第9話 そんな偶然あるわけないだろ

 委員会等々決めておくべきことが決まり、ガイダンス的なものも終わって本格的な授業に入り、いよいよ高校生活が始まったのだという実感が湧いてきた。

 楽しみな反面、不安なこともある。それはもちろん陽依のことだ。今までも陰でコソコソ何かをしていることはあったが、高校に入ってからの彼女は明らかに様子がおかしい。


 俺がいなくなれば、会社を継ぐのは妹である陽依だ。だから彼女が俺の排除を目論んでいることはまず間違いない。だがこれまで、陽依が俺に対し直接的な行動に出て来たことはなかった。


 親父は放任主義で、俺や陽依のやることに口を出してくることはまずない。喧嘩をしたとしても、不仲になったとしても、口を挟んではこなかった。

 だからといって、兄妹間で激しい後継者争いをしていれば、流石に止めに入るだろう。放置していれば社員にも不安を与えることになりかねないからな。


 だからきっと、陽依は親父の介入を危惧して自重していたのだ。それも、こうして親父の目の届かないところへ来てしまった以上、気にする必要はなくなる。


 周囲に勘付かれない程度にならどんな手段を取っても問題ない。そうなった時、陽依が何を仕掛けてくるのか、いくつかパターンを想定してはいた。しかし今のところは全て大きく外れており、常に予想外の動きを見せ続けている。


 ひょっとしたら俺の排除なんて一切狙っていないのではないかと思わせるぐらい頓珍漢なことばかりしているようで、それがとにかく不気味なのだ。


 現段階では、俺に揺さぶりをかけ、大規模な策を仕掛ける隙を伺っているとしか考えられない。しかしそんな予測だって大外れな気もする。

 直感だが、陽依はもう様子見の段階にはいないのかもしれない。何か具体的な作戦を思いついていて、既に実行に移しているとみるべきだ。だがそれが何なのか全くわからない。


 表立って動かれると平穏な学校生活の危機だが、完全に裏に潜られると何をしているのかわからなさ過ぎて恐ろしい。

 もういっそ、お兄ちゃんのことが大好き過ぎてついてきちゃいましたぐらいの単純な理由だったら良かったんだが。そんな能天気なことを本気で考えられるほど、俺は妹を信用していない。


 委員会についても、陽依は俺と同じ委員会に入ろうとしていた様子だったが、定員が一枠しかない委員会を選ぶことで逃れた。

 住む場所も、通う学校も同じな現状では今さらという気もするが、陽依と距離を置ける時間は少しでも確保しておいた方がいい。俺の心の平穏に関わる。


「────広政君、少しいいかしら?」


 呼びかけに応じて顔を上げると、そこにはつい今朝方我らが委員長に就任した、松波真美の顔があった。

 長いまつげをしきりに瞬かせ、俺の顔を覗き込んで来ている。ここまで近づかれていながら気づかないなんて、少し考え事に没頭しすぎていたな。


「なんだ?」

「手伝ってほしいことがあるのよ」

「手伝い? 委員会の仕事はもう終わったよな?」


 俺は副委員長になったので、彼女の手助けをするのが仕事だ。さっそくの初仕事である、各クラスの委員長と副委員長が出席して行う学級委員会が先程終わり、今日の俺の役目は無事終了したはず。


「学級委員になったからには、常にクラスが良い方向に向かうように努力し続ける義務があると思うのよ。副委員長であるあなたもね。だから私たちの仕事に終わりはないわ」


 なるほど、肩書が持つ力に胡坐をかかず、役目を果たすべく努力し続けるというわけか。実に素晴らしいことだ。

 より良い学校生活のために努力したいというのであれば、俺だって志は同じ。彼女の意見には全面的に同意できる。


「ふむ、わかった。それで、俺は何を手伝えばいい?」

「うちのクラスに不登校気味の生徒がいるみたいなのよ。今からその子の様子を見に行って、できることなら学校に来るように促したいわ」

「不登校? まだ入学して二週間経ってないぞ?」


 学校生活に馴染めず、登校を拒否してしまう生徒は一定数いる。しかしいくら何でも早すぎるというか、まだ五月病を患う時期ですらないのに、もう学校が嫌になってしまったのだろうか。


