第39話 出立

 カラールを介して流国からの返事があったのは、それから二週間たったころだった。

 結果からいえば、流国はファレルの提案を受け入れた。まずはユーリアの腹心である黒騎士と会談して、その後、ユーリアとの席を設けるという条件に頷いたのだ。


 その階段の場所に選ばれたのは、トルトニス湖西岸の街『カドモス』。流国領ではあるものの、両国の緩衝地帯として機能している交易都市だ。


 ガルア渓谷からカドモスまでは十日ほどの道行きだが、念のため大きな街道を避けていく都合上、十四日ほどの道程が予定されている。


 出立は、大陸暦一五九九年の二の月、その八日の早朝。前日の夜をファレルは、彼女の手を借りて旅の支度を整えていた。


「――本当にご一緒してはいけないのですか?」


 裸のファレルにシャツを着せながら、テレサが尋ねた。昨日今日だけで彼女は同じことを十回は尋ねていた。


「おまえまでオレについてきたら、誰がユーリアを守るんだ? あいつにここで死なれたら、それこそ今までの苦労が無になる」


「ですが、それでは若様が……」


「子供じゃないんだ。自分の身くらいは自分で守れる」


 そう言ってファレルはシャツのボタンを自分で止める。しかし、すぐに掛け違いそうになるのをテレサがやんわりと止めなおした。


「若様のお力を疑っているわけではありません。ただ、私は心配で……」


「それはオレも同じだ。お前と離れたくはない」

 

 ファレルの睦言にテレサの頬が赤くなる。彼が素直にこういう言葉を口にするのは珍しい。珍しいだけに、その破壊力も絶大だ。


「それに、お前を残すのはオレにとって一番信じられるのがお前だからだ。お前なら安心して背後を任せられる」


「……はい」


 身体を寄せて、頼もしい熱にテレサは頷く。

 ファレルが自分を愛し、信じ、頼っていることはテレサにも分かっている。幼い頃から共に生きてた二人の間にはただの男女以上の繋がりがある。


 だからといって、心配が消えるわけではない。テレサは家族としても、臣下としても、女としてもファレルの身を案じていた。


「…………流国に赴かれることはもうお止しません。私をここに置いて行かれることも。ですが、あの者を同道させることだけは、どうか……」


「あいつは必要になる。それに、お前をここに置いていくならオレが連れて行く方が安全だ。オレは殺されないしな」


「…………しかし――」


 なおも諫言しようとするテレサにファレルが口づける。別れの挨拶であり、これ以上は言うなという王子としての命でもあった。

 こうされてはテレサに言えることはない。あとは主を信じて吉報を待つだけだ。


「……若様はいつもおずるい。それにたらしです。旅先ではご自重なさってください」


「後者はともかく前者は事実だな。それに、ずるさは必要になる」


 そう言って笑うファレルに、テレサは微笑み返す。

 ファレルの知恵才覚、武勇は側に侍っているテレサが誰よりもよく理解している。たとえ相手が流国最強の獣士隊とて後れを取ることはないだろう。


 彼女が案じているのはまた別のこと。ファレルの追わされら運命そのものといえた。



 ファレルはカドモス行きに際して、旅の供として三人を選んだ。

 

 一人目はウェルテナ傭兵団の団長であり、かつての妹分であるエリカ。彼女は西方の出身であり、なおかつウェルテナ傭兵団は流国にも顔が利く。

 加えて、人並み外れて夜目も効き、なおかつ弓の腕もすさまじい。旅の供としてこれ以上の人材はいないだろう、


 二人目としては、ユーリア付きの魔法使いであるニーナだ。彼女の魔術には警備から防諜、連絡に至るまで万能ともいえる利便性がある。緊急事態となれば砦に待機しているほかの魔法使いに念話で増援を請うことも可能だ。

 

