第4話 爆走

 思わず美加は自動車のドアノブに手をかけそうになる。

「待て。触るな!」

 いきなり響き渡る大声に美加は文字通り飛び上がってしまった。

 声のした隧道の方へ目を向けるとスーツ姿の男性が足早に近づいてくる。薄く着色したサングラスをかけており、片方の肩にリュックサックのベルトがかかっていた。


 男はやや細身で背は美加より少し高いぐらい。推定百七十センチにぎりぎり足りなさそうに見える。

 見るからに格好がちぐはぐで怪しい。

 しかも、令和の時代というのに煙草のように見えるものを口の端から垂らしている。

 男は美加をしげしげと眺めて顎に手を当てつぶやいた。

「似てる……」


 美加は男の背格好を記憶から呼びさまして指さす。

「あ。タクシー横入りした人だ」

 男は眉をひそめた。煙草を指でつまんで口から離す。

「おい。人を指さすな。最近の若いもんはそんなことも知らんのか」

「だって、あなたのせいで三十分も歩くはめになったんだからね」


 男は唇をゆがめた。左手の人差し指と中指に挟んでいた煙草を口の端にくわえる。

「まったく恩知らずだな」

 煙草を挟んでいない側の唇の端で吐き捨てるが、気を取り直したように美加に話しかけた。

「お嬢ちゃん。そんなことよりも、悪いことは言わねえから、ここから早く立ち去るんだ」


「なんでよ? そうだ。どうしてこの車に触るなって言ったの? おじさん、恭平がどこに行ったか知ってんの? なんかシャツが脱ぎ捨ててあるっぽいんだけど」

 美加は男を胡散臭そうに見る。

 男は大きく煙草を吸うと空に向かって煙を吐き出し、灰を地面に落した。


「なんだ。遺留品の持ち主の関係者か? まったく面倒くせえな。説明すると長くなる。ここは危ないからさっさと帰れ」

 しっしと犬でも追い払うように手を振る。

 美加は当然怒った。


「は? 冗談じゃないわよ。恭平をさっさと出しなさい。警察呼ぶわよ」

 男はがりがりと頭をかく。

「お嬢ちゃん。その若さで死にたくないでしょ。いい子だから、ね?」

「私を脅す気? あんたなんかに負けないんだから」

「ああ。もう面倒くせえ」


 そう言いながらも男はサングラスを下にずらし美加の姿を見て器用に眉をあげた。

「何か武道やってんな。空手か? 確かに俺より強そうだ」

 そこまで言うと男は顔色を変えるとちらりと腕時計に目を落す。

「ちっ。言わんこっちゃねえ。来る」


 男はいきなり運転席のドアを開けると乗り込みながら、今までと違った真剣な声を出した。

「五秒だけ待つ。乗れ。さもなきゃ死ぬ」

 その態度に気圧された美加は覚悟を決めると後部座席のドアを開けると乗り込む。


 その間に男はリュックサックを助手席に置きエンジンをかけていた。

「俺がいいと言うまで目をつむってろ」

 それだけ言うと男は車を猛スタートさせる。

 体がシートに押し付けられるほどの急加速で車は走り出した。

 カーブでタイヤが軋む。


「おっと危ねえ」

 男が独り言を漏らした。

 バックミラーで後部座席を見た男は煙草を外すと叫ぶ。

「目をつむってろ。人の厚意を無駄にすんじゃねえ!」

 窓を細く開けると煙草を投げ捨てた。


 車は狭い橋を通り抜ける。

 スピードを落とさずホテルの角を曲がるとチラとバックミラーに視線をやった。

 何か感ずることがあったのか美加は固く目をつむっている。

 県道へと向かう坂道にさしかかった車は宙を飛び着地すると激しく揺れた。


 忙しくステアリングを操りながら男はアクセルを緩める。

 それでも勢い余って半分車体を浮かせながら車は急な角度で曲がって県道に入った。少しテールを振りながらも車はなんとか態勢を立て直す。

 ふう。男の口からため息が漏れた。


「もう目を開けていいぞ」

「一体何なのよ、もう」

 美加が不満を漏らすと男はゆっくりと減速し、路肩に乗り上げて車を止めた。

「俺は赤松平二。事情を話してやるが、まあ信じてはもらえんだろうな。とりあえず黙って聞けよ」


 平二は自分は神職のようなもので各地の祟りやそんな類のものを対処する仕事をしていると自己紹介をする。

 たちまち美加の顔は信じられないという顔になった。

 平二は肩をすくめる。


「ま、嘘をつくならもうちょっとましな嘘にしろって顔をしてるな。そりゃそうだ。普通は信じるはずがない。きみはまともそうだしな。おっとそうだ。それよりもちょっと車から降りてくれ」

 リュックサックからスプレー缶を取り出すと平二はドアを開けて外に出た。

 幾分警戒しながらも美加も車から降りるのを待って後ろを向くように頼む。


 美加はさらに警戒する目つきになった。

「何をしようっての?」

「このスプレーをするだけだ。急だったんで仕方ないが、後部座席にはあまり良くないもんが付いていた。こいつをかけておかないと皮膚がただれるなどの良くないことが起きるかもしれない。何も変なことはしねえって。俺が見えるように半身でいいから」


 平二は美加が動かないのを見て取ると先に後部座席にスプレーを噴射する。

 振り返ると懐柔するように作り笑いをした。

「ちょっとスプレーさせてくれれば、質問になんでも答えるよ。恭平だっけか? その男のことも含めてさ」

 ようやく体を斜めにして背を向けるので美加にスプレーをかける。

 向き直った美加がそれで、という態度になると平二は運転席のドアを開けた。

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