「ええ、だから心配なのよ。もう三日も学校に来てないらしくて」

「……おいおい、三日って。ただの体調不良じゃないのか?」

「でも、土日を挟んで三日よ? ただの体調不良にしては少し長引きすぎじゃない? それはそれで心配よ」

「ううむ……それはそうかもしれないな」


 不登校児に学校へ来てほしいと思った時、家を訪問するのは逆効果になることもある。学校が嫌で登校を拒んでいるところへ、学校関係者が訪ねていくのはプレッシャーにしかならないだろう。

 かといって放置していても問題は解決しない。何をするのが正解なのかは難しいところだが、状況に応じて判断する必要がある。


 この場合、入学直後の極めて早い段階で三日も欠席が続いている生徒の様子を見に行きたいというのは、俺としては間違っているとは思わない。

 まず一体なぜ休んでいるのか原因を確認することぐらいはしておくべきだろう。もちろん、それはクラスをまとめ導く立場の人間の仕事。つまりは担任教師、あるいは俺たち学級委員の仕事だ。


「異論はある? 副委員長?」

「いいや、ないな。委員長の方針に従うよ」

「そう? よかった」


 松波はホッと一息、胸を撫で下ろす。


「はぁ……緊張したぁ……!」


 長時間の潜水を終えた直後の呼吸のように大きく息を吐き、直前までの神妙な顔がパッと明るくなった。


「緊張?」

「あはは……広政君って結構しっかりしてそうだからさ。ちょっとドキドキしちゃった」

「なんだそりゃ。どういう意味だ?」

「私より、あなたの方が委員長に向いてそうってこと。私なんかよりよっぽどリーダーっぽい雰囲気があるもの」

「そうか?」


 リーダーっぽい雰囲気というのは実に抽象的な表現ではあるが、上に立つ者としての資質を感じるという意味なら、素直に嬉しい。

 一応俺は将来大企業の社長を継ぐ男だが、そのことを知らないはずの松波の言葉だからこそ、言葉の裏を勘繰らずに受け止められる。


「えっと、改めて自己紹介をしておきましょうか。私は松波真美。これから三年間よろしくね」

「俺は多田羅広政だ。こちらこそよろしく」


 自己紹介なら、既に登校初日に済ませてある。しかしあの時はクラス全体に向けて簡潔な挨拶をしただけで、こうして面と向かって名乗り合ったのは田村以来二人目のことだ。

 交流の広がりがややスローペースなのは、慣れない環境に一人で飛び込んできてまだ落ち着かないというのもあるが、陽依の存在が気になって学校生活に集中できていないというのが大きい。


 本当なら今頃友達百人作って熱い友情を築いていたのに……とまでは言わないが、もう少し上手くクラスに溶け込めていたはずなんだ。


「広政君ってさ……あ、ごめんなさい。今さらだけど、広政君って呼んでもいいかしら?」

「構わないよ。むしろそうしてほしい。苗字呼びだと妹と被るからな」


 それに、多田羅という苗字はそれほどありきたりなものではない。あまり多田羅の方で浸透してしまうと、うちの会社と結び付け、俺の素性に気づく奴が現れるかもしれない。できれば広政の方で定着してほしいものだ。


「やっぱり広政君ってしっかりしてるわよね。私が委員長で、広政君が副委員長なんて、やっぱりちょっと緊張するわ」

「変に気負う必要はない。正直に言えば、俺は楽そうだからって理由で副委員長になったからな。ちゃんと責任を持って仕事をしてる松波の方がよほど委員長に向いているよ」

「そういうところもしっかりしてる。……ふふ、でもありがとう。ちょっと自信が出てきたかも」


 松波は唇に指を押し当て、上品に笑う。


「私は委員長としてはまだまだ未熟だけど、一生懸命頑張るから。サポートはお願いね?」

「ああ、任された。俺も至らないところは多いと思うが、助け合いながらやっていこう」


 委員長、そして副委員長として、改めてそれぞれの役割を全うすることを誓う。青春の1ページが今まさに埋められたようで、少しワクワクする。


「じゃあ遅くなる前に行きましょうか」

「そうだな。そいつの家ってここから近いのか?」

「ええ、山を下りてすぐのところで、独り暮らしらしいわよ」

「へぇ……それなら俺の家の近くかもな。俺も山を下りてすぐのところに住んでるんだ」

「あら、そうなの? ひょっとしたらご近所さんかもしれないわね」

「はは、まさか。そんな偶然あるわけないだろ」


 それから俺たちは学校を出て山を下り、学校を休んでいるクラスメイトの家へと向かった。


「────ついたわ。ここよ」


 そこが俺の住むアパートの隣の部屋であったことは、もはや言うまでもない話だ。


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