 要請を受けた当初は、自分は便利屋でも戦士でもないと固辞したニーナだが、西方の世界を検分できると知ると同行を了承した。

 魔術世界においても西側と東側では断絶している。その西側の神秘学に触れる機会を魔法使いとしては逃すわけにはいかなかった。


 そうして、三人目。その三人目こそが問題だった。


「――妙な真似したら、容赦なく背中から射るからそのつもりで」


 出発の直前、ガルア砦の門前でエリカはにそう囁く。

これもエリカの役目だ。三人目の監視ができるのは彼女だけだ。傭兵団の面々を砦に残して行くことに不安がないわけではないが、ファレルから懇願されたのでは断るわけにもいかなかった。


「いつでもどうぞ。貴方の腕で当たるのであれば、ですけど」


 三人目の同行者、ユリアン・マクビッツはそう冷淡に応じる。

 王の影にして、アドワーズ騎士団の元副団長、ユーリアの命を狙うこの暗殺者もまたカドモスへの道行きに同行することになっていた。


 ユリアンは手枷も足枷もされていない。彼女がこの旅に王の影の一員として、またファレルの臣下として参加することになっているからだ。


 カトレアから受けた指令はユーリアの暗殺だが、それとは別に彼女にはアルカイオス王国の王族を守護する義務がある。

 彼女を砦に置いておいてユーリアの命を狙わせるよりも、その義務を利用して自分の護衛として使った方がいいというのがファレルの判断だった。


 それに彼女を連れだせば、いくらかだが砦に残るテレサの負担も減らせる。別の刺客が差し向けられる可能性もあるが、ユリアン以上の戦力をカトレアは有していない。


「へえ、大した自信じゃない。魔法にかかってカカシみたいになってたの忘れたの?」


「貴方の矢程度なら動けなくても落とせますよ。ついでに、首も落としてあげましょうか?」


「……上等」


 エリカが矢羽根に指を掛けると、ユリアンも剣の柄に触れる。まさしく一触即発な二人を残る一人は遠巻きにするほかなかった。


「あ、あの……」


 さすがに止めなければとニーナは喉から声を絞り出すが、二人の耳には届かない。魔法を使おうとも思ったが、はたしてそこまですべきなのか、という疑問に阻まれた。


 エリカも、ユリアンもニーナにしてみればもともと敵だったという点ではそれほど違いがない。どちらも平等に信用できないし、味方とも思っていない。

 いや、そもそもなぜ自分が同行者に選ばれたのかもよくわかっていない。重要な任務なのは承知しているが、またファレルの無茶ぶりだろうという諦めの方が強かった。


 しかるに、この二人の諍いも元凶であるファレルが治めるべきだ。原因もおそらくはファレルを巡る痴話喧嘩であるとニーナは思い込んでいた。


「さっそく揉めているようでなによりだ。旅が俄然楽しみになるな」


 どちらかが口火を切るより先に、ファレルが姿を現す。いつもの黒い甲冑ではなく旅装に、フードで顔を隠していた。


「だが、殺し合うのはあとにしろ。相手より先にカドモスについておきたいからな」


 馬に飛び乗ると手綱を握るファレル。甲冑を着ず、兜で顔を隠さずに馬に乗るのはひどく久しぶりのことで心も体も軽かった。


 そんなファレルに呆れながらもエリカが愛馬にまたがり、ユリアンも渋々それに続く。二人とも馬の扱いには熟達していた。


「あ、あの、わたし、馬には、その……」


「なんだ、乗れないのか。仕方がないな、よし、オレの前に乗れ」


「へ? そ、それは……あの……」


「いいから早くしろ。そら」


 抵抗する間もなくファレルの前に乗せられるニーナ。逞しい背中が彼女に覆いかぶさり、頼りがいのある両手が手綱を握った。


 こんなところをユーリアに見られたら殺される、そう思いながらも心地よい震動と大きな身体にいつのまにか心を預けてしまっていた。


 まず目指すは、トルトニス湖の東岸の街『キュルケ』。そこではカラールが湖を渡るための船を用意して、ファレル達一行を待っていた。



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