第46話 水上戦

 湖賊が魔術を使っていると分かった時点で、ファレルはニーナに対して二つのことを命じていた。

 

 一つは霧の中を見通す手段を用意すること。目でも耳でも、あるいは匂いでも構わないからとにかく霧が出ていても問題なく動けるようにしろ、とファレルは言った。


 ニーナはこれを事前に周囲の地形を映像として脳内に保存することで実現した。その映像と現在の船の位置を照らし合わせたものを、念話で共有することで彼女は霧の中でもゴート号が迷わず進めるようにした。

 これにはファレルが露天商から購入した材料が大いに役立った。航海安全の効果を漏らすそれらはそのままニーナの魔術の補助に転用できた。


 無論、船を己の体のように操るメリンダと船員たちの技量ありきのものだが、それでももはや霧はゴート号にとって障害ではなくなった。


 もう一つは敵の魔術の妨害。ゴート号が魔術で霧を攻略したように、湖賊も何らかの魔術で霧の中でこちらを捕捉しているはずだ。

 でなければ、これほどの濃霧の中で正確な攻撃を仕掛けることなど不可能。ましてや、ただでさえ扱いが難しく精度も悪い火砲を命中させることはできない。


 その魔術を妨害する。つまり、敵の目を奪う。これで条件は対等、いや、船員の技量、地形への理解度を考慮をすればゴート号がはるかに有利だ。

 これに加えて、ニーナはただ相手の魔術を妨害するだけではなくある仕掛けを施していた。


「――南に四十度。二隻目は後方西北西、距離は遠い」


「了解!」


 ニーナからの報告に合わせて、メリンダが舵を切る。

 帆船は霧の中を環礁を避けて、蛇行するヘビのように進んでいく。砲撃は船の側を掠めはするものの命中することはない。


 ニーナは相手の魔術を妨害するだけではなく、その痕跡を辿ることで敵船の位置を正確に把握している。相手の念話を傍受することで砲撃の瞬間を感知もしている。

 これらはファレルの指示以上の成果だ。もはや敵は婚らの極みにある。昨日の襲撃の意趣返しには十分すぎるほどだ。


「そのまま直進! すぐに接敵します!」


「わかった!」


 ここまでは作戦通り、いや、作戦以上だ。

 残るは詰めの一手。しかし、この一手は容易くない。何もかもが思惑通りに進んでいる時こそ、最後の最後に落とし穴があるものだと二人ファレルとメリンダは知っている。


「霧が……!」


 ようやくたどり着いた直線航路。敵船の側面がかすかに見えたその瞬間、


 さきほどまで視界を覆っていた濃霧が突然霧散した。まるで最初から霧など出ていなかったかのように朝日が姿を現し、晴天の下に放り出されてしまったのだ。


 霧の向こうにけぶっていた敵船の姿が露になる。当然、敵からもゴート号の姿がはっきりと見える。側面から真っすぐ突っ込んでくるゴート号の船影が。

 敵船はやはり中級のガレオン船。その側面に取り付けられた山門の火砲はゴート号に向けられていた。


 湖賊はまだゴート号に気付いていない。今更回避は無理だ、このまま勝負を決める以外に活路はない。


「砲撃、来ます! 三発!」


「くっ!」


 ニーナからの報告が飛ぶ。メリンダは被弾覚悟で舵を切らない。ゴート号は比較的小型の船だが、船底への直撃さえなければ一撃で沈むことはない、はずだ。


「――いまだ、エリカ!」


「応!」


 だが、戦っているのはメリンダだけではない。

 ファレルはこの事態を想定していた。その上で対処するための策を用意していた。


 船首に立つのは百発百中の射手たるエリカ。彼女の古木の弓には三本の火矢が番えられていた。

 狙いはゴート号を狙う三つの火砲、その砲口。魔物の顎の如きその一点こそがエリカの標的だ。


「――フッ」


 息と共に指を放す。引き絞られた弦が解放され、三本の火矢は吸い込まれるようにして砲口へと飛び込んだ。


 次に起こるのは、爆発。放り込まれた火種は大砲の内部の火薬に引火し、火砲そのものをその力で吹き飛ばしたのだ。

 

