第13話 一生懸命頑張るわね
他人の手料理を食べるのなど何年振りだろう。
胃が受け付けなくなるほどの強烈なトラウマになっているわけではないが、強い抵抗があるのは事実だ。しかし将来的なことを考えると、いずれは克服しなければならない問題でもある。
「じゃーん、どう? 良い感じでしょ?」
翌日、彼女の風呂敷は昨日よりも一回り大きくなっていた。その中から登場した二つの弁当箱の内、大きい方の蓋を開けると、そこには彩り豊かな食材たちが所狭しと並んでいた。
「料理には自信があると言うだけあるなぁ……流石だ」
料理なのだから味や栄養は大切だと思うが、優れた技術を持つ料理人なら見た目も綺麗にしてみせることだろう。
この弁当を見る限り、松波の腕前は相当なものだ。まだ口に入れてもいないのにもう既に旨い。見ているだけで満足できるくらいだ。だからこのまま蓋を閉じて彼女に返却したいところだが……。
「さあ、食べてみて」
ワクワクしながら俺が箸をつけるのを今か今かと待っている松波に、やっぱり食べたくないなどと言って弁当箱を返すことなどできるわけもない。
せっかくこうも上等なものを作ってくれたんだ。料理のことは詳しくないが、こんなものが数分で用意できるわけもないことはわかる。朝早くに起きて、気持ちを込めながら、長い時間をかけて作ってくれたに違いない。
それに口をつけることもなく返すなど、甲斐性なしにもほどがある。松波を全面的に信用するわけではないが、腹を括らねばならない時というのはある。
「じゃあ、卵焼きからもらおうかな」
弁当箱の端に鎮座する黄色の直方体を、箸で掴んで口に放り込む。
「ど、どうかな」
松波が感想を求めてきている。自分が一生懸命に作った料理がどんな評価を下されるのか、気になって仕方ない様子だ。
だがどうしよう……全然わからん。旨いのか不味いのか全くわからない。長らくまともな飯を食ってなかったせいか味覚が馬鹿になったみたいだ。ただ、卵だなぁという感想しか湧いてこない。
「すごく、良い感じだな」
もうちょっと具体的な食レポをするつもりでいたのだが、口から出て来たのは当たり障りが無さ過ぎて逆に角が立ちそうな感想だった。
「すごく良い感じって……どんな風に?」
当然こんな小学生の読書感想文を水で百倍に希釈したような薄味の感想で満足してくれるはずもない。それは頑張りの対価としてあまりにも安すぎる。納得できない松波は困ったように眉を下げながら更なる評価を求めてくる。
「ううむ、その、なんというか……」
もっと味について細かく触れることを求められているのはわかっている。しかし俺の馬鹿舌では、ピントのボケた感想しか言えそうにない。
「あ、あれだな。愛情が込められてる味がするよ」
ならばここは味覚についての言及を避け、精神的な方向性に持っていこう。これなら俺が一切味についてはコメントしていないことを誤魔化せるだろ。
「…………あ、愛……⁉」」
そう思ったのだが、なぜか松波は俺の感想を聞いた途端硬直し、動かなくなってしまった。ひょっとして、味については触れていないことに気づかれたか?
「あ、あの、えと、私は……そういうつもりでいたわけじゃなく……いや、そういうつもりもなかったわけじゃないけど……」
何を言っているか辛うじて聞き取れるほどの早口で喋りながら、松波は両頬を手で抑えて悶絶している。
「ど、どうした……?」
「ち、違うのよ。私は……その……あ! ひょ、ひょっとして重かったかな……?」
「重い?」
重いって、弁当のことか。確かに量は多いな。しかし俺だって男子高校生。これぐらいの量で重いと感じるほど少食ではない。
「全然そんなことないぞ。むしろもっとあってもいいぐらいだ」
「も、もっと……?」
松波は意表を突かれたように目を丸くする。
「ああ、ごめん。わざわざ作ってくれたのにケチをつけるつもりはないんだ。すごく良かったよ。ただ、ただ俺の舌が馬鹿だからあんまり的を射た感想が言えないだけなんだ」
「う、ううん。こっちこそごめんなさい。あなたに喜んでほしくて作ったのに、変にプレッシャーをかけてたわ。褒められたいって、思いすぎてたのかも……」
「評価を求めるのは作った側として当然の権利だ。謝る必要なんてない。食事を作ってもらっておきながらズレたことしか言えない俺が悪いんだ」
固まっていた松波の表情がほぐれ、微笑へと変わる。彼女の料理の腕が良いのは確かなんだ。そこがちゃんと伝わったようで良かった。
「じゃ、じゃあ……気に入って……くれた?」
「もちろんだ。これならいくらでも食べられる」
思いのほか抵抗感なく喉を通ってくれたからな。いくらでも食べられそうだというのは本心だ。
「な、なら明日も作って来るわね! なんだか、あなたの食生活は私が思っている以上に荒んでるみたいだし」
