第36話 教会の修道女

 ユリアンが解放されてから一月の間、ガルア渓谷砦には穏やかな時が流れた。

 元叛徒たちによる協力で労働力不足は解決し、橋や道の修繕は順調に進んでいる。税の減免と黒騎士ファレルの行いを知った村々は新たな領主を歓迎することに決めたようで、住民の名簿も問題なく提出された。


 領地経営の第一歩としては、まずまずといったところだろう。まだまだ税の徴収や徴兵はできないが、街路の修繕さえ完了してしまえば西方との交易が始まる。

 今は廃れたとはいえガルア渓谷周辺は元より交通の要所だ。かつては使用されていた交易路を復活させることもできるし、そのいくつかは帝国成立以前のものだ。場合によっては貿のためにも使える。


 これらの交易路の管理と運営に関しては、ユーリアの御用商人となったカラールとその商会に一任されている。

 カラール自身が追放されたとはいえ西方の出身であるため、商会は西方と、特に流国と強い繋がりがある。その繋がりを使えば莫大な利益を上げることも不可能ではない。


 無論そのためには、領主たるユーリアの許可とある種の黙認が必要となるが、その点に関してはすでに両者の間で密約が交わされている。

 通常の税に加えて売り上げの一割の献上。加えて税に関しては黒百合騎士団が借り入れた金の返済までは免除するというのが、密約の内容だった。


 本来ユーリアはもっと有利な条件を望んでいたが、借金の件とカラール自身との面談を経て考えを改めた。

 カラールならば最初に見込んでいたよりもはるかに大きな利益を上げられる。彼女の出自を聞き、その手腕を見たことで一割の献上金でも十分だと判断したのだ。


 そのカラールと彼女の商会の協力もあって、ガルアの交易都市化も順調に進んでいる。遠からぬうちに帝国でも有数の経済圏となることはまず確実だ。


 一方で、解放されたユリアンや妹カトレアを含めた敵対勢力に大きな動きはない。ファレルとしてはようやく一息吐ける間ができたといったところだが、嵐の前のような静けさはいっそ不気味でもあった。


 領民の一団が陳情のために砦を訪れたのは、そんな膠着状態の最中のことだった。


「――東の教会?」


 陳情を聞いたファレルからの報告にユーリアは眉をひそめた。

 教会は大陸全土で広く信仰されている聖神教のものだ。帝国は聖神教を国境とはしていないが、国内での布教を禁止してはいない。だが、西方からの影響が強いガルア渓谷周辺に教会があるというのはユーリアも聞き及んではいなかった。


「その教会に人が集まっているらしい。それもよそ者ばかりが集まっているから、なんとかしてくれってのが陳情の内容だ」


「なんとかって……焼き討ちでもしろと? 教会は好みじゃないが、敵対するには早すぎないか?」


 執務室の机を指でたたきながらユーリアが尋ねる。領地経営こそは上手くいきはじめているが、いい加減書類仕事には飽きていた。


「そこまでしなくてもよそ者を追い出すなりなんなりしてくれって話だ。まあ、野盗にでもなられたら面倒だしな」


 流民や難民の流入はガルア渓谷のみならず帝国全土で問題になっている。

 もとより帝国は異民族国家であり、様々な民族を取り込むことで書く出してきたという歴史はあるが、それでも人が集団となれば必ず軋轢が生じる。そこに宗教が絡むとなればなおのことだ。


「じゃあ、騎士団で蹴散らすか。その許可を取りに来たんだろ? そのくらい勝手にやってくれていいのに」


「そういうわけにもいかん。決めるのはあくまでお前だ。領主になる以上は徹底してもらう」


 ファレルなりの忠誠にユーリアは頬を緩める。

 

 黒百合騎士団はあくまでユーリアの配下だが、元アドワーズ騎士団の面々や客分のウェルテナ傭兵団はファレルの私兵という側面も大きい。

 そうでなくてもこれから勢力が広がるにつれ、臣下も増えていく。だからこそ、君主としての威厳と権威は演出しておかなければならない。ファレルが些細なことでもユーリアの判断を仰ぐのもその一環だ。


