第11話 あなたも私の邪魔をする人ですか?
てっきり部屋の主が帰って来たのだとばかり思っていた俺たちは、陽依の登場に意表を突かれる形となった。
陽依は俺の顔を見て、その後に続いて部屋から出て来た松波を見る。
「…………あら、そちらは委員長の……松波真美さんでしたか? 今、私たちの部屋から出てきたように見えましたが、何をしていたのですか?」
「それを聞きたいのは俺の方だ。お前、その部屋で何をしてた?」
「ここは私の友人の部屋ですから。少し様子を見に来ただけです。鍵が開いていたので中に入ってみたのですが、どうやら留守のようで誰もいませんでした」
特に間を空けることもなく、すらすらとそう主張してくる。これが即興のデタラメなのだとすれば大したものだ。
「えっ、陽依ちゃんって姫花ちゃんの友達だったの?」
「ええ、そうですよ。それが何か?」
「ああ、いや、全然知らなかったなぁって。それなら陽依ちゃんにも声をかければ良かったわね」
松波は陽依の言うことを信じたようだ。当然と言えば当然か。普通の高校生なら相手が嘘を吐いている前提でものを考えたりしない。
数多くの裏切りや謀略に触れてきた俺だからこそ、まず相手の発言を疑ってかかるんだ。何を企んでいるのか、何が目的なのか、何を隠しているのか、それらが自分にどのような影響を及ぼすのか。人と会話をする時はいつだってそんなことを考えている。
これは言ってしまえば俺の悪癖なのだろう。人を疑うのは良くないことだ。他者の純粋な気持ちに悪意を見出そうとする行為が褒められたことであるはずもない。
しかしこの癖を修正するつもりはない。真に心を委ねられるほど、信頼できるパートナーが見つかるまで、俺は自分以外の全てを疑い続ける。だから妹のこの発言だって嘘だと決めつけるし、簡単に鵜呑みにした松波のことも警戒する。
この二人が共謀し、俺の部屋に上がり込む口実を作ったのではないだろうか。だが前から陽依は普通に住み着いているし、わざわざこんなことをするメリットはない。
ならば俺が松波を部屋に連れ込む瞬間を写真に収め、さも淫らなことをしたかのような噂を流し、俺を追い詰めるという線はどうだろう。
これなら考えられなくもないが、俺が成人男性だったならともかく、高校生の男女が部屋に二人きりになったところで脅しの材料にはなるまい。
影響が出るとしても、ただしばらく校内で浮いた噂が流れる程度のことだろう。それだけならむしろ青春の一端らしくて、俺としては悪い気分にはならない。
またしても、よくわからないという結論を出すしかないようだ。確実に何かをしているのに、その何かが全くわからないというのは不気味なことこの上ない。いっそここは、もっと直接的に探りを入れてみるべきか。
「お前に友達なんていたのか? いつも俺にくっついているような気がするが」
「私にも友達ぐらいいますよ。けれどお兄様と私との間で、友達の定義に齟齬がある可能性は否めません。お兄様の基準で言えば、私に友達なんていないのかもしれませんね」
当たり障りのない無難な回答だな。この程度でボロを出すようなことはしないか。
「それよりもお兄様。私の質問にお答えいただきたいのですが」
俺が次の手を考えている隙に、今度は陽依が攻勢に出る。
「えっとね。私がお願いして────」
「あなたには聞いていません。私はお兄様に聞いているんです」
陽依の問いに松波が答えようとしたところ、陽依は隠す気の全くない敵意で威嚇して黙らせた。
とても演技には見えない。この二人に繋がりはないのか。どちらかと言えば、陽依が俺と松波の繋がりを警戒しているように見える。
逆の立場だったらどうだろう。俺の知らない内に、陽依がクラスメイトを家に連れ込んでいたとしたら。十中八九、部屋の中に何かを仕掛けたと思うだろう。それと同じことを陽依も考えているのかもしれない。
だとしても、ここまで露骨に敵意を剥き出しにする意味はなんだ。松波は俺たちのクラスの委員長。敵に回しても得なことなど何一つないというのに。俺と松波が裏で協力関係にあることを疑うのだとしても、表面上はただのクラスメイトとして無難な対応を取っておくべきじゃないのか。
となると、陽依はもう俺と松波の繋がりを確信しているのかもしれない。それは事実ではない以上、早計だと言わざるを得ないが、陽依からしてみればそう断定してしまうのも無理はない状況だ。
「お前の友達に用があってな。帰って来るまで待とうと思ったんだが、外で待ち伏せるのも迷惑になるだろ? だから部屋に上げたんだよ」
「……へえ、それで物音がしたから出て来たと?」
「そういうことだ」
陽依が俺の言葉を信じるかどうかはわからない。しかし松波の前で変な嘘を吐く意味もないので正直に答えておいた。
「……それで、用とはなんです?」
「欠席が続いてるようだからな。様子を見に」
「様子を? なぜお兄様がそんなことを?」
