第12話 囮と囮
平二が待機しているホテルサンパレスから2キロほど離れた林道の入口で、ガラの悪いオヤジが喚き散らしている。
「さっさと通せ。上の方で話はついてんだよ。ぐだぐだ言ってんじゃねえ」
中矢の部下たちは指示通りのらりくらりと対応していた。
「今、上司に確認します」
部下のうちの一人がスマートフォンで中矢に電話をかける。
「こちら林道入口です。通行許可を得たという方が来ていますが……」
通話口を押さえてオヤジの名前を確認した。
「本多興業の大柳様だそうです」
部下は聞き取りにくいのか、スマートフォンを当てていない方の耳を塞ぐ。
「はい。えーと、もう一度お願いできますか。後ろの音で良く聞こえません。……はい。了解しました」
部下は大柳に向き直った。
「確認が取れました。大柳様。ただ、この先の林道は落石もあり相当危険な状態です」
「ああ。分かっとる。俺を誰だと思ってるんだ。四の五の言ってないでゲートを開けろ」
黒塗りのベンツの後部座席に向かおうとする大柳を部下は呼び止める。
「申し訳ありませんが、許可が出ているのは大柳様の乗る一台だけです。お連れの方の車はお通しできません」
「なんだと? 舐めてんのか、コラ?」
「そんなつもりはありません。ただ、私も命令には従わないわけにはいきませんので」
「ふざけんなよ。おら! 後でほえ面かいても知らんからな」
大柳は喚きちらしたが部下は頑として譲らなかった。
懇意にしている先生に電話をかけようとしたが、大柳のスマートフォンは圏外となっている。
舌打ちをした大柳はハイエースロングバンに乗せた作業員にこの場所で待っているようにと指示を出した。
バリケードが開くと大柳の乗ったベンツが林道へ向かって走り出す。
元通りに道路を封鎖すると部下はハイエースに乗った作業員たちににこやかに話しかけた。
「車じゃ狭いでしょう。あちらで待っていては? 冷たい飲み物がありますよ」
少し離れた場所に設置している大型のイベント用テントを示す。
作業員たちはぞろぞろと車を降りてテントの下で寛ぎ始めた。
林道を走り野積み場に到達すると大柳は目算を始める。
かなりの量の土砂が流出したため、今請け負っている分の土砂は問題なく運び込めると考えた。
思わず独り言が漏れる。
「しかし、あの野郎はどこへトンズラしやがったんだ?」
「あ、ここの監督のことですか?」
話しかけられたと思った用心棒兼運転手が反応した。
「社長のお話じゃ急に電話を切ったとのことでしたが」
「ったく。ふざけやがって。見つけたらヤキ入れてやる。でも、あいつがいねえとちと不便だな。まあ、いい。とりあえずいったん戻るぞ」
もう一度野積み場の方を見ていた大柳は返事がないことに苛立ち振り返る。
しかし、つい先ほどまで車のそばにいたはずの男の姿が消えていた。
「おい。返事をしろ! てめーまでふざけてんのか?」
怒鳴りながらも何か不穏なものを感じる。
大柳は車の後ろを回って運転席側へと移動した。
地面には靴や服などが散らばっている。
その横には何かわけが分からないものがうずくまっていた。
「なんだ、てめ……うわああああっ!」
振り返ったものの姿を見た大柳は辺りを圧するような叫び声を上げる。
そして、すぐにその声がぱたりと止んだ。
***
美加は左腕にはめた腕時計型モニターを注視する。
川原に着陸したヘリコプターから降りた美加は、想定されるぶるんぐ様の行動範囲に500メートルほど入り込んでいた。
出がけに散々中矢から無理をしないようにと釘を刺される。
「危ないと思う前にこちらに逃れてきなさい。それから絶対にサングラスをずらさないこと。いいわね」
「なんでそこまで気にかけるんです? 私が元に戻れなかったら、どのみち私の存在は消すつもりなのに」
「だから、そうじゃないの。紺野美加という名前の人物がいなくなるだけよ。あなたには新しい名前を用意するわ。公的書類も本物。新しい名前で生きていくことができる」
「要するに記憶喪失の子供にするってことでしょ? それって死んだのと変わらないわ」
にらみ合いの後、中矢が先に表情を緩めた。
「あなたが自分の存在に誇りを持っているということは分かったわ」
「別にそんなんじゃないし。ただ、他人にいいようにされるのが気に入らないってだけ。囮の役目を上手く果たしたら、少しは私の処遇を良くしてよね。じゃ、行ってくる」
獣道を踏み分けて入ってきた美加も危険を冒すつもりはない。
自分を中心とした同心円状にいくつか光る点のうちの一番遠いところが消滅したのを確認する。
その点は話に聞いている残土置き場付近のものだった。
きっと、そこに怪異がいるはずだ。
美加は深呼吸をして屈伸運動をする。
その間も腕のモニターからは目を離さない。
一番遠い点の輝きが復活した。
美加はすぐにヘリコプターの方へと向かって走り始める。
走りながら腕を上げてモニターに目をやると、すぐにその内側の点の明かりが消えた。
200メートルを一分かかっていない。
美加は前方を見据えて走る速度を上げた。
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