 道は開いた。あとは駆け抜けるだけだ。


「吶喊する!」


 追い風を帆に受けて、ゴート号を加速させる。

 速度、船そのものの重さ。その二つは船首に備わった二つの角に集約され、とてつもない破壊力を生む。それこそ火砲さえも大きく上回る。


 激突。衝撃に敵船が撓み、傾き、敵船の船底さえ見える。山羊ゴートの角は敵の脇腹に突き刺さり、確かに捉えたのだ。


「――乗り込むぞ!」


 メリンダの号令が響く。もはや敵船は動けない。残りの二隻は追いついていない。この好機を待っていたのだ。


 一番乗りはファレルその人。目に留まらぬ素早さで敵船に乗り込むと、初太刀で二人をもろともに切り捨てた。


「おっと、狭いのを忘れていたな」


 振るわれた剣は二人の船員を両断したうえに、勢い余って船べりに食い込んでいる。決定的な隙だが、あまりの膂力に湖賊たちの思考は停止していた。


 驚きに呑まれているのは、敵だけではない。遅れて乗り込んだゴート号の戦闘員たちもファレルの武勇に息を呑んでいた。


 この作戦を立てたのがファレルであることは彼等も知っている。それゆえ、ゴート号の船員たちはファレル頭脳労働専門の軍師だと思い込んでいた。初日の船酔いからしても戦うものとしては見ていなかった。

 それがどうだ。今敵船で戦うファレルの姿はまさしく猛将のそれ。彼の放つ将としての気配にその場にいる全員が呑まれていた。


「なにをやっている? 戦いだ。寝ぼけていると出番がなくなるぞ」


 ファレルの言葉通り、彼の配下二人はすでに敵船で暴れている。逆にこちらに乗り込もうとしている敵はエリカの狙撃で撃ち落とされ、ユリアンはファレル以上の速さで敵を殲滅しつつあった。


 そのことにようやく気付いた船員たちは後れを取るまいと次々敵船に乗り込んでいく。対する敵は不意もつかれたこともあり及び腰だ。


 戦力の差は明らか。ただの戦ならばすでに勝敗はついたも同然だが、今回の敵には魔法使いがいる。熟達した魔法使いはそれ単体で戦局を覆しうる存在だ。心臓を貫くか、首を刎ねるまでは安心できない。


 戦いの最中にある甲板で、ファレルは冷静に台風の目を探す。戦場という嵐の中で唯一戦いから離れているその場所に、敵将と魔法使いはいる。


「――あそこか」


 高台にある操舵席、その周辺だけは不自然なまでに。それに気づいたファレルは敵兵を蹴散らしながらそこへと駆け上がった。


 操舵席にはやはり、敵船長と思しき壮年の男と老魔法使いがいる。側には切り捨てられたゴート号の船員が横たわっていた。


「今からでも降伏するなら、我が父祖の名に懸けて命だけは保証しよう」


 ファレルの降伏勧告に、船長は答えない。魔法使いも同じく。ある意味では潔い態度ではあった。


「……貴様、キュルケの街のものではないな。戦場の匂いがするぞ」


「ご名答。そういうそちらもただの賊ではないな。名乗るといい。名誉はないが、意義はあろう」


 ゆっくりと構えながら、ファレルは視界の端でマストの上に影を捉える。

 テレサほどではないが、が自分の意図を組んでいることに内心ほくそ笑んだ。


「名はない。とうの昔に奪われた」


「そうか。似た者同士というわけだ。では、名無し同士、尋常に――!」


 ファレルと船長が同時に踏み込む。両者の得物が空中で交差し、火花を散らした。


 ファレルが振るうのは使い込んだ両手剣。のある代物ではないが、その頑丈さは折り紙付きだ。対する船長の武器は船上での戦いに適した片手剣カトラスだ。

 間合いの広さではファレルだが、取り回しの良さは船長が勝る。


 両者の剣戟はほとんど互角。技量だけで言えばファレルの方が優れているが、船上での戦いでは船長に一日の長がある。


「チッ!」


 ファレルが剣を振るうたび、船そのものが邪魔になる。その隙を突いて船長は間合いを詰めて、的確な斬撃を放つ。


 すぐに剣を率いぬいたファレルが反撃するが、そのたびに船長は距離を空けて攻撃をかわす。

 無理に攻め込む必要はない。老魔法使いが魔法を放つための時間さえ稼げればそれでよかった。


 だが、ファレルは決して容易い相手ではない。すべての攻撃に必殺の威力があり、船長にはほかに意識を向ける余裕はなかった。


 ゆえに、気付かなかった。一つの影が彼らの頭上に姿を現したことに彼らは気付かなかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る