第34話 慈悲は人のためならず

 砦の内部に通された領民たちは広場で、ユーリアとファレルを待っていた。

 その数にして百人ほど。ただの陳情にしてはあまりにも大人数で、彼等の表情は緊張に強張っている。最初は打ちこわしにでも来たかと警戒した黒百合騎士団だったが、彼等が武器を携えていないこと、またおとなしく指示に従ったことから危険はないと判断していた。


 それでも念には念を入れて、広場を見下ろす城壁の上には兵士たちが待機している。なにかあれば矢を射かける手はずになっていた。


「――第三皇女殿下の御なりである」


 兵士の号令に、領民たちはすぐさま平伏する。

 所作こそ拙いが、彼等は明らかに皇族に敬意を払っている。帝国の領民の大半は皇族や貴族と憎み合って長い。咎められることを恐れて形だけの敬意を払うことこそあるが、心から敬服することなどまずありえない。


 そうして、ゆっくりとした歩みでユーリアは姿を現す。皇族としての威厳と高貴さを演出する程度のこと彼女には息をするようなものだった。

 そのすぐ背後には、黒騎士が影のように寄り添っている。ファレルは領民たちを一望してあることに気が付いた。

 

 見覚えがある。どこでいつ見たの確信はないが、領民たちの何人かをファレルは確かに見たことがあった。


「面を上げよ」


 ユーリアが命じる。領民たちは恐る恐る顔を上げ、皇女の美しさに思わず息を呑んだ。彼等の世界にユーリアのような生き物は存在していなかった。


「要件を述べよ。陳情か、あるいは討ち入りか。どちらであれ、応じる用意はあるぞ」


 ユーリアの言葉に領民たちがざわめく。しばらく待つと、彼等の代表と思しき人物がゆっくりと歩み出てきた。

 壮年の男だ。顔中に傷があり、両腕も傷痕でびっしりと埋まっている。戦の傷であろうことはファレルにはすぐに分かった。


 なにより男の顔をファレルは知っている。会ったのは一度だけだが、確かに記憶していた。


「わしの名は、ゴットンと申します。先のこの砦の戦では砦に籠り、帝国に対し叛乱を企てました」


「――ほう」


 ユーリアはファレルにちらりと視線を向ける。彼が頷くとユーリアは微かに笑みを浮かべた。


 ガルア渓谷の戦いにおいて、ファレルが何をしたかの報告をユーリアは受けている。であれば、なぜ彼らが尋ねてきたかも推測できる。予想外の事態ではあったが、今のユーリア達にはまさしく天の助けだ。


「その戦の最中、我らの皆は捕虜となりました。領主様は我らを拷問し、水の一滴さえ与えてはくださらなかった。叛徒である我々に対しては当然の扱いといえば扱いといえましょうが…………黒騎士殿はそんな我らに対し温情をかけてくださった。我らの命を奪わぬと約束され、それを果たされた」


 ゴットンの口上は事実の一側面ではある。

 ファレルはガルア渓谷砦攻略に際して、捕虜たちを利用した。あえて彼らに温情を掛けて懐柔し、叛乱軍を分裂に追い込んだ。確かに彼らを追撃せず、逃げ出したものに関しては追いもしなかったが、それはあくまで自らの利益のためだ。


 しかし、当の捕虜たちから見た場合は事情は違ってくる。ファレルの内心や狡猾さなど彼らに知る由はなかった。


「さらに、我らを虐げたモースタント卿を排してくださったのはユーリア殿下と聞きました。その恩を我らは忘れてはいません。ゆえにこうして参上した次第です」


「殊勝なことだ。それで、お前たちは何をしてくれるのだ?」


 答えが分かっていながら、ユーリアはあえてそう尋ねる。

 待ってましたというそぶりを見せるわけにはいかない。あくまで自然に、彼等から言い出させるのが最善だ。


「どうか、我らを人足としてお使いください。我らは皆この地の出身、村々には家族や親族がおりますれば彼らを説得し、必ずや殿下のお役に立たせて見せまする」


 願ってもない申し出だ。あまりの都合のよさに罠ではないかと勘繰りたくなるが、領民たちの目に嘘はないとユーリアは見抜いていた。


 彼らにとってはそれほどまでに黒騎士ファレルの見せた温情が大きかったのだ。自分たちを虐げ奪うだけの貴族の中にも正義と哀れみの心を持つものがいるのだと彼らは信じたのだ。

