第2話 俺に……妹を紹介してくれ!

 掲示板に張り出された名簿を確認し、自分のクラスを確認する。俺の名前は一年二組の欄にあった。

 クラスメイトの名前を見ても、誰一人としてわからない。わざわざ遠く離れた田舎の高校に来たのだから当然だ。

 ……いや、一人もわからないわけではない。残念ながら一人だけ知っている名前がある。


「どうしましたか? そんなに狼狽えて」


 俺の前の席に座る女子生徒が、振り返ってニコニコ笑っている。


 彼女の名前は多田羅たたら陽依ひより。二歳年下の妹だ。俺とは尖った目元以外あまり似ていないが、これでもちゃんと血のつながった実の兄妹である。


「くっ……いいや、何でもない。ただ妹の愚かさに呆れかえっていただけさ」


 散々動揺しておいて今さらとも思ったが、慌てて平静を装う。あまり陽依に隙を見せるわけにもいかない。


「何を考えてるんだ? 年を誤魔化して高校に入学するなんて」

「そうおっしゃらないでください。稲山高校に入学することは、お父様にも許可を頂いております」

「……親父は一体何を考えてるんだ」

「心配だったのですよ。多々羅グループ次期社長と言えど、お兄様はまだ十五歳の子供ですから」

「あの放任主義者がそんなこと考えるわけないだろ。それに、親父がお前に指示したわけじゃなく、お前が親父に頼み込んだんだろ?」

「ですから、私が心配しているのです。お父様があまりにも簡単に許可を出してしまわれたので。私はいてもたってもいられず追ってきてしまいました」

「そんなこと言って、本当は俺を排除するチャンスを伺ってるだけだろ。俺が消えれば会社を継ぐのはお前になるんだからな」


 少し早く来過ぎてしまったためか、教室にいるのはまだ俺たち二人だけだった。なので誰かに聞かれる心配もない。俺は遠慮なく、陽依の腹の底を伺う。


「……ふふ、冗談はやめてくださいお兄様。私がそんなことを考えるはずがないじゃないですか」


 陽依は口元を袖で隠し、目を細める。


 口では否定しているが、この性格の捻じくれた邪悪な笑みは間違いなく肯定を示している。

 やはり陽依の目的は俺という邪魔者を消すことだ。確かにうちの会社の規模を考えれば、裏口入学ぐらいしてもおかしくはない。そんな不正をしてでも手に入れる価値は充分にあると言える。実際、俺に取り入って会社を乗っ取ろうと企む輩は腐るほど見てきた。


 小学五年生の時、二十歳以上年上なのに俺に結婚を申し込んでくるヤバイ女に会ったことがある。どこかに出かけるたびに偶然を装って接触してくるストーカー紛いな奴もいたし、急に道でぶつかってきて強引に接点を持とうとしてくる奴もいた。

 大企業の長男に産まれたからには、この手の悪意には慣れている。俺は誰かを信じたりはしないし、警戒を解くつもりは微塵もない。もちろんそれは相手が実の妹であっても同じこと。いや、実の妹であるからこそだ。


 だがそれでは人並の青春なんて夢のまた夢だ。俺が将来結婚するなら、俺の肩書きを愛する人じゃなく、俺個人のことを愛してくれる人が良い。しかし会社を継いでしまえばもうそんな人と出会う機会もない。

 社会に出てからでは遅いのだ。恋愛をするなら学生のうちに、それも俺の家のことを知らない相手としなくてはならない。高校生活はそんな相手を見つけることができる数少ないチャンスだったんだ。


 それなのに……まさか、こうして自分が入学することでその機会を直接潰しに来るとは思わなかった。


 同じ高校に入るにしても、少なくとも二年は猶予期間があると甘っちょろい考えをしていたのが間違いだった。まさか陽依がここまで大胆な行動に出るなんて……いくらなんでも想定外すぎる。


「言っておくが、俺の邪魔をするなら容赦はしないぞ。俺だって目的があってここに来ているんだ。お前が来たからといってその計画を変更するつもりはない」

「私もお兄様の邪魔をするつもりはありません。ただお傍に居たいと思ってついて来ただけなのですから。それに完全無欠なお兄様のことです。私のような非才の身では足を引っ張ることすらできないでしょう」

「何が完全無欠だ。心にもないことを言うな」

「何を仰います。眉目秀麗、成績優秀、運動神経も抜群ではありませんか」


 クソ……やり辛いな。なんで高校に来てまでこんな腹の探り合いみたいなことをしなくちゃならないんだ。俺はただ普通の高校生活を送りたいだけなのに。

 裏口入学を告発すればコイツを退学させられるだろうが……そんなことをすれば実の兄である俺だって共犯者扱いされることは目に見えてるからな……目的を達成するためにも、悪評が立つようなことは避けるべきだ。


