真面目な委員長には悩みがある
第12話 家族なら一緒に食卓を囲むものだわ
入学から二週間が過ぎた頃、一年二組の生徒が早くも一人、転校したという知らせが学校中を巡っていた。
その理由は不明。比較的仲の良かった友人たちもまったく事情を知らないとのことだった。
このニュースは生徒数の少ない田舎の学校に、それなりの衝撃をもたらしたが、三日もしない内に誰も口にしなくなった。
少し時期が早いものの、誰かが転校していなくなったなど、別に珍しい話もでもなんでもない。人々の興味はあっという間に失せ、仲が良かったはずの友人たちもすぐに別の生徒と仲良くなり始めた。
かくいう俺も、いなくなった生徒の顔がおぼろげになりつつある。ハッキリ言ってしまえば、一度も喋ったことのない女子生徒がいきなりいなくなったとしても、それは俺にとってどうでもいいことだ。
だがどうでもよくないこともある。それは彼女をこの学校から追い出したのが、陽依であるということだ。
どうやって追い出したのかを気にする必要はない。そんな手段は今、この場で思いつくだけで無数にあるからだ。肝心なのはなぜ追い出したのかの方である。
通り魔みたいな感覚で、目についた生徒を適当に排除したわけではあるまい。何か追い出さなくてはならない理由があったからこそ、陽依は行動に出たはずだ。
「はぁ……こうやってゴチャゴチャ考えてる時点で思うつぼかもな……」
陽依が同じ高校に来たせいで、最近の俺は頻繁に頭を悩ませている。陽依が何を企んでいるのかわからず、考え得る限り様々な想定をして、結局どれも的外れに終わって無駄な労力と時間を消費する。
これでは陽依に良いようにされているだけだ。こうやって細かいことを気にして、警戒を怠らないのは悪いことではないが、その結果考えすぎてしまうのは俺の悪い癖でもある。
ここはもっと堂々としていよう。もうそろそろ五月に突入してしまうが、俺は待ち望んでいたはずの平穏な学校生活をまったく楽しめていない。
これではあっという間に半年、一年、三年と時が過ぎ去り、求めたものは二度と手に入らなくなってしまう。そんなことにならないよう、俺はもっと図太くならなくては。
「────広政君」
昼休み、校舎裏のベンチにて。カップラーメンを啜っていた俺の前に、松波が立っていた。
「隣、いいかしら?」
「どうぞ」
松波は尻を撫でるようにしてスカートを抑え、腐りかけのベンチに腰を下ろす。
「どうしてこんなところでご飯を食べてるの?」
「ここは静かでいいだろ?」
「確かに静かだけど……」
ここは校舎裏なだけあって日当たりは悪く、ジメジメしている。あまり快適とは言えない環境だ。わざわざそんなところを選んで飯を食っていたら、不思議に思うのも無理はない。
食事中、近くに誰かがいるのが嫌で、こうして人の気配のしない場所を選んで昼飯を食べていた。しかしたった今、あまり細かいことを気にしすぎないようにしようと決めたばかりだ。
真面目な性格、溢れ出る知性、可憐な顔立ちから、男子の間ではかなり人気の高いクラスのリーダー、松波真美から隣で食事をしたいと言われ、それを固辞するというのは彼女のいない男子高校生なら普通はしない。するはずがない。
普通の高校生活を送りたいのなら、まず自分が普通の高校生になる必要がある。その一環として、俺は松波が隣に座ることを了承した。
「風に当たりながら飯を食うのは気持ちがいいだろ。他にも場所はあるが、良い場所には人が多いからな。こうして静かに過ごすならここが一番なんだ」
そんな事情を正直に話すわけにもいかないので、風に当たりたいからという適当な理由をでっちあげておいた。
「……ひょっとして、私、邪魔しちゃった?」
「えっ?」
「なんか迷惑そうだったから、一人で食べるのが好きなのかなって……」
「俺が静かな場所を選ぶのは、その空気に馴染める自信がないからだ。一人が好きでこうしてるわけじゃない」
本当は、一人じゃないと安心して食べられないだけだけどな。
昔、俺に手料理を作ってくれた女性がいた。幼かった俺は特に疑いもせずに食べたのだが、その直後に急激に眠くなり、意識が飛んだことがあった。
あの時は会社の人が近くにいたおかげで何ともなかったが、何か薬を入れられたんだということは当時の俺でもすぐにわかった。
あれ以来、俺は人の手料理が苦手になった。自分で作った物か、何かを混入させる余地のない物──例えば缶詰や、大量に用意された物の中から自分で無作為に選んだ物など──じゃないと食べる気が起きない。
俺の食べ物に他人が手を出せる環境、つまりは大勢での食事も同じだ。何か入れられるかもしれないと思うと落ち着かない。こんな人気のない場所で一人寂しくラーメンを啜っているのはそれが理由だ。
けれどいつまでもそのままでは、俺の目的は達せられない。これはちょうどいい機会だ。まずは松波を相手に、少しずつ慣れていくことにしよう。
「だから迷惑なんかじゃないぞ。むしろいてくれてありがたいくらいだ。俺も話相手がほしかったからな」
「そう、なんだ。えへへ、私もちょっと広政君とお話がしたくて来たのよ」
