第10話 ここで帰って来るのを待ち伏せるのよ!
「ちょっと思ってたよ。そんな偶然あるわけないって言った時に。これは逆にあるパターンだなって」
それにしてもまさか隣の部屋だとは。このアパートには一体どんな仕事をしているのかもよくわからない謎の中年男性が数人住んでいるだけかと思っていたのだが、クラスメイトがいたとは驚きだ。
もちろん運命的な力が働いたとか、凄まじい奇跡が起こったとか、そんなことは考えていない。起こり得無さそうなことが起こった時は、まず人為的に引き起こされた事象であると考えるのが妥当だ。
確かにここは学校最寄りのアパートだ。しかしこんなボロアパートに一人で住むなんて、よほど特殊な事情で親元を離れ、経済的にも自立して生活することを余儀なくされた、図太い神経の持ち主だとしか思えない。そしてそんな奴が俺以外にもいるなんて考えにくい。
「そう言えば、どんな奴か聞いてなかったな」
「あら、言ってなかった?」
「俺が聞いたのは、三日学校に来てないってことだけだ」
「……そっか。そうだったね。ごめんごめん、うっかりしてたわ。えっと、名前は生方姫花ちゃん。赤いカチューシャをつけた茶髪の子よ」
「姫花……ってことは、女子でいいんだよな?」
「ええ、そうだけど」
だったらなおさら怪しいな。普通女子一人でこんな場所に住もうと思うか?
絶対にないとは言い切れないが、住んでいるのが俺の部屋の隣とあっては疑わざるを得ない。
俺が稲山高校に進学することを知り、同じ学校に進路を決め、偶然を装ってアパートの隣の部屋に入居した……と考える方がよほど自然だ。
だが果たしてそこまでするだろうか。上手く俺を利用すればうちの会社を乗っ取れるわけだし、俺に取り入ろうとすることはわかる。しかし勝算はそれほど高くないことなどわかり切っているはず。
にも関わらず、わざわざここまで手間をかけて同じ学校に来ておきながら、結局俺に全く接触してこないまま学校を休んでいる。
これは一体どういうことなんだ。ひょっとして本当に偶々クラスメイトが隣に住んでいたというだけの話なのか? それとも学校を休んでいる間に、部屋に籠って何かを準備している……?
……駄目だ。全然わからない。ここは当初の目的通り、様子を見るに留めておくのが一番いいか。
「うーん……おかしいわ。返事がない」
松波は何度もドアをノックしているが、中からリアクションは何もない。物音一つせず、電気も点いていない。本当に人が住んでいるのかどうか怪しくなってくるほど人の気配がしない部屋だ。
「留守みたいだな」
「学校を休んで、どこかに出かけてるってこと?」
「さあな」
「ご近所さんとして、何か心当たりはない?」
「ここにクラスメイトが住んでいると知ったのはたった今だ。行き先に心当たりなんてあるはずがない」
名前を聞いたことで顔はわかったが、やはりここらで見かけた記憶がない。最初の数日は学校に来ていたのだから、アパート前でバッタリ出くわしても不思議はなかったはずなのに。
「仕方ないわね……なら待つことにするわ」
「待つ?」
「ここで帰って来るのを待ち伏せるのよ!」
松波は鼻息を荒くしながら、固く拳を握って強い決意を示す。
「わざわざそこまでしなくてもいいんじゃないか? また日を変えて、改めて来てみればいいじゃないか」
「いいえ、このままじゃ彼女、きっと明日も休むわ。私は一日でも早く問題を解決したいのよ。何か悩みを抱えているなら相談に乗るし、ただのずる休みなら引きずってでも学校に連れて行く。私は生半可な覚悟でここに来ていないわ。今日中に不登校の原因を解消、あるいは解消するための目途を立てるのよ!」
語気の強さからは、彼女の本気度が伺える。
彼女は意思が強そうだ。やると言ったら本当にやり抜くだろう。いつ帰って来るかもわからない相手を待ち伏せて、一晩中でもここに留まりそうだ。立場的に、俺もそれに付き添わなくてはならないわけか。
「でも、こんなところで仁王立ちしてたら帰ってき辛いんじゃないか?」
ここはアパートの二階、外付けの廊下だ。玄関前に二人の高校生が突っ立っていることは、遠目にも簡単にわかってしまう。
どんな理由であれ、学校に来ていない生徒からしてみれば、同級生に会うのはできる限り避けたい事態だろう。
そんな中で制服を着た二人組がドアの前に立ちふさがっているならば、帰宅を避ける可能性だって出てくる。そうなれば、俺たちはいつまでも帰ってこない相手を待ち続ける羽目になってしまう。
「それもそうね……」
顎に手を当て、唸る松波。できればこれで諦めてほしいが、彼女の性格からすると一筋縄ではいかなさそうだ。
「そうだ。広政君、隣に住んでいるのでしょう? なら、部屋で待たせてもらうことはできないかしら?」
「……そうきたか」
