第40話 王子と妹分と影

 キュルケの街は、帝国の国境にしては珍しく帝国軍が駐留していない。明確な領主と言えるような貴族もおらず、街を統治しているのは『湖の守り人』と呼ばれる集団だ。


 この湖の守り人は水運を担う商人たちの連合組合で、彼らは蓄えた富と湖に関する深い知識、そして雇い入れた傭兵たちの力によって自治を維持してきた。


 トリトニス湖を渡り、国境を越えるには彼らの協力が不可欠だ。

 湖を大きく迂回して陸路で国境を越えるという方法もあるが、日数が掛かる上に砂漠を越えなくてはならないため危険だ。それくらいならば、法外な渡し賃を払ってでも湖を渡った方がいい。


 その交渉のために、カラールはファレル達に先行してキュルケに到着している。秘密裏に国境を越えるために通常の渡し船ではなく、カラール商会が使用している輸送船を利用する手はずになっていた。


「船が出ない……!?」


 しかし、キュルケに到着したファレルが聞かされたのはその交渉とは全く逆の結果だった。


 キュルケにある宿屋『ソロルの船着き場』の一室だ。この宿屋もカラールの商売相手が運営しているもので、ファレル一行は商会の用心棒と偽って宿泊していた。


「どういうことだ、船の交渉ができなかったのか」


「いや、交渉はできてるんだ。船は用意した。積み荷と君たちを積めば今すぐにでも出発できる。船が出ないのは全く別の理由なんだ」


 彼女にしては珍しく真剣みのある声で、カラールが言った。

 カラールの商人としての交渉術はファレルとしても認めるところだ。その彼女が解決不能な問題などそうはない。


「まず第一に、出ないのはうちの船だけじゃない。この街の水運全てが止まっているんだ。ここ三日ほど、商用の船は出港していない」


「天候が原因か? 風が荒れているようには見えなかったが……」


「いや、原因は人間だ。湖の海賊、いわゆる湖賊こぞくってやつさ」


 湖賊、という単語にファレルが顎を擦る。この大陸にも海を荒らす海賊は存在しているが、湖賊というのは初耳だった。


「守り人たちは傭兵を雇ってるはずだ。そいつらでも討伐できてないのか?」


「それがこの賊どもかなりのやり手でね。昼間は姿を現さず、夜や朝方に商船を襲ってすぐに姿を消す。おかげで守り人側の傭兵は引きずり回されてるのさ」


「……確かにそれは厄介だな」


 地上と違い、水上では機動力が大きく制限される。船の種類と乗っている人間の腕次第ではあるものの、逃げ場所の限られている水上で追手から逃げ切り続けているというのはかなりの神業だ。


「それで組合から商品を守るために出航禁止令が出たってわけか。少なくともその湖賊を討伐するまでは一隻たりとも港から出さない、と」


「そういうこと。トリトニス湖の周辺には洞穴や隠し港がいくらでもある。この賊はそれを知り尽くしているらしくてね。さすがの守り人たちも手を焼いている、が、まあ、それもあと三日ほどで片付くだろう」


