第38話 凶事、西方より来る

 アンジェリカの教会の一件は、ユーリアによって承認され、南の荒野の開拓については流民に任せられることになった。

 ファレルとしては譲歩したつもりだったが、交渉の結果にユーリアはひどく満足していた。流民でさえも領民として取り込んだ己が騎士の技量に笑みさえこぼしていたが、教会にいるのが修道女シスター、それも美人と知れば機嫌が最悪になることは明らかだった。


 教会に集った難民たちも今のところは何の問題も起こしていない。領民からの陳情も特にはなく、領内の修繕活動に従事してくれている。あと統治者の側でできるのは春の作付けを待つ間に、兵を鍛えることくらいだ。

 御用商人を任されたカラールがガルア砦を尋ねてきたのは、そんな春先のことだった。


「やあやあ! 皇女殿下! ご機嫌麗しゅう!」


 ユーリアの執務室に胡散臭い挨拶が響く。


「帰れ。借金ならまだ返せん」


 ひどくうんざりした顔でユーリアがそう返す。

 ユーリアがこの場所に赴任した時点で顔合わせは済んでいるが、彼女はこの商人の能力はともかく人柄は全く好みではなかった。


 ファレルに言わせれば同族嫌悪だが、彼女にしてみれば恋敵を好きになれという方が無理がある。

 一方で、カラールの前ではファレルもユーリアも余計な取り繕いをせずに済む。彼女もまたファレルの動機を知る数少ない人物の一人だ。


「まだ何も言ってないじゃないですか! 酷いですよ、殿下!」


「お前が直接来る要件など一つしかない。暇なら新しい商売相手でも探したらどうだ?」


「探してますよ! というか、ちょうど見つけた、いえ、向こうから訪ねてきたところです」


「……それが私達とどう関係があると?」


 カラールの意図を察して、ユーリアが尋ねる。早く本題に入れと促していた。

 

 カラールはユーリアの御用商人ではあるが、普段は帝都に留まっている。商いのためには情報の中心地にいる方がはるかに有利なえうえ、ガリアも留まっているファレルとユーリアに代わって帝都での監視役を担っているからだ。


 そのため、カラールが帝都から離れるのは彼女自身が判断せざるをえないような大きな取引があるか、もしくはユーリアに対して借金の催促を行う場合のみだ。帝都での返事を知らせるならば早馬を出すか、あるいは魔法による長距離念話を利用した方がはるかに速い。


「実は一週間前に、商会にさるお方から密書が届いたのです。の遥か西から」


「…………それで?」


 カラールの言葉に、ユーリアの表情が真剣みを帯びる。冗談と聞き流していい情報ではないことは明らかだった。


 トルトニス湖とはガルア渓谷からさらに西、帝国の国境を越えた先に広がっている巨大な湖のことだ。

 一国の領土に匹敵するほど広いその湖は、かつて神々が海の底から大陸を押し上げた際に取り残された海の一部とされおり、古くから大陸の歴史に影響を与えてきた。


 水源としての恵みに始まり、船による水運に氾濫による水害と土地の変化。恩恵とその弊害も大規模だが、近年ではある理由をもってこの湖は大陸全体の関心を集めている。

 その理由とは、アルコン帝国とダハーン流国という二つの超大国の接触だ。


 帝国は湖の東岸を自領と定め、流国は西側を支配すると条約を結んでいるが、両国の間では小競り合いが絶えない。もし両国間で開戦するならばこの湖が原因だろうとまことしやかに囁かれていた。


 つまり、湖の西からの密書とはすなわち流国からの密書ということだ。これは只事ではない。


「書状の送り主はさる部族の長の方でしてね。今代の首長スルタンの岳父で、私の叔父にあたる方です」


「お前は流国からは追放された身の上だろう。なぜ、そんな大物から密書が届く?」


「疑うなんて酷いじゃないか、親友。と言いたいところだが、当然と言えば当然の疑問だね」


 ファレルの指摘に、カラールは大げさに肩をすくめてみせる。これからカラールが話すことはファレルでさえ知らない彼女の秘密だ。

 

