第48話 酒の勢い

 残る二隻の敵はあっけなく沈没した。

 もともと頭目のいる一番艦以外には火砲も詰まれておらず、魔法による援護も失われた。となれば百戦錬磨のゴート号にただの賊が適うはずもない。ファレル達、客人ゲストの援護さえ必要なかった。


 かくして、トリトニス湖を荒らしまわっていた湖賊は討伐された。ゴート号も含めて討伐に参加した三隻には大した損傷もなく、結果としては大勝利と言えた。

 もっとも、その勝利を祝っている暇はない。前回の討伐隊の壊滅と物流が止まっていた間の損失は大きい。その損を埋めるべく湖の守り人たちは慌ただしく動きだした。


 商人の強かさというべきだろう。彼等にとって重要なのは戦の勝ち負けではなく、その結果生じる利益と損益だ。勝つことを旨とする武人とは根本的に違う生き物といってもよかった。


 それでも、湖の平和を取り戻した恩人たちに対して組合はささやかな宴を催した。会場は組合長の屋敷で参加者も当事者のみだが、それでも彼らの労をねぎらおうという誠意に満ちたものだった。


 長机の上に並べられた料理に使用されている食材はこの湖に集まる大陸全土の珍味や美食を集めたものだし、酒も美酒揃いだ。踊り場では男ばかりの船員たちのために踊り子たちが彼らの目を楽しませていた。


 今回の戦いでは犠牲者も出た。だが、船旅には死と危険は船旅にはつきもの。死んでいった仲間の分まで浮かれ騒ぐのは船乗りなりの弔いだった。


 そんな喧噪から少し離れたところに今回の討伐の立役者二人はいる。机の上には宴で供されたものではない酒瓶が一本置かれていた。


「――まさしく勝利の美酒というやつだな」


 グラスに口を付けて、メリンダが言った。疲れた体に酒精が染み渡る。この場には大陸上の銘酒が揃っているが、今この時に限ってはこの酒以上の美酒は存在しない。


「ああ、確かに美味い。取っておいて正解だったな」


 対面に座るファレルもメリンダの感想に頷く。戦のあとの酒はいつでも格別だが、何事も初めてというのは記憶に残るものだ。初めての水上戦での勝利はファレルにとっても記念すべきものだった。


「……ファレル殿、あなたに改めて礼を言いたい」


「なんだ、船長。今更改まって。一度轡を並べた、ああいや、同じ船に乗った以上、オレたちは戦友だ。礼は不要だぞ」


「それでも礼を言いたいんだ。ファレル殿や魔術師殿たちが力を貸してくれなければ我らはあの湖賊に敗れていただろう。この湖も奪われていたかもしれない」


「……それは、あったかもしれないな」


 あえてとぼけてみせるファレル。メリンダが湖賊の裏に黒幕がいる、ということに気付いているのには驚いていない。むしろ、当然のこととして受けて止めている。


 問題は、その上で彼女が、あるいは湖の守り人全体がファレルをどう見るかということだ。

 突然現れた助っ人、変わり者の商人が連れてきた護衛。というところで止まってくれればいいが、カラールが第三皇女の御用商人になったことは知れ渡っている。そこからファレルの正体にまで考察することはそう難しくはない。

 

 そうなった時、湖の守り人がどう判断するかはファレルにも分からない。今回の件の黒幕が帝国の人間である以上、ある種の狂言と捕らえられたとしても言い訳は難しい。


「ともかく、君たちとこの出会いをもたらしてくれたカラール殿と湖に感謝だな」


 続けてもう一杯葡萄酒を呷るメリンダ。すでに酒が回り始めているのか、頬が赤らんでいた。

 

「こちらも感謝している。おかげでどうにか予定には間に合いそうだ」


「そういえば、ファレル殿は湖の向こうに行きたいのだったな。大事な商談でもあるのか?」


「オレは用はないが、雇い主がな。なんでも流国との交渉らしいが、詳しいことはオレにも分からん」


 ファレルの答えは真実ではないが、嘘とも言い難い。何かを繕うには完全な嘘を吐くよりも真実を多少入り混じらせた方が有効だ。


「そうか……では、この街でお別れか……」


「そうなるな。まあ、生きていれば次の機会は巡ってくるさ」


「次の機会、か。どうせだ、今の仕事が終わったらでいいんだが、うちの船に乗らないか? ちょうど副船長の席が空いてる。あなたならうちの船員たちも文句は言わないだろう」