「それに、いきなり騎士団を動かすよりは一度様子を見た方がいいだろう。流民といっても民は民。今のオレ達には必要かもしれん」


「うまくいけば定住させて、取り込めると? 教会に貸しを作るのはダメだぞ」


「わかってる。無理そうだと判断したら、それこそ退屈してる騎士どもの出番だ。演習がてらに蹴散らすさ」


「うむ。許可しよう。ついでに私も――」


「それはダメだ。お前は領主だ。ここを動くな、汚れ仕事になるならなおさらだ」


 取り付く島もないファレルに、ユーリアは拗ねて頬を膨らませる。気晴らしがてら、二人で遠乗りなどしたいと考えていた乙女心はすげなく却下されてしまったのだった。



 その日の昼間、ファレルはユリアンの監視をテレサに、騎士団全体の士気をエリカに任せて、僅かな護衛と共に砦を出立した。

 他の誰かに任せるという手もあったが、何らかの交渉を行う場合はファレル自身で行った方が確実なうえに、自身の風聞を利用して相手を威圧しておきたいという意図もあった。帝国の先槍とも恐れられる黒騎士が姿を見せれば、難民たちも怯えて妙な気は起こすまい、と。


 無論、自分が統治している土地をこの目で見ておきたいという気持ちはある。ユーリア同様、ガルア砦についてからファレルも砦に詰めていた。外の空気を思い切り吸い込む機会は必要だった。


 馬に揺られてファレルは街道を進む。

 彼の愛馬は王子であった頃からの付き合いで年老いてはいるが、戦場にもなれて、ファレルの無茶な手綱さばきにもよく応えてくれる。たまにはこうして穏やかな道をゆっくり進むのは馬にとっても大事なことだ。


「――あちらです」


 数時間ほど東に向かって移動すると案内役の兵士がそう声をかけてくる。確かに地平線には教会の尖塔が見え始めていた。

 遠目から見ても教会は古ぼけている。五十年前に建立されてからほとんど手入れをしていないようで、石造りの壁は苔むして、天井には数か所穴が空いていた。


 これでは教会というよりは廃墟だ。こんな場所にたむろしているような輩など高が知れている。領民として取り込んだとして何の得もない、とファレルは結論付けた。


「一応、武器を用意しておけ。場合によって、連中は我らで追い出すぞ」


「は!」


 ファレルの指示に兵士たちが応じる。

 最初は実戦経験もないただの素人の集まりだった黒百合騎士団も度重なる戦で屈強な兵に成長しつつある。少なくとも命令への絶対服従は骨身にしみていた。


 しかし、実際にたどり着いた教会で待っていたのはファレルの予想外の光景だった。


「ようこそ、いらっしゃいました。黒騎士殿」

 

 まず一団を出迎えたのは青色の修道服に身を包んだシスターだ。

 フードから垣間見える茶色の髪と美しい青色の瞳、柔和な笑顔にファレルは不信心にもシスターにしておくにはもったいない、などと感想を持った。


 彼女の背後の教会では、難民たちがそれぞれに天幕を広げ、寛いでいる様子だ。数は百人ほどでその内訳は男女半々、老人や病人もいるようだが若い者が大半だ。

 何より彼等には活気がある。たいていの場合は流民や難民は疲れ切っているものだが、ここにいる者たちの瞳は不思議と死んでいなかった。


「わたくしはこの教区を預かることになりました。シスター・アンジェリカでございます。どう顔見知りおきを」


「……黒騎士だ。名は明かせん。教区長には神父が赴任するものと思っていたが」


「はい、ですので代理です。後任の神父様が決まるまでの、ですが」


 満面の笑みのままアンジェリカが言った。彼女の笑顔には日との警戒心を解く不思議な魅力があった。

 だからこそ、ファレルは目の前のシスターを油断なく観察する。嘘偽りのない相手はただの嘘つきよりもはるかに厄介だ。


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