 流国は十二の部族によって構成される国家だ。その国家元首は部族長たちの合議によってえらばれ、首長スルタンと呼ばれる。

 ようは帝国における皇帝と同じ立場だ。叛乱により追放された十三番目の氏族の出身者であるカラールがそんな大物と繋がりがあるとは思えない。


「私達の部族を追放したのは先々代の首長だけど、流国はそれ以来国外にいる私たちをうまく使ってきたんだ。本国への復帰を餌にしてね。諜報に暗殺、扇動や偽装、やれる限りの汚れ仕事は全部やらされた」


「それを命じていたのが、その叔父の部族ってことか」


「そういうこと。おっと、切り捨てるのだけは勘弁してくれよ。確かに私たちは時に帝国に損害を与えていたが、商売相手には誠実だ。それに何の得もないのに親友を裏切るほど私は薄情じゃない」


「それはわかってる。密使内容は? 早く本題に入れ」


 カラールの言葉は逆に明確な利得さえあれば親友ファレルでも裏切る、と宣言したようなものだが、そのことは互いに了解済みだ。

 それよりも、どうせろくでもないものだと分かっていてもみっしょのないようの方が今は重要だ。


「密書にはこうありした。近いうちに、第三皇女との会談の席を設けたい、と。それも秘密裏に」


「……どういうことだ?」


 第三皇女との会談を望む、その内容はファレルにも、張本人であるユーリアにも想定外のものだ。

 しかも、ただ会談を行うのではなく秘密裏にというのが問題だ。一応停戦状態にある二か国だが、敵国同士であることに変わりはない。その要人同士が密談というのはその事実だけで剣呑に過ぎた。


「それで、私の意向を聞きに来た、というわけか。なんだ、後ろ盾につくから叛乱でも起こす気か? あいにくと、私にその気はないぞ」


「さあ? 内容までは聞いてませんので。ともかく殿下にこのことを伝えてその気なら報せろ、とそれだけです」


 ユーリアの手が顎に添えられる。即断即決を旨とする彼女だが、考え込むときは決まってこの仕草をした。


 秘密裏の会談と考えればその内容もいくつかには絞られるが、決めつけてしまうとむしろ不意を突かれる可能性もある。どちらにせよ、他人に知られてはまずい類のものであることだけは確かだが、もし流国との密約が成れば大きな後ろ盾を得られる。交易で得られる利益だけでも計り知れないものがある。


 問題は、なぜ自分がその密談の相手に選ばれたか、だ。

 確かに今のユーリアには勢いがある。ペリシテ王国を滅亡に追い込み、第三軍団の軍団長に就任した。

 だが、それだけだ。帝都での影響力は未だに小さく、領地も軍事力もいまだ皇族の中では弱小でしかない。相手方が帝国に影響を及ぼしたいのならほかにいくらでも有力な相手がいる。


 考えられる理由としては、このガルア渓谷が帝国西部にあるというものがあるが、西にあるというだけならばほかにいくらでも候補がいる。


 考えても答えは出ない。これ以上のことは知らないというカラールの言葉にも嘘はない。であれば、


「……わかった。話を進めよ。仔細が決まれば、私が直接――」


「いや、会談にはオレが行く。お前が動くのは相手の腹が読めてからだ」


 ファレルが言った。主の言葉を遮る無礼を承知の上で、ここは自分が出張るべきだ、と彼は理解していた。


「相手方の話の内容によってはお前は。なら、オレが行った方がまだマシだ。オレはどこまでいってもよそ者だしな」


「それはそうだが……相手方は私に会いたいのだろう? 君が行っても納得するとは思えないが」


 そう言いながらも、ファレルの案が最善であることはユーリアも分かっている。ただ個人としてファレルの身を案じている。相手は。何が起こってもおかしくはない。


「オレはお前の腹心だ。名代としては不足ないはずだ。その上で、こちらに利が大きく、罠じゃないと分かったら、ガルアここまで連れてくるさ」


「…………わかった。君に一任する」


 それでもファレルに任せるしかない、とユーリアは覚悟を決める。予定外の事態ではあるが、多少の危険はあって今は動くべきだ、と判断した。もし、本当に流国と遊戯を結べるのならいずれ来る戦いにおいてこれ以上ない味方となりうる。


 ペリシテ王国の滅亡からはもう三か月もの時が経過している。帝都の勢力に明確な動きがない以上、皇帝の病状は安定しているとみるべきだ。

 だからこそ、今は力を蓄える手段を選んでいる暇はない。は直実に近づいている。

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