第35話 王子と影
地下牢への階段をファレルは降りていく。灯りを持ったテレサが彼を先導し、背後にはエリカが付いていた。
「何か話したか?」
「何も。銅像のように口を噤んでいます」
地下牢にはユリアンのほかに囚人はいない。日に二回、テレサが食事を運ぶだけで今まで面会に来るものも一人としていなかった。
つまり、尋問や拷問の類も行われてはいない。王の影は玄人中の玄人だ。どんな目に合わされたとしても情報を引き出すことは不可能だ。
「よう。元気そうだな」
鉄格子越しにファレルが声をかける。
ユリアンは鎖で両腕を縛られ、足枷を付けられている。この地下牢に拘束されてからもう一月にもなるが、能面のような顔には憔悴も疲労も浮かんではいなかった。
「挨拶ぐらいはしたらどうだ。仮にもオレはお前の上司だぞ」
王の影として正体を現したユリアンに対して、ファレルはあくまでかつてのアドワーズ騎士団団長として接する。
答えが返ってくるとは期待していない。あくまで反応を探るための牽制のようなものだ。
「――はい。おはようございます」
ところが、ユリアンは答えた。今まではうめき声一つ発しなかったというのに、まるで自分が何者であるかを思い出したかのようにいつもの調子で挨拶を返してきた。
「何故……」
「なるほど。あくまで、王の影ってわけか」
王の影はあくまで、アルカイオス王国の王と王族に仕えるものだ。なにもカトレアだけに忠誠を誓っているわけではない。
ファレルもまた王族の一人だ。敬意を払うようにユリアンは刷り込まれている。質問に答える程度のことは許されていた。
「気分はどうだ? お前の態度次第では背中を掻くくらいの自由は許してやってもいいぞ」
「不要です」
「では、質問に答えてもらう。お前がしくじったと分かった場合、カトレアはどう動く? 次の計画は?」
「それは御自ら妹君にお尋ねになられては? 妹君は殿下をお待ちですよ」
ユリアンはあくまで副団長としての態度を崩さない。任務は任務だが、
「生憎と忙しくてな。わざわざ帝都にまで戻っている暇はないんだ」
「そうですか。では、私にお答えできることはなさそうです。申し訳ありません」
「そうでもないさ。いくつか答えはもらえた」
そう言い放ったファレルに対して、ユリアンの鉄面皮が微かに動く。自分は何の情報も漏らしてはいない。だというのに、答えを得たとはどういうことなのか、彼女には理解できなかった。
「お前の拘束を解く。副団長として職務に復帰しろ」
「な!?」
ユリアンだけではなく何も聞かされていないテレサとエリカもファレルに視線を向ける。
何の情報も聞きださないまま、ようやく捕らえた暗殺者を釈放するなど問題外だ。解き放たれたユリアンが再びユーリアの命を狙うのは火を見るよりも明らかだ。
「……どういうつもりですか?」
初めてユリアンの表情が変わる。ファレルの行動は彼女にも理解できないものだった。
「どういうつもりもなにも、今は人手不足でな。素直だけが取り柄の副団長でもいないよりはいた方がマシだ」
「…………私は任務を諦めてはいませんよ」
「勝手にしろ。こちらも準備はしてある」
ファレルはそう言ってテレサとエリカに視線を向ける。確かに二人が揃っていれば、ユリアンを抑え込むのはそう難しくない。二人の監視を掻い潜ってユーリアの暗殺を成功させることは至難の業だ。
「こいつらだけじゃない。ユーリアの旗下にはお前に一杯食わせた魔法使いも含めて優秀な人材が揃ってる。お前程度が自由に動けたところでこっちとしては何の問題もない」
「…………左様ですか」
ユリアンの顔にわずかに怒りの感情が滲む。それを見逃さずにファレルは自信満々に口角を上げた。
何の問題もない、というのはファレルのはったりだ。いくら完璧に警備したつもりでも抜け道というのは必ずあるものだ。
しかし、それはこの地下牢とて同じこと。この場所にも気づいていないだけで抜け道があるかもしれない。その抜け道にユリアンが気付かないという保証もまたどこにもない。
どちらにも、不確定さは付きまとう。であれば、多少の危険性はあってもより実入りが多い方に賭ける方がファレルの好みには合致していた。
「テレサ、こいつの枷を外してやれ。エリカは妙な真似をしないように見張っててくれ」
「しかし――」
「――いいからいいから。こいつには殺せん」
自信満々の主を信じて、テレサは渋々ユリアンの枷を外す。彼女は自由になるとそれを確かめるように手足を動かした。
「どうだ、自由になった気分は」
「…………別段なにもありません」
鉄面皮だったユリアンの顔には若干だが苛立ちが見える。
幼少期から王の影として訓練を受けてきたユリアンの感情の大半は麻痺したままだが、それでもただ一つだけ彼女が縋っているものがある。
王の影としての矜持だ。彼女は己の技量に、成果に誇りを持っている。お前には無理だ、と言わんばかりのファレルの態度はその誇りを大いに傷つけていた。
それこそがファレルの狙いだ。どれだけ無感情に徹しても人には必ず急所がある。その急所さえ把握してしまえば、行動を予測することはそう難しくはない。
「ん? なにをしている? 自由になったんだ、好きにしていいんだぞ」
「…………職務に戻ります」
「そうか。お前は特別任務に就いていた、と他のやつにはいってある。テレサ、手伝ってやるといい。流石に汚れたままだと怪しむやつもいるだろうしな」
「は、はい。では、こちらに」
主の意図を察して、テレサはユリアンを連れて地下牢を出る。方針に納得こそしていないが、それでも主を支えることを彼女は己が役目としていた。
一方、エリカにそんな信条はない。この場にいるのも半ば成り行きのようなものだ。方針ややり方が気に食わなければいつでも
「納得できてないって顔だな」
「当たり前でしょ。あいつ、男三人でも取り押さえられない怪力なんだから。おかげで三人分も怪我の手当てを出す羽目になったのよ。それをこんなにあっさり……」
「あっさりでもないさ。お前とテレサが見張ってる。ユーリアの周囲にはニーナが常に網を張ってる。これでダメならユーリアの天命もここまでってだけの話だ」
「あのね……」
どこか他人事のような言い草に、エリカが呆れる。
ファレルが帝国に仕えている理由はエリカも知っている。ユーリアが死ねば王国再興という目的も潰えるというのに、今のファレルがそれを考えているようには思えなかった。
その上、エリカはファレルの
「なにも考えなしでこんなことをしてるわけじゃないさ。いい加減、こっちから仕掛けようと思ってな」
「……どういうことよ」
「例の一件がカトレアと関係があるにせよ、ないにせよ、ユリアンの解放を知れば何らかの動きがあるはずだ。その動きをこちらで抑える。うまくいけば、カトレアの首根っこを掴めるはずだ」
確かに方法論としては納得できる。先に動くことで主導権を握り、優位に立つ。戦場であれば理想とされる立ち回りだが、それを身内相手にやるなどエリカには想像できない。
「…………普通、妹相手にそこまでする?」
「妹相手だからだ。あいつのことは誰よりもオレが知ってる。だから、全力で戦う。
そう言ってのけるファレルの横顔はエリカの知る二年前のそれとほとんど変わっていない。ただその瞳にわずかな影があることがエリカには悲しく思えた。
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