第41話 湖賊
結局、ファレルは夕方になるまで彼なりの観光を楽しみ、地元の魚の干物だの、漁の道具だの、特に意味のないものを買い集めた。
その中でもファレルが喜んだのが地元の酒屋で聞いた住人の昔話だ。
本人曰く、内通者からの密告に勝る情報ということだったが、同行しているエリカとユリアンには理解不能だった。
もっとも、何も得るものがなかったかといえばそうでもない。少なくとも、この街の現状と湖を荒らしまわっている湖賊についての情報は把握できた。
まずこのキュルケの街は湖賊が活動を始めてから、経済活動のほとんどが停止している。これまでの蓄えのおかげでどうにか暮らすことはできているが、湖からの物資が届かなくなって久しい。
このまま湖賊が暴れ続ければ、近いうちにキュルケの街は消えてなくなるだろう。
その湖賊だが、どうやらただの賊ではないらしい。噂によると頭目は南方の水軍の出で故郷を追われ、賊に身をやつした将軍で軍船を手足のようにという。事実であれば、賊というよりはもはや軍だが、どちらにせよ十倍近い戦力に追い回されたのでは勝ち目などない、そう思われた。
討伐隊が壊滅した、という報せが届いたのは彼らが出立した次の日の昼間のことだった。
「――残ったのは、三隻のみです」
『湖の守り人』の組合長は沈痛な面持ちでそう口を開いた。
街の中心にある公会堂でのことだ。そこには今この街にいる船主全員とその関係者が集められていた。
そこにはカラールとその護衛ということになっているファレル達も混じっている。
「ふざけるな! 十隻の艦隊だぞ! そんなことが起こるはずがない!」
「そうだ! 相手はただの湖賊だぞ! 何が起きたんだ! 説明しろ!」
悲鳴めいた声が船主たちから上がる。その大きさに公会堂がゆれた。
今回の討伐隊の編成に出資したのは彼らだ。何人かは船と乗組員を差し出したものもいる。それがただ沈没しましたでは納得できるはずもなかった。
「お静かに! ここに生き残った船長の一人が来ています! 彼女から説明します!」
組合長の隣に座っていた女性が立ち上がった。
赤さび色の髪を後ろで結び、三角帽を被っている。目つきは鋭く、両手は傷だらけだが鼻筋の通った美しい顔をしていた。
女性の船長とは珍しいが、立ち姿は凛として船長に相応しい風格がある。多少憔悴しているようだが、彼女が生き残ったのがその技量のおかげであることがファレルには分かった。
「――カーソン商会の、ゴート号船長、メリンダ・コルレルだ」
メリンダが名乗ると、あれほど騒がしかった公会堂が静まり返る。彼女の顔を知らない者も、彼女の名声は聞き及んでいた。
「ことの経緯から説明させていただく。それで我らに責があると皆が判断したのなら、謹んで罰を受けよう」
潔い態度だった。気性の荒そうな船主も彼女の言葉にはおとなしく耳を傾けていた。
「出航した我らはまず、賊の隠れ家があると思われた西の海岸沿いに進んだ。一日目の夕方には隠れ家を発見し、陸上部隊を派遣したが、すでにもぬけの殻だった。敵がこちらの攻撃を察していたことは明白だった」
その言葉は暗に、街に湖賊と通じているものがいるという可能性を指摘したものだ。事実、船主たちは咄嗟に互いに顔を見合わせた。
「夜襲を警戒した我らは密集して、さらに西に進み、夜になったところで錨を下した。見張りを立てて、船長会議の結果、さらに西に進むことになった」
ここまでは事前の取り決め通りだ。
もとから少数で逃げ回る湖賊をすぐに捕捉できるとは、討伐隊も思ってはいなかった。
まずは隠れがあると思しき岬や洞窟をしらみつぶしにして、敵を追い詰める。退路を断ったところで包囲して一気に殲滅するというのが、討伐隊の作戦だ。
「……その日の朝だった。湖に霧が掛かった。それもかなりの濃霧だ。この時期にしても異常な霧だった。そこで我らは昼になるを待って抜びょうする、そのつもりだった」
メリンダが歯噛みする。そのまま悔しさと怒りをかみ殺して、こう続けた。
