第47話 誰がために
彼女、ユリアン・マクヴィッツという名で呼ばれる王の影はその時を待っていた。
戦場に飛び込み、その爪で敵を引き裂きながらも常に彼の動きを意識し、どうすべきかを探った。
彼が操舵席に昇ったのを見て、その意図を察した。すぐさま限界まで気配を消して、マストを昇った。蜘蛛のように音もなく跳び、標的の頭上に身を潜める。
後は待つだけでいい。それだけでことは済む。
彼女はあのメイドや皇女のように護衛対象に対して特別な感情は抱いていない。ただ彼の技量、強さについては副団長として傍で見てきたという自負がある。
戦士の国であるアルカイオス王国においてもなお特別。個人の武勇はもちろんのこと、将としての才気も同年代でも飛びぬけていた。
それが彼女の護衛対象、アルカイオス王国第一皇子ファレル・アルケイデンだ。彼は必ず機会を作る。
そうして、その瞬間が訪れる。眼下の戦闘、膠着状態にあったそれが動く。
背後で様子を伺っていた魔法使いが術を完成させたのだ。標的は間違いなくファレル。であれば、今だ。
「――っ!」
マストを蹴って、中空に身を躍らせる。身体を一本の槍のように引き絞り、頭から標的に向かって落ちていく。
「なっ!?」
交差の一瞬、硬化した爪が柔らかい肉を裂き、硬い脊髄を断ち切る。驚きの表情のまま、老魔法使いの首はその場に静止していた。
そのまま着地する。猫のように丸まって衝撃を殺すと、甲板上に降り立った。
遅れて老魔法使いの首が転がる。主を失った体は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
こうなっては魔法使いとて死ぬ。ファレルの作戦通りだ。勝敗は決した。
「さて、そちらの勝ち目は亡くなったわけだが、どうするね?」
余裕を持ってファレルが再び尋ねる。答えは分かっていたが、無用な流血を避けるのは将としての義務だ。
頭目はカトラスを構えることでそれに応える。姿勢を落とすと、じりじりと間合いを詰める。
「……よろしい。では、決着としよう」
有用な人材兼貴重な情報源を殺さねばならないことに歯噛みしながらも、ファレルは剣を大きく振り上げる。
深く息を吸い込み、意識を集中させる。次の一撃のために全身全霊を注ぎ込んでいく。
先に動いたのは頭目だ。右手のカトラスを頭上に掲げながら、間合いに踏み込む。同時に左手が懐に滑り、短剣を掴んだ。
戦場で培われた必殺の構えだ。敵の攻撃をカトラスで防ぎ、左手の短剣で急所を貫く。頭目も手傷を負うことになるが、相手の命は確実に奪える。
対するファレルは遅れて動く。敵の動きを見極め、集約した力を刹那に解き放った。
両者が交錯する。その後、一方は地に伏し、一方は健在だった。
「み、見事……」
頭目は肩口から大きく切り裂かれ、うつぶせに倒れている。致命傷だった。
ファレルの一撃は防御に回したカトラスごと頭目を切り裂いた。
アルカイオス王国に伝わる剣術、その奥義ともいえる『獅子の一撃』だ。膂力だけではなく全身を連動させて放つその一撃は例え鋼鉄の大盾を用いても防ぐことはできない。
「ア、アルカイオスの剣技……まだ使い手が生き残っていたとはな……」
今わの際、頭目はファレルの剣技を看破する。互いに名乗りもなく名誉も伴わない決闘だったが、正々堂々と敗れたことは頭目にとっては幸いなことだった。
「済んだようだな」
甲板を制圧したメリンダが操舵席に上がってくる。頭目と魔法使いの遺体を一瞥すると、少し安堵するように息を吐いた。
「ゴート号に戻ろう。すぐに味方の援護に行かないと」
ゴート号が敵船に突撃した際の轟音は味方の二隻への合図でもあった。その合図に応じて敵の足止めを行ってくれているはずだが、片方は商船でもう片方は旧式の船だ。ゴート号の援護がなければどうなるかわからない。
「……わかった。少し待ってくれ」
