第42話 リゲイア族
『湖の守り人』は古くからトリトニス湖の東側を管理してきた。湖全体を管理するようになったのはここ二十年のことで、それ以前はある勢力と湖の覇権を争っていた。
重要なのはその勢力だ。リゲイア族と呼ばれる先住民族、彼等は湖の守り人や流国、帝国がこの湖を利用し始めるよりはるか昔からこの場所に住んでいた。
噂によれば、このリゲイア族には不思議な力を操る祈祷師がいるという。その祈禱師が天候を自由に操ることで、リゲイア族は少数でありながら広大なトリトニス湖を支配していたのだ。
ファレルの言う商売敵とは、そのリゲイア族のことだ。
しかし、かつて彼等と戦っていた湖の守り人には受け入れがたいものだった。
「ありえない! やつらはとは協約を結んだ! もう二十年も前のことだ!」
「そうだ! 当時の族長は我らに約束した! 二度と互いに争わないと!」
「それにリゲイア族にあんな軍船を造る能力はない! 火砲の扱いについてもそうだ!」
船主たちは敵意さえ感じさせる剣幕で、ファレルの言葉を否定する。
二十年前のリゲイア族との戦いを経験した世代にはその凄惨さは心の傷になっている。思い返すことさえ苦痛なのだ。
しかし、事実は事実だ。それを受け入れなければその事実に押し殺されるだけだ。
「だから、
「しかし……魔法が使われているといって、リゲイア族とは……」
「それに関しては、証拠がある。私の仲間の魔術師が魔法の痕跡を調べた。彼女は帝都の魔術院の出身でね。その彼女が見たことのない魔法が使用されていた。つまり、この地域に特有の魔法だと考えられる」
これも事実だ。
ファレルは討伐隊が破れたという報せを聞いた時点でニーナに帰還した三隻の船の調査を命じていた。
その結果、ニーナの知らない魔法が使用された痕跡が確かにあった。それがリゲイア族のものだと特定する根拠はないが、状況証拠からいってまず間違いはないだろう。
「……私もこの護衛の意見に賛成だ。あの霧は魔法でなければ説明がつかん。それに、あの敵の攻撃には明確な敵意があった。追い詰められての反撃ではなく、こちらを殺すための執念があった。
メリンダが言った。実際に湖賊と交戦した彼女の言葉は大きい。船主たちも敵にリゲイア族がいるということを認めざるをえなかった。
ファレルも知りえないことだが、リゲイア族の関与を示す状況証拠は他にもある。
今回の湖賊に襲われた商船の乗組員は皆殺しにされていた。執拗に老いも若きも、女も男も一人残らず殺されていたのだ。
ただの賊がそこまで徹底することは珍しい。むしろ、人質として身代金を要求するために何人かは生かしておくのが普通だ。
「…‥だが、敵の正体が分かったところで、対抗策があるわけじゃない。いや、相手が本当にリゲイア族ならば交渉の余地冴えない。このままではこの街は破産だ」
そう口にしたのは組合長だ。
争いの末、入植者に故郷を追われたリゲイア族の恨みは計り知れない。彼等がこのキュルケの街が消滅するまで攻撃をやめないであろうことは明らかだ。
であれば、戦うしかない。善悪の問題ではない。生き延びるためには武器をとるしかない時もある。
問題は、その戦いだ。討伐隊はすでに敗れた。このキュルケの街に戦うための手段は残されていない、そう思われた。
◇
その後、重苦しい沈黙のまま、会合は解散となった。誰も解決策を提示することはできず、時間だけを空費することになってしまったのだ。
ファレル達一行も宿に戻った。あの会合の場でできることはやった、そうファレルは考えていた。
「結局、何がしたかったわけ? あれじゃ場をひっかきまわしただけじゃない」
部屋に入って開口一番、エリカが言った。口に出すことこそしないが、ユリアンも同じ疑問を感じていた。
唯一、カラールだけはファレルの意図を何となく察しているようだった。
「なに、このまま待っていても船は出なさそうなんでな。発破をかけてやったまでだ」
「でも、組合のやつらすっかり腰が引けてたじゃない。あれじゃ逆効果でしょ」
「そうでもないぞ。というか、もともと全員が動くとは期待してない。お前も経験あるだろう、百人いても実際に戦えるのは二十人程度だ」
「そりゃそうだけど……」
どんなに訓練を受けて、どんなに崇高な動機があっても、戦場出れば必ず足が竦む。そこから相手と戦い、殺すことができるのは五人に一人、つまり百人のうち二十人程度だ。
これはファレルが経験として理解している法則だ。加えて言えば、将の役割とはまともに動けない八十人をどう動かすかにある、とファレルは考えていた。
しかし、それが今の状況とどう繋がるかがエリカには分からなかった。
「動かすのは一部の人間でいいって話だ。それよりニーナ、どうだできそうか?」
ファレルが問うが答えは返ってこない。
ニーナは部屋の隅で何やら作業をしている。よほど集中しているらしく、時折、呼吸さえも忘れていた。
「……まあ、この調子なら問題はないだろう」
そんなニーナに対して、ファレルはそう頷く。
そもそも彼女にこの作業を依頼したのはファレルだ。完成すれば切り札になるが、ないならないでやりようはある。
「だから、どうしたいわけ? 船が出ないなら砂漠を越えるしかないのよ。早く準備しないと……」
「砂漠越えはしない。というかしたくない。前に越えた時に懲りた。あれはきつすぎる」
「そんなわがまま言ってる場合? ま、間に合わなかったところで困るのはアンタと皇女様なわけだし、あたしには関係ないけど」
拗ねたようにそう言うエリカに、ファレルは微かに笑みを浮かべる。からかうようなその態度にエリカはますます鶏冠を立てた。
「真面目にやる気がないんなら、あたしは帰らせてもらう。あんたとの契約も切らせてもらうから」
「まあ、待て。すぐに客が来るはずだ。オレが説明しなくてもそれでわかるはずだ」
「客? 一体だれが――」
そうエリカが口にしようとしたところで、扉が叩かれる。ファレルの言う客人が尋ねてきたのだ。
「失礼する」
扉を開けて客人は姿を現す。そこに立っていたのはファレルの予想通りの人物だった。
「やあ、メリンダ船長。どんな御用かな?」
メリンダ・コルレル。討伐隊の内、生き残った三隻の内の一隻『ゴート号』の船長だ。
何かを決断したようで彼女の顔には決意が現れていた。
「……こちらから押しかけておいてなんだが、まずあなた方の名前を伺っておきたい」
「ファレルだ。名字はない」
「エリカよ」
「ユリアンです」
三人はそれぞれ本名を名乗る。下手に偽名を名乗るよりはいいというファレルの指示だ。名前を名乗ったところで即自分たちの素性に結び付けられるものは少ない。
それよりも咄嗟に詰まったり、間違える方が怪しまれやすい。ならば、堂々とした方がいいというのがその理由だ。
「私にも名乗りは必要かな? メリンダ船長」
「不要だ、カラール殿。この街に暮らすものであなたの名を知らない者はいない」
カラールにそう答えてから、メリンダはファレルに向き直る。ゆっくりと息を吐いてから、こう本題に入った。
「私はこれから賊を討つために船を出すつもりだ。だが、私達だけでは前回の二の舞だ。だから、あなたたちの力を貸してほしい」
それはファレルの予想通りの言葉だった。彼自身がそうなるように誘導したといってもいい。湖を渡るための最後の鍵を得るために。
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