第44話 作戦

 湖賊の隠れ家は湖の東岸、そこにある入江の奥まった場所に存在していた。

 ゴート号はその近くに停泊し、上陸用のボートを下した。ボートにはファレル、ユリアン、二名の船員、そしてメリンダが乗っていた。


「やはりもぬけの殻か。連中はここを捨てたようだな」


 改めて隠れ家の様子を見渡してミランダが言った。確かに隠れ家には人一人いないし、荒れている。とても人が暮らしていたようには見えなかった。


「いや、違う。よく見てみるといい。賊は一度ここに戻っている」


 残された焚火の後にしゃがみ込み、ファレルはそう断言する。水上では役立たずでも陸上でのファレルは古強者だ。かすかな痕跡も見逃さない。


「なぜわかるんだ?」


「この焚火の炭まだ温かい。この温度だと昨日の夜だな。そう見えないように他は偽装してあるが、こいつは忘れたらしい」


「なるほど。では……」


「かなり近くに潜んでいるはずだ。ここは罠だな。停泊している間もどこかから見てたんだろう」


 ゆっくりと立ち上がるファレル。平然と膝の埃を払いながらも、内心ではある確信を抱きつつあった。


 この湖族はひどく手馴れている。これではただの賊ではなく軍のやり口だ。頭目がどこぞの軍の将軍だったという話も真実味を帯びる。

 問題は、今もその軍とつながっているかどうか。まだ現役だとすれば事態はさらにややこしくなってくる。


「とにかく、早く船に戻ろう。この周辺は敵の領域だ。襲われるのは避けたい」


「……そうだな」


 いつのまにかファレルは敬語をやめている。無意識だったが、戦いに際した時点で彼の心の内はすでに将としてのそれに変化していた。

 

 その後、ゴート号は隠れ家から離れるようにして、東側にある環礁へと向かった。この環礁は年に何隻もの難破船を出す危険地帯で地元の民からは『破産者の入江』と呼ばれていた。