彼女はそう言って可愛らしく舌を出しながら、持っていた風呂敷を広げる。すると中から小さな弁当箱が顔を覗かせる。
「それは自分で?」
「ええ、料理は得意なの。あなたは料理しないの?」
「しないことはないが……得意ではないな」
そう答えながら、昨日作った夕飯が俺の頭に過る。
毎度のことだが、アレは美味しくなかったなぁ。高校に入学してからは高頻度で自炊をしているが、一向に上達する気配がない。高くつくので頻繁には買えないが、カップ麺が極上の旨さに感じる。
「なら陽依ちゃんは? 料理はするの?」
「……さあ? 多分できると思うが」
「多分って、一緒に住んでいるのでしょう? 普段はどっちが料理してるの?」
「自分で食べる物は自分で作ってるな」
「えぇ? 一緒に食べないの?」
「……食べないな。変かな」
「変だわ」
躊躇うことなく、即座に肯定される。
「兄妹二人で住んでるのに、別々にご飯を食べるなんて変よ。家族なら一緒に食卓を囲むものだわ」
「そういうものか」
家族全員で食事をした記憶などないな。どれだけ過去に遡っても、一度たりともそんな覚えはない。だがそれは俺にとって当たり前のことだ。変えたいとも思わない。
俺がしたいのはあくまでも普通の高校生活であって、家庭環境に関しては異常なままでもいいと思っている。というより、このままにしておいてほしい。今さら家族らしく仲良くしろと言われた方が困ってしまう。
「でも、その……悪口を言うつもりはないのだけど……陽依ちゃんは少し怖いところがあるから、距離ができてしまうのもわかる気がするわ」
松波は言いにくそうに声を潜め、うちの妹について語る。
「それは俺も同感だから気にしなくていいぞ」
「やっぱり、仲悪いの?」
「そうだな。良くはないな」
兄妹仲が不穏であることはあまり外部の人間に話すべきことではないが、あの場を見ていた松波に対しては、変に取り繕う必要もなかろう。
「はぁ……陽依ちゃんは何を考えてるのかよくわからないし、姫花ちゃんは何も言わずに転校しちゃうし、うちのクラスは前途多難だわ」
「学級委員長だからって、クラスの問題を何から何まで全て解決しないといけないわけでもないからな。そう気負う必要もないだろ」
「そうだけど、出来る限りどうにかしたいじゃない。私だって、何でもできると思っているわけではないわ。だからって、諦めてもいいというわけじゃないと思うのよ」
やはり、松波ならそう言うと思った。
この突き抜けて真面目な性格は、きっと損することの方が多いんだろうな。
引き受けなくてもいい面倒事を引き受けて、放置しておけばいいトラブルに首を突っ込んで、無視すればいい悩み事を解決しようと奔走している姿が目に浮かぶ。
そして副委員長である俺は、そんな彼女の隣にいるわけだ。楽そうだと思っていたあの頃の自分にラリアットをかましてやりたい。
「私は一年二組を良くしていきたいのよ! あなたもそう思うでしょ?」
「そ、そうだな。思う」
「思うわよね⁉」
「思います!」
耳元で大声を出され、反射的に叫んでしまった。我ながら良い返事だ。
「そのためには、まず副委員長であるあなたがしっかりしないと駄目よ」
「おっしゃる通り」
「まずはちゃんと料理ができるようになりなさい。そんな健康に悪そうなものを食べていたら、体調を崩すかもしれないわ」
「……料理か。自信がないな」
食える物は作れるが、旨いものは作れない。自炊生活はわずか一ヶ月足らずではあるが、自分にセンスがないことはわかっている。今後どれだけ練習したとしても人並み以上にはなれないだろう。
「意外と頼りない所があるのよね……あ、じゃあ、私が作ってきてあげるわ! ちゃんと栄養バランスを考えた食事をね! それなら問題ないでしょう?」
「え? ちょ、ちょっと待て。それは……」
「大丈夫よ。心配しないで。味は保証するわ」
「いや、味というか、それ以前の問題というか……」
「何? 私の料理は食べたくないの?」
松波は不安げな目で俺を見つめている。こうなってしまえば、もう俺に断る選択肢など残されていない。
「……わかった。なら、お願いしようかな」
「はい、お願いされました」
満面の笑みで頷く彼女を見て、俺は苦笑いを浮かべる。
何か薬を入れられる心配は極めて低いと思うが、気は乗らない。だが俺だって少しずつ変わっていかなくてはならない。
家を飛び出し、こうして全く知らない土地の高校に入学したんだ。このチャンスに色々なものを克服していかなくては、いつまで経っても信頼できる相手を見つけることなんてできない。普通の恋愛なんて夢のまた夢だ。
「それじゃ、私はそろそろ戻るわ。また放課後の委員会でね」
松波は空になった弁当箱を包み、小さく手を振りながら駆け足で去って行った。俺はその挨拶に軽く手を挙げて応える。
ふと視線を手元に落とすと、彼女との会話に集中するあまりしばらく放置してしまっていたカップ麺が、拗ねた様子で俺を睨んでいた。
「……今度から、昼にラーメンはやめるか」
ぶよぶよに伸びた麺を噛みながら、俺はそう心に誓った。
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