 

 無論、彼等がここにいるのはそれだけが理由ではない。叛徒となった彼らの罪は正式に赦されたわけではない。何か事があれば追手が掛かりかねないし、そうでなくても背中を気にして生きることになる。そうなるくらいならば、新領主に取り入り、とりあえずの安全を確保する。そういった計算も確かにあるだろう。

 だが、それもユーリアとファレルが怒りに任せて自分たちを殺すことはない、というある種の信頼ありきの考えだ。その信頼を勝ち取ったのは間違いなくファレルの功績だった。


 ガルア渓谷の叛乱に加担した領民はここにいる百人だけではない。砦から逃げ出した叛徒はあと数千人はいるはずだ。彼等は己の故郷に潜み、匿われている。その人手がそっくりそのまま手に入るのならば領内の問題のうち半分は解決したも同然だ。


「お前たちの忠勤はよくわかった。領主として、皇族としてその提案を喜びと共に受けよう。それに加えて、お前たちの説得に応じて協力を申し出た村には褒美として向こう三年間の減税を約束しよう。この旨も各村に周知するのだ、いいな?」


「ご、ご厚情痛み入りまする!」


 ユーリアの命に、ゴットンを含めて領民たち全員が自ら首を垂れる。ファレルが勝ち取った信頼をユーリアは瞬く間に崇拝へと深化させてのけた。これでしばらくは領内の政治においては民からの反発は受けずに済む。


 もっとも、一見太っ腹に見えるユーリアの言葉にも裏はある。

 村々への減税は元から方針として決定していたことだ。いかにファレルが最善に近い形で反乱を治めたといっても、この地には前領主への恨みに端を発した反帝国感情が根付いている。その感情を抑えていくためにも減税は既定路線だったのだ。


 その既定路線をユーリアはこの状況を利用して盛大に演出してのけた。慈悲深く、懐の大きな領主としての自分を領民に印象付けるためだ。


「では、さっそく己が村に帰ってこの旨を伝えるがいい。ああ、説得がなったさいには村人の名簿とそれぞれの収穫量、それと領内の修繕に裂ける人手を持ってくるように」


 大きく頷いて領民たちはぞろぞろと動き出す。口々にユーリアを称えながら彼らは砦を後にしていった。


「…………むふー」


 彼らが去ったのを確認してから、ユーリアは満足げに鼻から息を吐く。内心踊りだしたくなるほどに上機嫌だったが、兵士の目もあるためそれは堪えた。

 

 なにせ、解決不能と思われた問題が解決したのだ。しかも、愛しい男兼最も信頼する配下の行いの結果ともなれば喜ばずにはいられない。人目がなければファレルに抱き着いて、接吻していただろう。


「……ふむ」

 

 対するファレルの内心は、疑いが半分警戒が半分といったところだ。

 領民たちの申し出自体は嘘ではないだろうが、その裏で何が動いているかは分かったものではない。


 ましてや、ファレルとユーリアにとって都合のいい来訪者はこれで二度目だ。一度目のアドワーズ騎士団はカトレア毒入りだった。二度目がそうでないとは決して言いきれない。


「…………調べるしかない、か」

 

 覚悟を決めてファレルは天を仰ぐ。こればかりはユーリアにも報せるわけにはいかない。少なくとも妹の仕業でないと分かってからでなければ、報告などできない。


 それを確かめる方法が一つだけある。

 その方法とは、この砦の地下牢の最奥、ユーリアもあずかり知らないその場所に囚われている人物。アドワーズ騎士団元副団長にしてユーリアに差し向けられた王の影の刺客、ユリアン・マクビッツだ。

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