第6話 異変
クラウンの助手席に中矢が乗り込む。
平二が後部座席の扉を開けて、美加に乗るようにと促した。
美加はふくれっ面をしていたが、大きな溜息をつくと中に乗り込む。
「そんなクソでかい溜息をつくと幸せが逃げていくぜ」
平二が美加の背中に声をかけながら後に続いた。
バックシートに体を預けると美加は平二を睨む。
「へーえ、さすが年寄りはよくものを知ってるわね。村の古老ってやつ?」
「誰が古老だ。まだ三十台前半だぞ」
「そう。じゃあ、古老は撤回してあげる。お・じ・さ・ん」
平二はシートの肩の辺りを探った。
「そのおじさんからの忠告だ。シートベルトを締めなさい」
べえ、と舌を出すが、それでも美加はやや乱暴ぎみにシートベルトのバックルを引っ張って留める。
中矢は後部座席の会話など聞こえないように運転手に命じた。
「出してくれ。月影市の事務所へ」
車が走り出すと美加はフンと鼻を鳴らしてスモークのかかった窓の方へと顔を向ける。
横顔に拒絶を見て取ると、平二は苦笑を漏らした。
車内に沈黙が満ち、聞こえるのは走行音だけとなる。
平二はこの後のことを考えると気が重くなった。
事情聴取が終わったら目撃者は記憶を消すための処置を受ける。
この処置はツキノワグマみたいな見かけのマッチョが泣いて許しを請うほどの苦痛を与えた。
しかも、穴という穴から漏らして尊厳を破壊されることがあるにも関わらず、消去は完璧には行われない。そのため、後日再処置が必要となる場合がある。
生意気で可愛さの欠片もないが、うら若い子に受けさせるには忍びなかった。
まあ、でも機密保持は必要だしなあ、と平二は考える。
異変はそのとき起こった。
「い、痛い」
体に腕を巻き付けて美加が顔を歪めている。
平二は横を見て慌てた。
「くそ。浄化できてねえじゃねえか」
なんと美加の体が縮み始めている。それだけでなく顔立ちも明らかに幼くなっていた。どう見ても中学生にしか見えない。
平二はスーツの内ポケットから人型に切り抜かれた紙を取り出すと、ぶつぶつ言いながら美加の額にペタリと貼り付けた。
「剥がすなよ」
心配そうに見守るが、どうやら変化は止まっているように見える。
「な、なにが起こったの?」
狼狽した美加の声も今までより音階が上がっていた。
振り返った中矢が整った顔をしかめる。
「赤松さん。まさか穢れを祓わなかったの?」
「ちゃんとスプレーしたぜ」
美加が割り込んだ。
「そんなことよりも、何が起こったのか説明してよ」
「車をとめろ」
中矢の命令にクラウンは静かに減速し路肩に止まる。
大きく体を乗り出し右手を伸ばしてバックミラーの角度を直した。
その姿勢で美加を見つめる。
「見てみろ」
美加は前部座席の方に身を乗り出した。
邪魔そうに額の紙を剥がす。
「は、へ、ど、どういうこと?」
美加の手に残る紙を回収しながら平二は事実を告げる。
「若返ってしまったようだな。まあ、いいじゃないか。もう一度青春時代を謳歌できる」
「は? ふざけないで。またダルい高校生やるなんて嫌よ。これ、あんたのせいなのね。責任取りなさいよ。訴えてやるから」
後部座席で始まったつかみ合いなど目に入らないように、運転手はバックミラーを調整するとアクセルを踏んだ。
それから30分後、車を飛ばしてやってきた事務所の一室に平二と美加、中矢ほかが集合する。
美加は腕を組んで睨みつけた。
「それじゃ説明してくれる?」
平二はナップザックからビデオカメラを取り出してモニターに接続する。
頬に引っ掻き傷を作った平二は美加をじっと見た。
「あー、紺野美加さん。君は見ない方がいいと思うんだけどね」
美加はハンと応じる。
中学生にしては態度が大きい。
平二は中矢の方を窺う。
「たぶん18歳未満お断りな内容だと思うんだが」
ナップザックから不透明なビニールを取り出して中矢に渡した。
中を覗き込んで中矢は表情を変えずに後ろの黒服に預ける。
「推定二人分の遺留品だ。分析に回せ」
引き換えにサングラスを受け取り、美加にかけるように命じた。
「用心のためだ」
中矢も胸ポケットからサングラスを取り出して装着する。
美加は大人しくサングラスをかけた。
中矢は平二に向き直って顎をしゃくる。
「再生して」
「へいへい」
サングラス姿の平二はビデオカメラを操作する。
モニターに廃屋が映し出された。
ほとんど下着姿同然の格好をした若い女性がカメラの画角に入ってくる。
次いで若い男が登場した。
カメラがパンして別の男が映る。
美加が身を乗り出した。
「恭平……」
画面の中で恭平が口を開く。
「どーもー。今日はマジで出るって噂の場所に来てまーす。怪異ハンターのキョーヘーでーす」
蝉の鳴き声に負けじと声を張り上げていた。
サングラスを外そうとする美加の腕を中矢が止める。
「動くな」
画像が一時停止した。
「分かったわ」
美加が手を下ろすと映像が再開される。
カメラが元に戻った。
残りの男女も声を張り上げ自己紹介をする。
それから、廃墟の中に入っていったり、苔むした井戸を上から覗きこんだりしながら、絶対何か居るということを連呼した。
奥の方へと進んでいるところで恭平の声が入る。
「あ、ちょい待って。ションベンしてえ」
「なーにそれ。ここですれば。どうせ見慣れてるもんだし私は気にしないわよ」
「ばか。お前ら変な音声入れんなよ」
「わりい、わりい。後で編集すっから」
「しょーがねえなあ。持っててやるからカメラ貸せよ」
男が近づいてきて受け取る。
カメラは木立の中へと入っていく恭平の後ろ姿を追った。
「40秒で済ませねえとウンコだと思うからな」
「うるせえ」
背後からの女性の音声が入る。
「ねえ、なんか変じゃない?」
カメラが振り返って森の中へと続く獣道の入口に立つ女性を映したところで、かまびすしい蝉の声がぱたりとやんだ。
女性が怯えたように後ずさる。
木立から何かモザイクのかかったものが現れ、女性に触れるとたちまちのうちに肉がそげ落ち骨となって、くしゃりとその場に崩れ落ちた。
「な、なんだ」
モザイクがカメラの方へと動きだす。
そして、画面は真っ暗になった。
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