そう言ってファレルは頭目の遺体を検める。そう時間はかからない。見るべき場所は分かっている。
「…………面倒だな」
頭目の背中に、それはあった。
長い牙を持つ狼の刺青。小さく目立たないそれはある組織の構成員が互いを識別するために刻まれるものだ。
「……黒狼。帝国の間諜ですか」
ファレルに代わり、ユリアンが言った。任務中の演技をしていない彼女には珍しく嫌悪をあらわにしていた。
「知っていたか。まあ、
「あんな雑な連中と同じにしないでください。連中は自分たちの痕跡を消すためにわざわざ村に火をつけるような輩です。野盗と変わらない」
「……ふむ」
ユリアンの反応を興味深く観察しながらも、ファレルは『黒狼』について思考を巡らせる。
黒狼、またの名を帝国の草刈り鎌。その実態はアルカイオス王国の王の影と同じようなものだが、ユリアンの言葉通り、その仕事ぶりは褒められたものではない。
なにせ、間諜だというのに彼らが関わると大抵の場合、虐殺が起きる。それもそれ自体が目的なのではなく自分たちの関与や帝国の意図を隠すために殺戮を敢行するのだから始末に負えなかった。
「……我々の妨害のために派遣されたので?」
「いや、それにしては回りくどい。どちらかといえば、この湖が目的だろう。先住民を焚き付けて叛乱を起こさせるのもやつらのやり口だ」
戦を起こすのにも大義名分が必要だ。その大義名分を用意するのもまた黒狼のような集団の仕事の一つだ。今回の場合は湖の守り人と敵対していたリゲイア族をそそのかしたのだろう。
「ここはまだ帝国の領内です。なぜ同じ国の同胞である湖の守り人に対してこんなまねを……」
「理由はいくらでもあるさ。守り人たちは帝都の勢力に属してないしな。目障りに思われるのもうなずける。問題は誰が指示したかだが……それについてはあとで考えるとしよう」
そうは言いつつも、ファレルの脳内では今回の件の黒幕についてはほとんど絞り込まれている。
その黒幕は今から二、三日以内には通りすがりの傭兵に自分の計画をとん挫させられたと知り、臍を噛むことになる。その様を想像すると、自然、ファレルの顔にも笑みが浮かんでいた。
「……笑っておられますが、帝国は味方なのでは?」
「む、顔に出ていたか。よくない癖だな。だが、お前も面白いことを言う」
まったくもって理解できないといった様子のユリアンに対して、ファレルは笑っている。
今のファレルはユーリアという主君を介して帝国に属している。つまり、帝国は敵ではない。一度もそう考えたことはなかったが、ユリアンの言葉はあながち間違いでもなかった。
「確かにそうだ、今帝国は敵じゃない。だが、覚えておけ。オレは帝国に仕えているわけじゃない。そして、ユーリアに仕えているわけでもない」
そう口にするファレルの目には確固たる意志がある。誰にも消すことのできない烈火の如き強い意志が。
「…………では、何に仕えておられるのですか?」
ユリアンは思わずそう問うていた。
ファレルの強い意志は彼女には欠落したものだ。この世に生を受けた時にはもちえたのかもしれないが、王の影として修練を積むうちにどこかに消えてしまった。
だからこそ、知りたい。その意志がどこに向かうのか、何のために
「決まっているだろう。オレはオレに仕えている。国を取り戻すという目的も、そのために選んだ道もすべて、オレの意志の結果だ。ならば、あらゆる行いは最終的には自分のためなのだろうよ」
「自分の……ため……」
すべて自分の意志、前項も悪業も己がためのもの。そのあり方は傲慢であり、どこまでも人間らしく、王の影とは真逆のあり方だ。
だが、ユリアンにはそのあり方が遠く輝く灯のように思えた。自分もまたそのように生きててみたい、そんな思いが彼女の奥底に芽生えていた。
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