第9話 同宿
「ありえないんだけど」
美加はベッドに座って平二を睨みつける。
平二は聞こえないふりをした。
「本当にありえないんだけど!」
声を大きくして繰り返す。
平二はため息をついた。
「いいかい。君を一人にできないというのはいいな? そして、中矢さんたちはまだ仕事がある。となればこうなるのも仕方ないだろう?」
美加はスマートフォンを取り上げられ、平二と同じ部屋で一晩過ごさなくてはならないことに文句たらたらなのだった。
「そんなことは分かってるわよ」
「じゃあ、なんで文句を言うんだ?」
「そりゃ、仕方ないこととはいえ、言いたくもなるでしょうよ。ロリコンかも分からないおっさんと同じ部屋なのよ」
「だから、それは俺のせいか?」
「私、シャワー浴びるから。覗いたらマジでぶっ殺すからね」
べーっと舌を突き出すと美加は途中で買ってもらった着替えを持ってシャワールームに消える。
残された平二は再び大きなため息をついた。
シャワールームから水音がし始めると、ルーズリーフと愛用のボールペンを取り出して報告書を書き始める。
怪異相手の商売をしているとなんだかんだいって記録媒体として紙が最強だった。
いざとなれば燃やすなどで隠滅が簡単なうえ、読むのに特別な機械を必要としない。今回の事件の怪異のように電子機器を無効化されることもあるが、そんな時でも読み書きできた。
報告書に本日の行動を書き込んでいく。
除呪スプレーの有効期限が切れていた点については、支給側の責任が大きいとアンダーライン付きで記載する。
平二も確認しなかった面はあるにせよ、今すぐ向かえとケツを蹴り上げられる勢いで急かされたので確認する暇はなかった。
今のところ判明しているだけで、数名の人的被害が発生している。
人家の少ない場所としては被害者の数が多く、怪異が活発に行動していることがうかがえた。
従って緊急を要していたというのは分かる。それでも装備品をきちんと管理しておくべきことは変わらない。
スプレーが期待通りの効果を発揮しないことで結果的に美加に深刻な事態が発生するところだった。
報告書の作成がかなり進んだところで、平二は美加がまだ風呂から出てきていないことに気がつく。
まさか溺れていないだろうな、と案じてバスルームの前室の扉をノックした。
返事がない。
今度はやや強めに叩く。
「おーい、生きてるか?」
「うっさいわね。なにそのデリカシーのない言葉」
くぐもって聞こえるが声が鼻にかかっていた。
一呼吸して盛大に鼻をかむ音がする。
平二はふっと表情を緩めた。
暴力的かつ攻撃的ではあるものの美加はまだ若い大学生である。
このような事態に巻き込まれて今まで平静を保っていたのが不思議なぐらいで、心中では相当ショックを受けていたのだろう。
平二は少なくてもこの業界で10年以上のキャリアがあった。
「気がきかなくて悪かったな。あまり長風呂だとシワシワになるぞ」
「はいはい。人がせっかく寛いでいるのに煩いったらありゃしない。もうすぐ出るわよ。だから、さっさと離れて」
しばらくしてバスルームから出てきた美加は目元が少し赤い。
備え付けのバスローブを着ていたがサイズが合わずにぶかぶかだった。
平二は洗面所で顔を洗い歯を磨き始める。
その様子を見ていた美加が問いかけた。
「あんたはシャワー浴びないの?」
「俺はいい。まだ報告書を書かなきゃいけないからな」
口の端に歯磨き粉の泡が付いている。
「きみも歯を磨いた方がいいぜ。虫歯になったら大変だ」
「親みたいなことを言うのね」
「まあ、そういう設定だし」
ホテルに宿泊するに当たり、平二と美加は親子ということになっていた。
美加も大人しく歯ブラシを口に突っ込んで磨き始める。
歯を磨き終えると美加は問いかけた。
「シャワーを浴びないのは私を見張るためでしょ?」
「まあ、そうとも言うな」
「私が本気になったら、今の子供の体でもなんとか倒せると思うけど」
「だから、見張るのは無駄だと言うのか? そうかもしれないな。ただ、俺は自分の仕事はわきまえているつもりだし、後で自分に言い訳をしなくて済むようにベストを尽くすことにしている」
平二は椅子を部屋の入口に運んで座る。
「そう。意外と真面目なのね」
「さあ、それはどうかな。真面目な人間はこんな仕事はしないもんだ。こぎれいなオフィスに出勤して椅子に座ってパソコンとにらめっこをする。化け物と山の中で追いかけっこをしたりはしないだろうよ」
「それは真面目かどうかとは関係ないわね。で、そんなところで部屋の出口を塞ぐのは、私のことが信用できないんだ」
「それはお互い様だろ。それに信用ってのは積み重ねるもんだ。今日の今日でできるもんじゃない。じゃ電気消すぞ」
平二は立ち上がりスイッチを押す。
しばらくすると美加の小さな声がした。
「私、元の生活に戻れると思う?」
勝ち気な外見が消えると僅かに不安が声に滲むのが分かる。
「戻れるといいな。まあ、俺にできる限りのことはするよ。さあ、もう休め」
「うん」
ごそごそと体を動かす音がしていたが、やがて静かになった。
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