「我らは霧に紛れて奇襲を受けた。最初の一撃で後方の三隻が沈み、次の攻撃で二隻がやられた。敵は、おそらく火砲を使用したのだろう。でなければあんなに簡単に船が沈められるはずがない」
火砲とは、南方で発明された火薬を利用した新兵器だ。鉄の球体を火薬で打ち出す仕組みになっており、その威力は意志の城壁を砕くほどだという。
一方、火薬の希少さもあって大陸ではほとんど普及していない。希少な交易品が行きかうこのキュルケの街でなければ見かけることはまずないだろう。
「おそらくやつらが強奪した品だろう。私はすぐに反転して反撃しようとしたが、その時にはすでに敵は接舷して他の二隻に乗り移っていたようだった。霧のせいで敵の姿は見えなかったが、それでも船の数くらいは分かった。三隻だ。たった三隻の船にまたたくまに我らの艦隊は壊滅させられた」
驚くべきことだ。陸上での戦いでも三倍以上の兵力差を打ち破るのは並大抵のことではない。ファレルほどの軍才があってもいくつもの策を張り巡らせ、なおかつ運に恵まれなければならない。
ましてや、動きの大きく制限される船での戦でそれだけのことを為すにはそれこそ奇跡が必要だ。
「その時点で、私は賊の殲滅を断念せざるをえなかった。残るに責を引き連れてどうにか霧を抜けて、その場を脱出した。臆病者と呼ばれても否定はすまい。だが、あの場に留まっていれば全滅していた。それだけは確かだ」
メリンダはそれきり押し黙ってしまう。船主たちもあまりの事態に言葉を失っていた。
この場に集っている者のほとんどはこの街の住人であり、船にも商いにも通じている。メリンダと討伐隊を襲った敵の異常さとそれに際しての彼女の判断に異論をさしはさむ者はいなかった。
しばしの間、公会堂を沈黙が支配する。誰も彼もが何をどうすべきなのかわからず、道に迷った子供のような顔をしていた。
無理もないことだ。壊滅した討伐隊以上の戦力はこのキュルケの街には存在しない。つまり、湖賊は倒せないということだ。
「――少しいいだろか」
そんな諦観には我関せず、ファレルが言った。
よく通るその声に全員の視線が向けられる。突然口を開いた余所者に好奇と困惑、疑念が集中した。
「どの商会の方でしょうか?」
「カラール商会の関係者だ。一つ発言したい」
「いいでしょう。こちらへ」
ファレルはそのまま人々をかき分けて、壇上に上がる。甲冑もいつもの兜も被っていないが、その佇まいには人の視線を集める魔的な魅力があった。
一方、名前を出されたカラールも、エリカやユリアンもファレルが何をしようとしているのか一切聞かされていない。
どうにか付き合いの比較的長い二人だけがなんとなくまたファレルのよくない趣味が出た、と察している。もしこの場にテレサがいれば主に胃を痛めていただろう。
「まず断っておきたいのだが、船戦に関して私は素人も同然だ。何か間違ったことがあればその都度修正していただきたい」
そう言いながらファレルは件の女船長メリンダに会釈する。困惑しながらもメリンダは控えめに応じた。
「先ほどの話を聞いていて気付いたのだが、艦隊を包み込んだ霧は偶発的なものではなく人為的なものだ。おそらく魔法の類だろう。メリンダ船長が感じた異様さもそこに起因すると思われる」
「……それは私も考えた。しかし、ただの賊が魔法使いの助けを借りられるとは思えない」
「確かにその問題はある。だが、相手がただの賊でないとしたら?」
「…………何が言いたのかな?」
ファレルの発言に、組合長が反応する。その先発する言葉如何では船主たちには聞かせられない。
「なに、単純な話だ。この賊にはあなた方の商売敵が味方している、それだけの話さ」
だが、そんなしがらみはお構いなしにファレルは結論を口にする。
そんな兄貴分にエリカはため息を吐く。彼に掛かれば単純な湖賊退治が複雑な勢力争いの一部と化す。しかも、それがあながち間違っていないのだからなおのこと厄介だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます