第43話 出航
第二次討伐隊には、ゴート号に加えてカラールの所有する商船、そして組合長配下の軍船が参加することになった。
合わせて三隻の討伐隊。数の上では湖賊と互角だが、前回に比べたら戦力は三分の一以下だ。
当然、組合員の大半は無謀だと反対したが、メリンダ船長は出港を強行した。座して死を待つことは彼女の矜持が許さなかったのだ。
しかし、メリンダは決して自棄になったわけではない。彼女なりの勝算があるからこそ船を出すのだ。
「いい船だ。よく愛されている」
「そんなに船に乗ったことないでしょ」
「す、少し揺れますね」
「わたしに掴まってください、魔術師殿」
その勝算とはこの四人、今しがたゴート号に乗り込んだファレルを筆頭とした一行だ。これから勝ち目の薄い戦いに赴くにしては観光に行くような気軽さだった。
そんな四人を船員たちは怪訝そうに見つめている。彼等の目から見れば四人が船や湖に関して素人であることは明らかだ。 とてもこれからの戦いにおいて切り札になるとは思えない。
それでも、彼等の統率には一切の乱れがない。それだけ船長であるメリンダの信頼が厚いという証拠だった。
「よく来てくれた、ファレル殿」
メリンダと握手を交わすファレル。戦う場所も、仕えるものも、何一つとして同じでない二人だが、戦うものとして互いに好感を持っていた。
「まずはこの船について教えておこう。事前に説明はしたが、実際に目で見るのと言葉で聞くのは往々にして違うものだ」
そう言ってマストを撫でるメリンダの手つきからは船への愛情が垣間見える。彼女のような船長にとって己が船とは、家であり、家族であり、人生そのものだった。
「このゴート号は三本のマストを持つカラベルだ。大きさはそこまでじゃないが、小回りが利く上に速度も速い。少なくともこの湖においてこの船よりも早い船はない。無論、乗組員の練度も随一だと自負している」
大陸においてはさまざまな艦船が運用されているが、このゴート号は比較的旧式な部類に入る。
遥かの南方の海洋では試験的にだが、外輪船と呼ばれる風も海流も関係なしに進む船が運用されているという噂をファレルは耳にしたことが、旧式の船はその歴史の分信頼性がある。ましてや、ファレルが考案した作戦においては小回りと機動性こそが重要だった。
そして、もう一つ重要な
「そして、これがこの船の名前の由来となった『
「ええ、期待以上です。これならば敵を捉えられる」
敵船に突撃するための
鋭く大きなその二本の角は
この衝角こそがファレルの作戦の二つ目の要だ。メリンダの言葉通りに機能するならば敵の切り札を封じることも可能だろう。
作戦そのものはメリンダも同意している。これならば十分に勝ち目があると判断したうえで、水上戦の達人である彼女が細かい点に修正を加えた作戦だった。
「船長、準備完了しました」
「よし、出航だ! 西周りに進むぞ!」
メリンダの号令に応えて錨が巻き上げられ、帆が広げられる。水流に押されて船はゆっくりと湖へと乗り出していく。
そうして、すぐに帆が風を捉え、船は加速する。数分もしないうちにゴート号は噂通りの速度を発揮し始めた。
◇
波を蹴立てて、船は進む。風は追い風で空も晴れている。目的地のことさえ考えなければ、快い船旅と言えた。
もっとも、その船旅を満喫できていないものが一人だけいる。その人物は船べりにしがみついて、雲霞のごとく押し寄せる吐き気をどうにか堪えていた。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「だ、大丈夫だ。す、すぐに慣れる。ただ少し、揺れが――」
その人物とは、黒騎士ファレルだ。普段から演じている黒騎士としての威厳や恐怖はどこへやら打ち上げられた魚のようなありさまだった。
最初は船室に入っていたのだが、エリカと共に甲板に出てきていた。
大陸の国家の大半は内陸国家だ。必然、内陸にいる人間は船に乗る機会は少ない。その例に漏れずファレルもまともな帆船に乗るのはこれが初めてのことだった。
もっとも、船室にいるユリアンもニーナも航海は初めてだし、エリカも数えるほどしか経験はない。本人は認めたがらないが、ファレルが船に弱いのは誰の目にも明らかだった。
「まったく、ほら背中をさすってあげるから」
「すまん……ありがと――」
もうすでに胃の中に吐くものは残ってはいないが、不思議なもので吐き気はこみあげてくる。戦場で戦っている時の方がはるかにマシだと思えるような状態だった。
そんなファレルの背中をエリカがさする。
普通ならば呆れて幻滅してもおかしくない状況だが、エリカにとっては兄貴分が自分に弱みを見せてくれることは決して悪いことではない。むしろ、あれほど遠かった背中が今はすぐそばにあるということが嬉しかった。
もっとも、ファレルのことを知らぬゴート号の船員たちにとってはそうでもない。彼等にしてみれば頼りないという印象をますます強めるだけだった。
「ねえ、なんでわざわざ船に乗ったの? ここまでしなくたって砂漠を渡ればよかったじゃない」
「砂漠は嫌だって言ったろ? それに危険性なら大して変わらない。砂漠越えの成功率も四割くらいだしな」
エリカの問いに、少し落ち着いたファレルが答える。本人の言葉通り船の揺れにもだいぶ慣れてきたようだった。
「同じように賭けになるなら自分で関与できる
それに船に乗ってみたかったしな、とファレルは付け加える。その両方が偽らざる本音というのがファレルという人物の妙味だった。
砂漠か、湖賊か、どちらにせよ危険を冒さなければ目的地に行けないなら、己の意志を通せるほうを選ぶ。国を再興するためにあえて仇たるユーリアに仕えることを選んだのもまたその性分を貫いた結果といえるだろう。
「いい心意気だ。我々船乗りの覚悟にも近い。君たちを選んだ自分の目は間違っていなかったようだ」
舵をとっていたメリンダが二人に歩み寄ってくる。
肩の力を抜いているように見えても、彼女の感覚はこのゴート号の隅々にまでいきわたっている。船内のどこであれ異常があればすぐに察知することが可能だ。特別な技術ではない、船長としてのたしなみのようなものだった。
「ありがとう、船長。君ほどの船乗りにそう言ってもらえると少し吐き気もおさまる」
「なら、よかった。せっかく船旅だ。頼み込んだこちらとしては楽しんでもらわねば沽券にかかわる」
メリンダの言葉通り、ファレルたち一行に同行を頼んだのは彼女からだ。
それも最初は魔術師であるニーナを貸してほしいというのが頼みの内容だった。敵が魔術を使っている以上は同じ専門家に頼るしかないと考えたのだ。
しかし、宿でファレルと話し、意気投合したてからはニーナだけではなく彼ら全員を船に乗せることにした。ファレルの作戦を気に入ったというのもあるが、戦力として見込んでのことだ。船の操舵や航海でではなく戦士としての力を求めていた。
「討伐隊が発見した隠れ家まではあと数時間でつく。そこから始めよう」
「了解した。なに、大船に乗ったつもりで――」
そう言ったところで船べりに戻るファレル。格好こそつかないが、メリンダは目の前の男の力を疑ってはいない。この男が噂通りの人物ならば必ずや役に立つと彼女は確信していた。
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