 そんなことを考えていると、徐々に教室の席が埋まり始めていた。俺たちの座る席の近くにも生徒が集まりだし、会話は自然と中断される。


「あ、そうだお兄様。私の誕生日はお兄様と同じ1月6日ということにしてありますので」

「……俺たちは双子ってことになってるってことか?」

「その通りです。もちろん兄はお兄様、妹は私です。今後はそういうことで話を合わせてくださいね」


 周りに聞こえないよう小声でそう告げた後、陽依は視線を前に向け、付近の生徒と当たり障りのない挨拶をし始めた。

 一応この学校に溶け込むつもりはあるみたいだな……表立って動くつもりはないということか。将来的にうちの会社を継ぎたいのなら自分の評判を落とすようなことはできないだろうし、当然と言えば当然か。


 そんなことより、早急にこの頭のおかしい妹の対策を考えなくては。できれば一刻も早く退学に追い込みたいが、不可能ならば最低でも余計な手出しができないように動きを封じたいところ。


「────なあなあ、ちょっといいか?」


 どうしたものかと頭を悩ませていると、背後から肩を叩かれる。振り向くと、そこにはニタニタと歯を見せて笑う茶髪の男子生徒がいた。


「その席に座ってるってことはお前、多田羅広政……だよな?」

「ん? ああ、そうだけど」

「俺は田村幸助だ! よろしくな!」


 せっかく遠く離れた高校に来たんだ。陽依が来るというハプニングはあったものの、そればかりに気を取られては彼女の思うつぼ。陽依を警戒することも大事だが、それ以上に普通の高校生活を送ることも重要だ。


「ああ、こちらこそよろしく」


 差し出された手を握り、簡単に挨拶を交わす。


 最大の目的は信頼できる彼女を作ることだが、まずは気兼ねなく会話ができる友達が欲しいな。交友関係は上手く構築していかないと、いつの間にか孤立してしまって恋愛どころか話相手すらいないという事態になりかねない。

 中学の時は割とそんな感じだったし、高校でこそちゃんと友達を作れるようにしよう。


 しかしまだこいつが信用できる男かどうかは見極め切れない。ひょっとしたら陽依の回し者かもしれないんだ。俺を油断させ、隙を見せたところでグッサリやられるなんてこともあり得る。

 基本的に人を信用しないはずの陽依が協力者を用意する可能性は低いが……用心するに越したことはない。


「ん……? おい、ちょっと待て」


 田村の視線が、俺の背後にいる陽依を捉えた。信じられないものでも見たかのように目を大きく見開き、慌ててスマホを確認する。

 覗いてみると、席順を記したプリントが写真に収められていた。教室前の黒板に掲示してあったものを記録したらしい。


「多田羅……陽依? なんて読むんだこれ」

「ヒヨリだ」

陽依ひよりさん……か。お前と同じ苗字だな」

「まあ……一応妹だからな」


 田村は弾かれたように顔を上げ、スマホから俺の顔面に視線を移す。


「冗談だよな?」

「本気だが?」

「……ちょっと話があるんだけど、来てくれないか?」

「話? ここじゃ駄目なのか?」

「いいからいいから、ちょっと」


 急に態度の変わった田村に引きずられ、男子トイレまで連行された。

 教室を出るとき、陽依がチラリと横目でこっちの様子を伺っていた気がしたが、周りの生徒との会話を打ち切るタイミングを逃したのか、追って来ることはなかった。

 まあ仮に追って来たとしても、流石に男子トイレにまでは入って来られまい。今後はトイレが安息の地になりそうだな。何だか悲しくなってくる話だ。


「おい、お前、マジなんだな? マジなんだな?」


 田村は鼻息を荒くしながら俺に掴みかかって来る。


「な、なんだ。一旦落ち着け。急にどうしたんだ」

「だから、陽依さんがお前の妹だって話はマジかって聞いてんだよ!」

「だから、本当だって言ってるだろ? 一応……双子の妹だ」

「……そうか。多田羅なんて珍しい苗字だし、嘘じゃなさそうだな」

「そんなことで嘘つく意味ないだろ……」

「いいや、わからないぜ。可愛い女子だと、全く無関係なのに勝手に兄貴面する気色悪い変態が現れることだってあるかもしれない」

「えぇ……」


 それは確かに気色悪いな。世の中にはそんな奴がいるのか。


「ん……? ちょっと待て、今なんて言った? ひょっとして、陽依のことを可愛い女子とか言ったか?」

「ああ、言ったぜ! そこで広政! お前に頼みがある!」


 田村は俺の両肩に手を置き、深刻そうな表情を浮かべてこう切り出した。


「俺に……妹を紹介してくれ!」

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