 次の酒瓶を空けながらのメリンダの言葉に、ファレルがほほ笑む。誰からのでも勧誘や仕官の勧めにはいい思い出がないが、今回ばかりは気分が良かった。


「嬉しい誘いだが、しばらくは無理だな。陸でやらなきゃならないことが山積みだ」


「そうか……そうか…………」


 酔っているせいか本気で落ち込んでいるメリンダに、ファレルはわずかばかり罪悪感を覚える。

 船乗りとして自由に生きる、そんな人生に憧れないわけではないが、自分が自由を選ばないことをファレルは知っている。祖国の再興を目的と定め、それが自分のやりたいことだと腹を括った時点で他の生き方など眼中から消えていた。


「ああ! そうだ!」


「お、おお、どうした?」


 落ち込んでいたかと思えば突然そう叫ぶメリンダ。だいぶ酔いが回っているようで柔和な笑みを浮かべていた。

 

「湖の向こうまでは私の船に乗っていけばいい! 他の船よりはるかに速いし、楽しいぞ! 今回の恩もあるし、船賃は無料ただだ!」


「あ、ありがたい申し出だ。雇い主に相談しておこう」


 メリンダの気勢に嫌な予感を覚えて、ファレルは周囲を見渡して助け舟を探す。しかし、期待できそうにない。

 カラールは遠くでお偉方と談笑しているし、エリカはエリカで飲み比べ手で船員たちを負かしている。ユリアンはそもそもこの場にいない。孤立無縁だ。


「船員たちは私にとっては家族そのものなんだ。それ事態はいい、いいんだがよくない。どういうことか分かるかファレル殿」


「ああ、いや、わからん」


「皆私を娘やら孫やらとして扱うということだ! 誰も女扱いしちゃくれない! いや、してほしいわけじゃないんだが、私はまだ二十二だぞ!? 確かにこんな傷だらけで女らしくないが、すこしくらい、なあ!?」


「そ、そうだな」


 管を巻くメリンダ。最初は勧誘だったはずの話の内容は今やただの愚痴へと変わっていた。武者修行のおかげで酔っ払いの相手は慣れているファレルをして初めて見る豹変ぶりだった。


「……この酒が強いのか?」

 

「ファレル殿はどう思うんだ?」


「どうって……なにをだ?」


「私のことだ! 女としてどうかと聞いている!」


 どう答えても角が立つであろう悪魔の問いに面食らうファレル。策を立てる時か、あるいはそれ以上に思考を巡らせて、結局正直に答えることにした。


「……魅力的だと思うぞ。確かに姫君や貴族の着飾ったそれとは違うが、オレは君のような女性の方が美しく思える」


「こんなに傷だらけで、しおらしくなくてもか?」


「それも含めて魅力だ。特に船を駆っている時は輝いていた。湖の女神、と言っても過言じゃない」


「女神……」


 ファレルのもはや口説き文句以外の何物でもない褒め言葉に、メリンダの口角が上がる。普段は誰に口説かれたとしてもなんとも思わないメリンダだが、心地よい酔いとファレルの本気さに完全に流されていた。


 もっとも、酔いが回りかけているのはファレルも同じだ。想像以上に酒が強かった。


「ファレル殿は優しいな……」


「そうか? あまり言われたことはないな」


「優しいとも! そういうことでもう一杯!」


 今度は別の酒をファレルの杯になみなみと注ぐメリンダ。よせばいいのにファレルはそれを一息に飲み干した。完全に酔っぱらていた。


『それと、お酒はほどほどに。若様はそれほどお酒には強くない上に、いろいろとになってしまいますから」


 酒で溺れたファレルの脳内にテレサの声が響く。慎まねばと一瞬思いなおしたファレルだが、気付いた時には一夜の過ちに足を踏み入れてしまっていた……。



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