確かに名案ではある。部屋の中に居れば気づかれる心配はないし、うちのアパートは壁が薄いので、隣人が帰宅すれば音ですぐにわかる。
ただ問題もある。出会ってから日が浅く、全く信用に足らない人間を部屋に入れることになるという点だ。
松波が真面目な性格の優等生であるということは、短い付き合いながら何となくわかった。しかし信用というのは、そう簡単に築けるものではない。
ただ時間が経てば良いというものでもないし、内面や心情を知ったからといってすぐに信じられるようになるわけでもない。
人を信じるにはどうしたらいいのか。その答えは俺が聞きたいぐらいだ。
だがここで断れば当然理由を問われるだろうし、信用できないからと答えるのは今後のことを考えると悪手であることは明らか。
かといって適当に誤魔化して拒否するにしても、それでは結局玄関前で待つことになるという問題は解決していない。
あちらを立てればこちらが立たず。どちらを選ぶにせよ、俺が何らかの妥協をするしかないようだな。
とはいえ、あの陽依と共同生活しているのだから、もはや些細なことを気にする必要もないかもしれない。家は既に安全地帯ではなくなっている。松波のことは信用できないが、陽依に比べればまだマシだと言えなくもない。
「散らかってるけど、いいか?」
「急に押しかけたのはこっちだもの。気にしないわ」
俺は松波を部屋に上げることを決め、玄関の鍵を回した。ギコギコと不安になる音を立てながら扉が開く。
「これは……」
部屋の中を見て、松波は息を呑んだ。
「気にしないと言ったこと、撤回するわ」
「……そ、そんなに汚いか?」
「汚いというか……人間が住んでいる部屋とは思えないほどゴチャゴチャしているわね」
一人で住むにも狭いぐらいの部屋に二人で住んでいるのだ。陽依が持って来た荷物は置き場に困り、段ボールに入れたまま廊下に積んであり、半身にならなくては前に進むことすらできない。
「これ、引っ越しの段ボール? こういうのちゃんと片づけないと虫が湧くわよ」
「そうなのか? まあ、ここはどちらにしても虫だらけだが」
山の目の前であり、壁も隙間だらけなので、虫が際限なく入り来んでくる。陽依なんて一日三回のペースで悲鳴を上げているくらいだ。
「まったくもう……布団は敷きっぱなし、洗濯ものは出しっぱなし。この水に浸してある大量のお皿は何? ひょっとして、使う時はここから取り出すとか?」
「ああ……まあ……そうだな。そこに出ている以外の皿はないから……皿が必要になったら洗ってから使ってる」
「ゴミもこんなに溜め込んで……分別も全くできてないじゃない! 駄目よこういうのはちゃんとしないと!」
松波は荒れ放題な俺の部屋をてきぱきと片づけていく。家事の経験など全くないのに独り暮らしを始めてしまったので、酷いことになっているという自覚はあった。
しかしこうして改めて問題点を羅列されると、自分の不甲斐なさを再認識させられて気が重くなる。
「しっかりしてると思ってたのに……家ではこんなにだらしないのね」
「す、すまん」
失望させてしまったのを申し訳なく思い、俯いていると、松波はクスクスと笑い始めた。
「な、なんだよ」
「ふふ……ごめんなさい。少し安心したのよ。広政君にもこんな弱点があるんだなって思って」
「俺は……弱点だらけだぞ」
「そうなの? ひょっとしてしっかりしてるのはイメージだけ?」
「そうかもしれないな」
「じゃあ、その分委員長の私がしっかりしないといけないわね」
松波はそう言って、得意げに胸を張る。誰も手を挙げたがらない中で、自ら立候補しただけのことはあり、彼女は頼もしい委員長になりそうだ。
俺も負けてはいられないな。平穏な学校生活を守るためにも、副委員長としての責務を全うしなくては。
まあ、あまり仕事に熱を入れても本来の目的から逸れてしまうのでほどほどに。あくまでも青春を謳歌することが優先だ。俺は自分を犠牲にして、クラスのために貢献しようとまでは思っていない。
だからこその副委員長だ。自分の青春のために努力はするが、率先して働くほどの意欲があるわけでもない。仕事は多すぎず少なすぎず、その絶妙なバランスに調整して立ち回るには、このポジションが最適なのだ。
そんな話をしていると、隣の部屋からゴソゴソと物音が聞こえてきた。
「どうやら帰ってきたようだな」
「思ったよりも早かったわね」
「用事が早く済むに越したことはない。話を聞くならサッサと行こう」
「そうね。行きましょう」
俺たちは部屋を出る。それと同時に、隣の部屋の扉も開き、中から一人の少女が顔を出す。
「────あら、お兄様」
現れたのは休みがちなクラスメイトではなく、悪魔のような笑みを湛える小柄な妹だった。
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