「一応副委員長だからな。委員長の仕事を補佐するのが俺の仕事だ。学校に来ないクラスメイトの様子を確認しに行くのは自然なことだろ?」
「……なるほど。そういうことでしたか」
言葉では納得を示した陽依だが、依然として俺と松波を交互に睨み続けている。俺がどこまでいっても陽依の言葉を信じないのと同様、彼女もまた俺の言葉を信じるつもりはないらしい。
「あ、あの、私も話していいかな?」
俺と陽依が睨み合いながら沈黙していると、そこへ割って入るように松波が小さく手を挙げた。
「どうぞ」
陽依はぶっきらぼうにそう答える。
「ありがとう。……えっと、陽依ちゃんは姫花ちゃんの友達なんだよね?」
「そうですが」
「だったら、姫花ちゃんがなんで休んでいるのか、心当たりはない?」
「ありませんね。あっても教えません」
「そ、そう……」
松波はなぜ自分がこうも嫌われているのかわからず困惑しているみたいだ。多田羅家の事情を知らない彼女が混乱するのも無理はない話。
逆に言えば、こうもあからさまな態度を取っていれば、そこから俺たち兄妹の仲が悪いことに気が付き、家の問題にまで辿り着いてしまうことだって考えられるのだから、陽依にはもう少し自重してほしい。
「だったら、帰って来るのを待つしかなさそうね……」
松波は落胆し、ため息を吐く。クラスをまとめていこうと張り切っていた矢先、クラスメイトに理由もわからず拒絶されたとあっては、気落ちするのもわかる。
「それなら無意味だと思いますよ?」
落ち込む松波に追い打ちをかけるような言葉が飛ぶ。
「彼女はこの学校をやめることにしたそうなので。もう二度と学校にはいかないと思います。近い内に退学の手続きが正式に済むことでしょう」
「え……? ちょ、ちょっと待って。退学? どういうこと?」
「わからないのですか? 退学というのは、学校をやめて────」
「いや、そんなことを言ってるんじゃなくて、どうして退学なんてするのかってことよ! まだ入学したばかりなのに、やめるってどういうこと?」
「さあ? 私にもわかりませんね。世の中には入学初日に高校を中退する人もいるみたいですから。おかしなことではないんじゃないですか?」
陽依が放った「私にもわかりません」という言葉は明らかに嘘だ。
口角を持ち上げ、挑発的な笑みを浮かべながらヘラヘラと伝えるあの態度は、自分が嘘を吐いていることを隠そうともしていない。
「退学と言いましたが、この学校を去ってその後どうするのかは私も聞いてません。他の高校に行くのか、それとも別の道に進むのか……ひょっとしたら実家に帰って引き籠りになるかもしれませんね。どちらにせよ、もうここに帰って来ることはないでしょう。私は今日、お別れの挨拶をするつもりで来たんです。しかし彼女は既にここを引き払った後でした。中を確認してみますか? もう空っぽですよ」
陽依の言葉を信じ切れない松波は、自らの目で答えを確認するべく扉を開けて部屋へと踏み込んでいった。
「……で、お前は何をしたんだ?」
「私は何もしていませんよ。何かしようとしていたのは彼女の方です。私はそれを止めただけですから」
「……止めた? そのために退学に追い込んだと?」
「はい、その通りです」
松波がいなくなったからか、陽依は驚くほど素直に頷いた。
「────本当に何もないわ。出て行っちゃったのは嘘じゃないみたい」
部屋を確認して来た松波が戻ってきて、首を横に振る。
「はい、ですので学級委員長の仕事はもう終わりですよね? クラスメイトでもない相手に干渉する権利なんてないはずですから。これ以上私たちの部屋で帰ってくるはずのない住人を待つ必要はないので、早急にお引き取りください」
「で、でも私は────」
「それとも、あなたも私の邪魔をする人ですか?」
肉食獣のような野性味あふれる剣幕を前に、松波は冷や汗をかきながら一歩引き下がる。
中学二年生相当の年齢の少女とは思えないような迫力を放ちながら、陽依は松波の横を通過した。
「ささ、早く帰りましょう。お兄様。今日のお夕飯は私がご用意いたしますので」
「……必要ない。自分が食べるものは自分で用意する」
「まあまあ、そうおっしゃらずに」
この場の雰囲気に耐え切れなくなった松波は、顔を伏せたまま走り去っていった。かなり強引に松波を追い返した陽依は、満足そうにその背中を見送る。
「あれは……このままじゃ終わりそうにないな」
松波が意思の強い委員長であることを俺は知っている。そんな彼女が、陽依にいいようにやられたままで終わるはずがないだろう。間違いなく、もう一度二人は衝突することになる。
平穏な学校生活を送りたい俺としては、できれば阻止したいのだが……なぜこんなことになったのかもわからないままではどうしようもない。
一つ言えることは、俺の目的達成がまた一歩遠のいたということだけだ。
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