴールデンウイークという名の、ただの連休がやってきた。こういう長い休みは稼ぎ時だ。色々なバイトをこなしながら、高校生活を快適に過ごすための軍資金を調達しなくてはならない。
高校生なら、休みの日には部活に励むのもいいだろう。俺の通っていた中学でも部活はあったが、俺はどこにも所属していなかったため経験がない。
部活動なんて学生の間にしか体験できないし、かなり強い憧れはある。しかし俺だって全てを得られるとは思っていない。
親の手を借りずに普通の高校生活を送るには、空いた時間はひたすらバイトを入れるぐらいでなくては経済的に成り立たない。そこに部活動を掛け持ちするのは物理的に困難だ。
部活に所属していない生徒だって大勢いるし、普通の高校生活を望む上で必須というほどではない。というわけで俺は泣く泣く部活を諦め、労働に精を出していた。
平日はゆとりをもって過ごせるよう、連休中は朝も昼も夜もギチギチにシフトを入れ、働きまくっていたのだが、今日だけは丸々オフにしておいた。以前した約束を果たさねばならないからだ。
「────それじゃあ、お邪魔します」
普段見る制服姿ではなく、私服に身を包んだ松波が部屋に上がる。白のブラウスに青みがかったスカートと、バスケットを持って草原にでも立っているのが似合いそうな爽やかな服装なのだが、残念ながら彼女が今いるのはボロアパートの汚部屋だ。
そして俺の方はいつもと変わらず制服だ。なぜ学校に行くわけでもないのに制服を着ているのかと言えば、まともな私服を買う金がないからである。
「相変わらず汚いわね」
「少しは綺麗にしたつもりだったんだが……焼け石に水だったか」
「掃除は習慣的にやらないと駄目よ。私が来るからって直前で掃除したって意味ないんだから」
「ううむ……全くもってその通りだな。反論のしようもない」
同じ部屋の中でも、陽依のテリトリーである奥の半分は比較的綺麗にしてある。対して俺のテリトリーである手前側は完全にゴミ屋敷だ。
前に住んでいた家でも、俺の部屋は散らかり気味だったので、環境を言い訳に使うことはできない。部屋が汚いのは純粋に俺の怠慢だ。
「じゃあ早速、掃除しましょうか」
陽依はそう言って袖をまくり、近くに置いてあったゴミ袋を掴む。
「掃除? でも、これは一応、料理のお礼のつもりなんだが……」
今日、松波を部屋に呼んだのは、あれから毎日弁当を作ってくれているお礼として何をしてほしいか聞いたところ、また部屋に招待してほしいと言われたからだ。
以前ここで遭遇した時から、陽依と松波の間にはどうも不穏な空気が漂っている気がしたので、約束を果たすためには陽依のいない隙を伺う必要があった。それで、陽依のスケジュールをそれとなく確認し、この日に決まったというわけだ。
「掃除は私がしたくてするんだからいいのよ」
「それじゃ料理の時と言ってることが同じじゃないか……?」
「それに、どうも放っておけないのよ。あなた、もっとしっかりしていると思っていたのに結構ダメなところあるし。私がいないといつまでも汚い部屋で体に悪いご飯食べてそうだし」
「そ、そんなことは……」
無いとも言い切れないか。
今までほとんど全て、身の周りのことは使用人にやらせてきたのだ。それをいきなり全部自分でやるなんて言っても、上手くいくはずもない。
春休みの間に独り暮らしのためのスキルは粗方身に着けたつもりだったが、現実はそう上手くいくものでもない。わからないことだらけで右往左往する日々だ。
「大丈夫よ。私は弟の世話でこういうの慣れてるんだから。全部私に任せちゃいなさい」
松波はテキパキと作業を進めていき、足の踏み場もなかった空間が急速に片付いていく。
「あ、これは分別しないとだめよ。これは燃えないゴミだし、こっちはバラバラにしてから捨てないとかさばって邪魔になるわ」
俺にしてみれば、まさしく職人技とでも呼ぶべき手際だった。ただゴミを捨てるだけでもここまでの差を実感するものなのか。
生活力、あるいは家事力とでもいうのか。それにおいて俺はまだまだ未熟であったということを思い知らされた。
ここまでされてしまえば、もう「止めろ」などとは言えない。彼女の仕事ぶりを見て覚え、今後は自分でできるようにしなくては。
「何? そんなにジロジロ見て」