「それについては否定できないな」
「ちゃんと一日三食、栄養のあるものを食べないと駄目よ?」
「わかってはいるんだが……一食抜けば、一食分の食費が浮くと思うと、どうしても食事の回数が減ってしまうんだ」
「……呆れたわ。あなた、そんなにギリギリの生活をしているの?」
「あまり余裕はないかな。けど、暮らしていけないほどじゃないぞ。卒業まで生きていくことはできるはずだ」
「それは当たり前でしょう⁉ 生きていくことさえ困難なレベルだったら流石に放っておけないわよ」
実際、そこまで追い込まれるようなことになれば、きっと強制的に家に連れて行かれることになるんだろうな。そうなれば俺の青春はゲーム―オーバーだ。人生最大の目標は叶わぬまま終わることになる。
「なおさら私のお弁当が必要じゃない! 私が作ってくれば、食費だって節約できるし、栄養も取れる。ついでに委員会の打ち合わせとかもできて、良いこと尽くめでしょう?」
「そ、それは……そうかもしれないが……」
「だったら今後は毎日作ってあげるわ。それでいいでしょう?」
「ま、毎日⁉ それは流石に申し訳ないというか……」
「平気よ。どちらにせよ自分の分のお弁当は作ってるんだから。そんなに手間は変わらないわ」
「そうは言ってもな……」
思ったよりも食べられそうだというだけで、まだ他人の手料理への抵抗感が消えたわけではない。
しかし彼女の言う通り、食費の問題は大きい。栄養バランスだって馬鹿にはできない。もし体調を崩して入院するようなことがあれば、もうこの生活を続けていくことはできないだろうし、普通の高校生活など夢のまた夢となる。
俺の目標を達成するためには、どちらにせよ食事問題はどうにかしなくてはならない。陽依は仕送りを貰っているようで、食費に困っている様子はないが、俺はかなりカツカツなんだ。
「それとも、嫌……かしら?」
不安げに潤んだ瞳が、俺の顔色を窺っている。
「嫌なんかじゃない。すごくありがたいよ」
あ、しまった。つい無責任なことを。
「なら良かった。私、頑張るわね!」
松波は拳に力を籠め、張り切った様子でそう宣言した。
彼女が頑張ると言ったなら、絶対にそれは成し遂げられる。逆に言えば、成し遂げられるまで彼女は頑張り続ける。毎日昼飯を作ると言ったなら絶対に作るし、作れるように努力してしまう。
それが迷惑ということはないが、何が入っているかわからない料理を食べる緊張感を今後は毎日味わわなくてはならないとなるとやはり気が重い。
しかし委員長に毎日お弁当を作ってもらえるなんて、田村辺りが知ったら血の涙を流し、唇を噛み切って妬んできそうだ。
普通の男子高校生なら羨んで当然なこのシチュエーションを、できれば避けたいと考えるなんておかしな話か。
「ああ、じゃあ頼んだ。でも一方的に貰ってばかりなのも悪いから……そうだなぁ、俺に何かしてほしいことはあるか?」
「してほしいこと? いいわよ、別にそんなの。料理は私が好きでやってるだけなんだから」
「そうはいかない。働きには対価があるべきだ。松波が俺に弁当を作ってくれるなら俺はそれに見合う対価を支払わなくてはならない。そうじゃないと、俺が松波の仕事を正当に評価してないことになる」
「……そこまで考えてるんだ」
松波は腕を組み、目を閉じて悩み始めた。
「……じゃあ、もう一度家に招待してほしい」
「家に?」
あの古臭いボロアパートに来たいというのか。住人である俺がいうのも何だが、あんなところに好き好んで入りたがる人間が存在していたとはな。
「別に構わないが、そんなことでいいのか?」
「いいのよ。その約束を守ってくれるのなら、お弁当を作ってきてあげるわ」
「……わかった。お前がそれでいいと言うのなら」
対価として釣り合っているとは思えないが、欲しがっていない物を渡しても仕方がないし、本人の望みとあらば仕方ない。
「くふふ……私、あなたに気に入ってもらえるように……一生懸命頑張るわね」
こうして俺は今後、昼飯は松波の作る弁当を食べることとなった。
これで当面は食費の心配がなくなるわけで、目標の達成に一歩前進したと言ってもいいのかもしれない。ただなぜかあまりそういう気はしないというか、そこはかとない不安に駆られる。人間はそう簡単には変われないということだろうか。
しかし高校生活は三年しかないのだ。長いようで短いこの期間が終わる前に信頼できる女性を見つけ出すためにも、克服すべきところは早めに克服しなくては。
────まあ、なんにせよ彼女が俺の探している相手だってことは無さそうだが。
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