「どういうことだ?」


「ちょうど今日組合総出の討伐隊が港を出たんだ。いくら湖賊が優秀といっても、数は少ない。十数隻の艦隊に囲まれれば降伏するほかないさ」


「じゃあ、オレ達はその討伐隊が仕事をするのを待っていればいいってわけか」


 ファレルの結論に、カラールが頷く。

 事の正否をを他人任せにするのは性に合わないが、どうしようもないことを割り切るだけの器がファレルにはある。


 第一、陸上の戦ならともかく水上の船戦ふないくさはファレルもほとんど経験がない。

 湖の守り人の配下にはその道の玄人が揃っている。万が一にも自分に出番はない、ファレルはそう考えていた。


「少し遅れることにはなるが、もともと会談は一週間後の予定だ。何日か遅れても向こうで準備をする時間はあるはずだ」


「……わかった。何日かここに逗留することにしよう」


「それがいい。そうだ、久しぶりだし、今晩辺り一杯どうだい? 愚痴にでも付き合ってくれよ」


「それも悪くないが、まずはこの街を見て回る」


「じゃあ、夜に一杯付き合ってくれ」


「わかった。ただし酒だけだぞ、妙なものは入れるな」


 ファレルはおもむろに椅子から立ち上がる。

 武者修行の旅でファレルは大陸中を見て回ったが、西の流国に思い向いた際には北側の砂漠を越えて入国した。そのため、このキュルケの街に来るのは初めてのことだった。


 有体に言えば、心躍っている。諸国の街とその場所の暮らしを見て回るのはファレルの数少ない趣味の一つだった。



「なるほど。普段、ここには市場が立っているというわけか。西の交易品は必ずここを通るからな。確かに広い」


 がらんとした目抜き通りを人通り眺めて、ファレルは満足げに頷く。

 彼の脳裏には東西の交易品が並ぶ賑やかな市場バザールとそこを行きかう人々の喧騒が鮮やかに浮かんでいた。


「ただの寂れた広場じゃない。相変わらず変な趣味」


 仕方なく付き合わされているエリカが呆れたように言った。

 二年前、ウェルテナ傭兵団に所属していた時からファレルは新しい街に来た時にはその街を見て回っていた。例えなんの特色もないただの田舎町で隅々まで見て回るまでは気が済まないのだ。


「今はな。例の湖賊のせいで実物が見られないのは残念だが、ここには東西の様々な交易品がここに並べられてたはずだ。流国の織物も、極東の髪飾りなんかもあったはずだ。髪飾りの方は、お前にも似合っただろうな」


「…………そういうところも変わらないんだ」


 まったく無意識で口説き文句を口にするファレルにエリカは呆れたようにため息を吐く。二年前はこうした台詞に遭遇するたびに赤面する羽目になっているが、今ではある程度受け止められた。

 

「殿下。あちらでは商売しているものがいますよ!」


 同行しているのはエリカだけではない。一人で宿屋に残しておくと何をするかわからないということでユリアンも同行していた。

 一応は王族ファレルの護衛を任されているということで、副団長としての人格を演じていた。


 唯一、ニーナだけは宿屋に残っている。高が三日程度の旅だったが、普段、室内からほとんど出ない彼女にはかなり堪えていた。


「殿下はやめろ。お前、副団長の演技をするのはいいが、もうすこし考えて演技しろ」


「…………気を付けます」


 ファレルの指摘に、むっとした顔をするユリアン。

 確かに彼女の演技は完璧なものだが、完璧だからと言って有用とは限らなかった。


「ふむ。雑貨屋か。いろいろ売っているな」

 

 唯一商売をしている露天商の品ぞろえはファレルの言葉通り統一感がない。

 紫色の光を放つ宝石が並べられているかと思えば、何の生き物のものかもわからない干物がつるされている。緑色の瓶の中では虫のようなものが這いずっていた。


 その奥には屍のような顔をした老人が座っている。ぎょろりとした目が時折動く以外はそれこそ死体のようだった。


「ご老人。何を商っておられるのかな?」


 ファレルの問いに老人は答えない。代わりに枯れ枝のような指で上をさした。

 そこには看板が掛かっており、古い大陸語で『材料屋』と書かれていた。


 エリカは店を遠巻きにして、ユリアンは指先に力を入れている。前者は瓶の中の虫を直視できず、後者は何かあれば老人の首を刎ねるつもりだった。


「なるほど。魔道具の材料を売っているのか。ニーナを連れてくるべきだったな。まあいい、では、主人。航海安全のなにがしかの材料を用立ててくれ。言い値で買い取るぞ」


 ファレルの言葉に応えるように老人はゆっくりとした動きでいくつかの材料を革袋に詰めていき、それが終わると指を一本だけ立てた。


「金貨一枚か! 大分吹っ掛けたんじゃないか? まあいいさ、買おう」


 ファレルは楽しげに笑うと、老人に金貨を握らせる。帝国金貨一枚で十日分の食糧にはなるが、ファレルには気にした様子はなかった。


 そんな彼の姿にエリカは懐かしさを覚える。兜で顔を隠してしまうようになったが、今はその重責を忘られていることが、そんな姿を自分に見せてくれたことがエリカには喜ばしかった。


 

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