「この機会に勉強しておかないとな。毎度毎度お前の世話になるわけにはいかない」
「心配しなくても、私は何度でもあなたのお世話をしてあげるわよ?」
「何度でもって……」
「というか、私がいなきゃ暮らしていけないんじゃない? あなたには私が必要なのよ。料理も掃除も洗濯も、面倒なことは全て私がやってあげるわ。だから安心していいのよ?」
松波はせわしなく動いていた手を止め、穏やかな笑顔のまま詰め寄って来る。有無を言わさぬ迫力に気圧され、俺は小さく頷くしかなかった。
「わかったらそこで座っていなさい。あなたの部屋だって、私がちゃんと隅々まで綺麗にしておいてあげるから」
それから彼女はこっちが口を挟む隙すら与えず、猛烈な速度で俺の部屋を片付けていった。次から次へと物がゴミ袋の中へ吸い込まれていき、少しずつ床に敷かれた畳が見えるようになってくる。
「────さて、じゃあそろそろ休憩にしましょうか」
二人が座れるほどのスペースが確保できたところで、松波がふぅっと一息つく。
「ああ、じゃあそろそろ昼だし、何か飯でも……」
「私がやるから大丈夫よ。あなたは座って待ってて」
「い、いや、でも、掃除してもらったし……」
「だから言ってるでしょう? 私に全て任せてくれればいいのよ。そうすれば私があなたの身の回りのことは全部やってあげるんだから」
松波は鞄の中から弁当箱を二つ取り出し、引っ張り出したちゃぶ台の上に置く。
「こうなるだろうと思って、もう用意しておいたのよ」
蓋を開けてみると、中身はいつもよりもさらに気合の入った弁当。休日ということもあり、かなり凝った料理も多い。中には学生が食べる弁当には明らかにそぐわないような高級品や、異様に手間のかかった物もある。
特に目を引くのは、白米の上に海苔を駆使して描かれた似顔絵だ。
「これは……ひょっとして」
「そう、広政君の顔よ。どう? よくできてるでしょ? 私、こういう細かい作業得意なのよ」
確かに素晴らしい出来栄えだ。海苔を切って乗せるなんて、キャンバスに筆を走らせるのとは訳が違うだろうに。俺の顔だとちゃんと判別できるクオリティに仕上げている。
しかしなんというか……食べづらいというか、ちょっと不気味だな。
「さあ、食べてみて? 私の気持ちがたっぷり込めてあるから、しっかり受け取ってね?」
自分の顔に箸を突き立てるのはどうも気が進まないが……残すわけにもいくまい。
俺は端の方から一口摘まみ上げ、口へと運んだ。
「────何をしているのですか? お兄様」
ここにいるはずのない人の声が聞こえ、思わず体が跳ねる。恐る恐る振り返ってみると、感情のない笑顔を浮かべた陽依が立っていた。
「あらあら、ひょっとしてお弁当ですか? お兄様がそんなお弁当を作られるなんて意外ですね。料理は苦手だと思っていましたが」
「……これは、松波が────」
「まさかとは思いますが、そちらの方が作られたものではないですよね?」
陽依は俺の発言を封じるように、被せて言う。
「私、記憶力に自信があるわけではありませんが、お兄様の発言は絶対に忘れないのです。あれはドーナツ屋にて、昼食をご一緒した時のことでした。私がお兄様のお弁当を作ることを提案した際、お兄様はこうおっしゃいました。自分の飯ぐらい自分で準備する……と。お兄様がそう言うならと、私は引き下がりました。お兄様も覚えていらっしゃいますよね?」
「あ、ああ、そうだな。確かに言った」
「ですので、お兄様が他人の作った料理を口にするなんてことは有り得ないのです。なにせ妹である私の提案を断ったのですから。私の敬愛するお兄様に二言はありません。あの時の答えだって、深いお考えがあってのことだったはずです。もう一度お聞きしますね、お兄様。そのお弁当、『まさかとは思いますが、そちらの方が作られたものではないですよね?』」
平和な国に産まれ、裕福な暮らしをし、生きていくのに苦労をした経験もなく、命の危機を感じたことなどない俺だが、生物としての危機察知能力が死んでいるわけではないようだ。
背中を伝う冷や汗、煩いほど高鳴る鼓動、全身に突き刺さる殺気、狭い部屋を支配する剣呑な空気。それら全てが俺に告げている。
────俺は今日、ここで死ぬかもしれない。
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