第8話 お兄様! その破廉恥な格好は!?
「なあ、広政。陽依さんって、どういう人なんだ?」
ホームルーム終了後、一限目の体育に備えるため、俺たちは理科室で体操服に着替えていた。
この学校には更衣室というものがないようで、着替えは適当な空き教室を使って行うことになっている。この時間はどのクラスも理科室を使っていないため、今日は理科室が男子更衣室代わりだ。ちなみに女子は教室で着替えている。
「どういう……とは?」
「いや、なんというか……いまいちキャラが掴み切れないっていうか……」
田村はまだ陽依のことが気になっているらしい。先週の一件で、もう興味を失ったものかと思っていたが、まだ諦め切れてはいないようだ。
「可愛い子だってことは知ってるんだ。それは一目見ただけでわかる。だから俺が聞いてるのは内面の話だぜ? どんな性格の子なのかって聞いてるんだ」
「性格ねぇ……」
人の性格を一言で表すのは難しい。特に陽依みたいな、何を考えているのかよくわからないタイプはなおさらだ。
陽依がどんな性格なのかと問われると答えに困る。腹黒い性格だと言いたいところだが、腹の内の見えない奴だからな。その表現も正確ではない気がする。何を考えているのかよくわからない奴、というのも兄としては微妙な回答だ。
俺と陽依の関係性は、いわゆる普通の兄妹のそれとは少し違う。しかし普通の高校生を目指す俺としては、そのことは隠しておかなくてはならない。だからここで俺が返すべきなのは、実に普通の兄妹らしい無難な答えだ。
「親思いの……良い奴だよ」
とりあえず適当に頭に浮かんだありきたりなことを言っておいた。親父との関係は悪くないみたいだし、全くのデタラメというわけでもない。
「で、でも、何というか、目が怖いというか……」
「目?」
「ああ、いや、その……な? ほら、あれだよ。ちょっとこう……プレッシャーを感じるというか……」
「落ち着け。何が言いたいのかわからんぞ」
田村はあたふたと目を泳がせながら、いまいち要領を得ないことを並べ立てる。
「ええっと……ああ、そうだ。そう言えば聞いておきたいことがあるんだった」
「聞いておきたいこと?」
「先週のことだよ。なんで陽依さん、俺のこと知ってたんだ? まさかお前が話したのか?」
「いいや? 偶然出会ったことにする手はずだったろ? 事前にお前のことを話したらおかしいじゃないか」
「だよなぁ。じゃあなんで知ってたんだ? クラスメイトの名前は全員、初日の内に覚えたのか……?」
そういえば、陽依は田村のことを「田村幸助さん」とフルネームで呼んでいたな。
名前なんて名簿を見ればいつでも確認できるので、陽依が田村のことを知っていたのもなんら不思議なことではない。
しかし僅か一日足らずで、一度も会話したことの無い相手まで含めて、クラスメイト全員の名前を覚えられるものなのかという疑問はある。
まあ実際俺はそれに近いことをしたし、決して不可能というわけではない。問題は俺が見ている限りでは、陽依は名簿なんて確認していなかったという点にある。
教室の席は名簿順になっているので、名簿に書いてある名前と、席に座っている生徒の顔を見比べれば、生徒の顔と名前を把握することができるわけだが、陽依がそんなことをしていた様子はない。
全員を確認しようと思えば、それなりに手間がかかる。俺は陽依のことをずっと警戒していたんだ。名簿を確認していたなら絶対に気づくはず。
クラスの全員と言わず、一人だけを確認しただけなら、俺の気づかない内に手早く済ませることもできるだろうが、そうなると田村の名前をピンポイントで調べていたことになる。それはちょっと不自然だ。
……いや、不自然じゃないのか。田村と俺が二人で教室を出て行く様子を、陽依は目撃している。あの時に田村の名前を確認していたとしたらどうだ。むしろ自然な流れではないか。
ひょっとして、陽依は田村のことを俺の仲間だと勘違いしているんじゃないだろうか。だから敵意を剥き出しにし、田村はそれに恐れ慄いている。こう考えると全ての辻褄が合うな。
「あ、わかったぜ! そういうことか!」
田村はパチンと軽快に指を鳴らし、今にも躍り出しそうなほど陽気に声を弾ませた。
「陽依さん、俺のこと好きなんじゃないか⁉ だから俺の名前を知ってたんだ! そうかそうか、だから急に俺と出くわした時、緊張してあんな険しい目つきになってたんだな!」
「ん? ああ、そうだな」
俺としては、陽依と田村がくっつけば都合が良いというのは変わらない。あの日以来陽依の話をすることもなかったので、てっきりもう諦めてしまったのかと思っていたのだが、まだやる気があるというのなら好都合だ。
「俺……今ならいける気がするぜ! 今度こそ! 絶対に!」
「そうか」
「だからよ、広政! 今度こそちゃんと俺を陽依さんに紹介してくれねえか⁉ 陽依さんの本当の気持ちを知った今なら、正面から向き合える!」
「いや、もう紹介はいらないだろ。既に陽依はお前のことを知っているとわかったわけだし、間に俺を挟む必要はもうない。クラスメイトになって一週間経つんだから、話しかける口実なんていくらでも作れるだろ」
「……確かに、それは確かにそうだぞ広政!」
田村は首を激しく上下させて頷く。
「ならここから先は俺一人でやる。そういうことだな広政!」
「ああ、そういうことだ」
この暑苦しさが段々鬱陶しくなってきたな。話を聞いているだけで疲れてくる。
だが勢いに任せて行動する姿勢は、ひょっとしたら上手くいくんじゃないかという希望を抱かせてくれる。
「ふふん、広政よ。妹を俺に取られても嫉妬するなよ?」
「嫉妬? なぜ?」
「そりゃお前、可愛い妹に男ができたら嫌じゃないのか?」
「……そういうものか?」
一般的な兄妹の感覚がよくわからないが、兄というのは妹に彼氏ができたら嫉妬するのが普通なんだろうか。
少なくとも俺はそんなこと微塵も思わないどころか、積極的に彼氏を作らせて俺への意識を逸らさせようと画策しているが。
「俺だったら嫌だね。あんな可愛い妹に彼氏ができるなんてよ。つっても、俺に妹なんていないからわからんけど」
「そうなのか。だったら俺もお前に陽依を渡さない方がいいのかもしれないな。うちの可愛い陽依は誰にも渡さない……的な感じで」
「えぇ⁉ おいおい、勘弁してくれよ~」
「はは、もちろん冗談────」
田村がやや本気で抗議しているようだったので、すぐさま冗談だと補足しようとしたところ、ガタンと大きな物音が扉の向こう側から聞こえてきた。
着替えていた男子たちの動きがピタリと止まる。全員の視線が出入り口の方向に注がれ、その次に扉から最も近い所で着替えていた俺に向けられる。
様子を見て来い、ということらしい。既に上半身は裸なのだが、仕方ない。シャツだけ軽く羽織って扉を開け、外を確認する。
「────はっ⁉ お兄様⁉」
なんかもう、開ける前からわかっていた気がする。そこには案の定、陽依が扉にピッタリと耳を引っ付けてしゃがみ込んでいた。
「お前さぁ……何やってんの?」
「はっ! ああ、いえ、これは……」
俺の隙を伺うために観察していたのだろうが、流石に時と場所を選んでほしいものだ。これでは傍からはただの覗きにしか見えない。妹が覗き魔となんて知られたら俺だって大恥をかくことになるんだ。
「……って、なんです! お兄様! その破廉恥な格好は!?」
「着替えの最中なんだから当然だろ。いいからお前もサッサと着替えて来い。授業に間に合わないぞ」
「ああ、いや、その……」
「ん? お前、その手に持っている袋は……」
「そ、そうなんですよ。お兄様、体操服を忘れていらしたので、届けに来たのです」
陽依から突き出された袋の中身を確認すると、そこには俺の体操服が入っていた。
おかしいな。確かに持って来たと思ったのだが、気づかない内にどこかで落としたのだろうか。
「なんでお前がこれを持ってる?」
「それは私が取り返し────じゃなく、教室に置きっぱなしになっていたのを私が発見したからです。そんなことよりお兄様、私はこの後用事がありますのでこれで失礼します!」
更なる追及を加える暇もなく、陽依は脱兎のごとく駆けだしていった。
「どうしたんだよ、広政。誰かいたのか?」
ちょうどそのタイミングで、田村も部屋の外に首を突き出す。しかし既に陽依の背中は見えなくなっており、そこには静かな廊下があるだけだ。
「いや、誰もいなかった。多分、風で扉が揺れただけだろ」
「ふぅん、ならいいけどよ。そんなことより作戦を考えてくれよ! 俺と陽依さんをくっつけるための作戦をよ! 兄貴のお前なら名案が思い付くだろ?」
「そんなもの、自分で考えろ。俺は一切関知しない」
「えぇ~薄情だぜ! 俺とお前の仲だろ⁉」
俺とお前が一体どんな仲だというのか。そんなことよりも、俺は陽依の不可解な行動の数々が気になっていた。
強引に俺と同じ高校に入り、部屋に押しかけ、同じ委員会をやろうとし、体操服を手渡すついでに着替えを覗こうとしていた。
元々何を考えているのかわからない奴だとは思っていたが、ここまで来ると放置できなくなってくる。今のところは空回りしているようだが、俺を排除するための何か具体的な作戦を実行に移しつつあると思った方がいいのかもしれない。
「全く……どこが可愛い妹なんだか」
そろそろ俺の方も、田村をぶつけて意識を逸らすだけではなく、もっと効果がありそうな対抗策を考えておくべきかもな。
ひとまずは俺の体操服がなぜかちょっと湿っている件について、後で詳しく問い詰めることとしよう。
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