 そんな環礁をゴート号は滑るように進んでいく。

 驚くべきはメリンダの操舵の腕前とゴート号の乗組員の練度の高さだろう。彼らは帆船を馬のように乗りこなしていた。


 もっとも、メリンダの乗っていないカラールの商船と組合長の船はそうはいかない。彼らはメリンダの誘導で緩衝の近くにある入り江に停泊することになった。

 どちらにせよ、この二隻は戦力として連れ来たわけではない。ようは囮だ。湖族の眼が少しでもそちらに向けばそれでよかった。


「よし、今日はここで停泊する。総員警戒を怠るな!」


 メリンダの檄が飛び、船員たちが動く。ゴート号が錨を下ろしたのは環礁の中央近く。周囲を切り立った岩場に囲まれ、水流は複雑に入り組んでいた。

 並の船と乗組員ではすぐに岩場に叩きつけられて、船底に穴が開いて沈没するだろうが、この船と乗組員ならばその心配はなかった。


 この危険地帯に船を停めるのも、ファレルとメリンダの立てた作戦の一環だ。うまく事が運べばこの地形は敵には脅威となり、ゴート号には味方となってくれるはずだ。


 そうして、日が暮れる。夜になってもゴート号では灯りが焚かれ、警戒を厳となしていた。


「……敵の船は三隻。もし、戦力を温存していたとしても一隻程度だろう」


 船内にある船長室で机の上に置かれた湖の海図を指しながら、メリンダが言った。

 この場にはファレル達一行に加えて、残る二隻の船長も集められている。まず間違いなく起こるであろう明日の襲撃に向けて最後の軍議が行われていた。


「この三隻の内、火砲を積んでいるのは一隻だけだ。おそらくそこに族の頭目と魔術師が乗っている。そして、この船はこの位置に来るはずだ」


 メリンダが指さしたのは、環礁の南側にある開けた場所だ。そこからならば環礁全体をくまなく見渡せる。敵が陣取る場所としてはこれ以上なく納得がいった。


「残りは東西からこちらの逃げ道をふさぎ、砲撃に合わせて船を寄せてくる。敵はこちらを侮っているからな、前と攻め口を変えることはないはずだ」


 そこでメリンダはファレルに視線を向ける。彼が頷くのを確認すると、彼女はこう続けた。


「あなた方にはそうなるまではしてもらいたい。動くべき時が来たらこちらから合図を出す」


「待ってくれ、メリンダ。それでは危険すぎる、ゴート号だけで戦うつもりか?」


 組合長が言った。彼もまたメリンダほどではないにしても歴戦の船乗りだ。この作戦の危険性はすぐに理解できた。


「そうじゃない。ただ、その時までは動かないで欲しいんだ。じゃないと、敵が勘づくかもしれない」


「だが……」


「今回ばかりはあなたでも私の指示に従っていただく。できないなら、今からでも錨を上げて帰ってくれて構わない」


「…………わかった。お前に従おう」


 メリンダの強い意志に、組合長が引き下がる。ここにいる時点で彼もまたメリンダに賭けている。今更疑うような性分は持ち合わせていなかった。


「霧はどうするんだね? 魔術の風で散らすのかね?」


「いや、霧はそのままにする。その方がいい」


 メリンダの答えに商船の船長が怪訝そうな顔をする。

 彼はカラールに雇われた船乗りで、陸では彼女の護衛も務めている。乗っている船は商船だが、白兵戦となれば戦力として期待できた。


 だからこそ、メリンダの意図が理解できない。不利な状況を放置したまま戦うなど正気の沙汰ではない。


「質問はなしだ。ともかく合図を待ってくれ」


「……その合図ってのはどんなもので?」


「大きな音だ。砲撃の音ではない、とだけ言っておこう」


 意図こそ理解できないものの、メリンダの自信に雇われ船長も頷く。

 カラールのような商人のもとで働いていれば仕事の内容を知らされないことも往々にしてある。今更この程度のことは割り切れていた。


「では、解散だ。各自、厳戒態勢を維持してくれ」


 そうして二人の船長が退席すると、船長室にはメリンダとファレルの一行だけが残される。

 ようやくメリンダは肩の力を抜いて息を吐きだした。味方も警戒せねばならないというのは彼女には中々に酷な状況だった。


「それで、ファレル殿。そちらの準備はどうだ? 間に合ってくれなければ我らは終わりだが」


「どうなんだ、ニーナ。間に合うのか?」


「だ、大丈夫です。も、もうあとは夜明けを待つだけです」


 フードを深くかぶったままニーナが答えた。一流の魔術師である彼女でも今度のファレルの無茶にはかなりの無理をする必要があった。


 しかし、その甲斐あって準備は万端だ。ただ注文通りに仕事をするだけではなく相手の術を解析し、その中身を知ることもできた。ニーナとしてはこれだけで満足と言えるほどの成果だった。


「エリカ。自信のほどは?」


「あるに決まってるでしょ。ものさえ見えれば確実に射抜ける」


「であれば、オレとユリアンが仕事をこなせばする話だ」


「お任せを」


 残る二名も己の腕前には絶対の自信を持っている。敵が何ものであれ、己が得物の届く範囲ならば彼女たちに負けはない。


「ということらしい。船長、あとは貴女次第だ」


「わかっている。なんとしても君たちを送り届けてみせるさ」


 メリンダもまた己と己の船に確信を持っている。それは言葉にも表れているし、態度にもしている。それを疑うものはこの船の船員にはいない。

 だが、その自信の裏にかすかな陰りがあるのをファレルは見て取った。


 ある種直感めいたものであり、メリンダ自身もおそらくは無自覚なのだろうが、その微かなものが戦局を左右することをファレルは知っている。

 つまり、どうにかしなければならない。ふと脳裏に拗ねるテレサとユーリアの姿が並んで浮かぶが、ファレルはそれをどうにかかき消した。

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