第二部 動乱の出会い

第33話 領地経営

 西方辺境域、ガルア渓谷周辺は古くは交通の要衝として栄華を誇っていた。帝国の領土が広がり、戦線がさら西へと移動したことでその役割を失っていったが、今でも交易路としての役割は残っている。


 また領内には三本の川が流れ、土地も肥沃だ。前領主の怠慢により開発は進んでいないが、その分だけ潜在的な価値がこの土地には眠っている。

 それを掘り起こせるかどうかは領主たるものの技量に掛かっているが、その点について新領主は己の手腕に絶対の自信を持っていた。


 新領主の名は、ユーリア・ステラ・マキシマス。ペリシテ王国攻略の功をもって、この地は彼女のものになったのだ。


 そのユーリアが己が領地に赴任したのは、大陸暦一五九九年の一の月、年が明けてすぐのことだった。

 皇族が自ら領地に下向し、経営に携わることは珍しい。代理として任命した貴族に領地は任せ、自らは帝都に留まるのが大半だ。


 しかし、ユーリアの配下には領地の経営を任せられるような人物は側近の黒騎士ファレル以外にはいない。

 その黒騎士の正体がアルカイオス王国の元王子であることは公然秘密だ。彼が代理として認められる可能性はほとんどなく、認められたとしても彼にすべてを任せることはできない。


 これは信頼の問題ではない。立場や肩書は本人が意識する、しないに関わらず厄介ごとを引き寄せる。元王子たるファレルが領土の実権を握ったとなれば誰が妙な気を起こすかわかったものではない。


 そのため、ユーリアは自らガルアへ着任せざるをえなかった。これも彼女の派閥の貧弱さ、人材不足が原因だが、人を集めるには金と土地、権力が必要だ。そうして、それらを得るためにはやはりガルアという領地を最大限に活かすしかなかった。


 だが――、


「…………人が足りん」


 とりあえずの居城として選んだガルア渓谷砦、その一室にてユーリアは深々とため息を吐く。机の上に足を投げ出して、皇女とは思えないほどの行儀の悪さだった。


 窓からは朝日が射し込んでいる。夜を徹して書類仕事に取り組んで、ようやく一区切りがついたところだった。

 

 彼女がガルア渓谷に到着し、砦に入ってからはもう一週間が経過しているが、彼女の治世は遅々として進んでいない。

 先の戦で破壊された砦の修復は黒百合騎士団が行っているが、燃やされた橋の修繕や周辺の村々への巡察にまで手が回っていない。これでは税を徴収するための名簿作りがいつになるかもわからない。


 原因は分かっている。人出があまりにも足りていないのだ。

 村々から人足を調達しようにも、先の鎮圧戦で人々が逃げ出したせいで、そもそもガルア渓谷全体の人口が減少している。こればかりはユーリアがいかに優秀でもすぐには解決のしようがない。


「第三軍は使えないのか? 一時的に動員して、橋の修繕だけでも手伝わせるのは」


 騎士団からの報告から顔を上げて、ファレルが尋ねる。書類仕事をするために兜を外していた。

 この砦に到着してからはファレルはユーリアの補佐として領地の経営に携わっている。王子として基本的な教育を受けていたおかげでどうにか官僚のまねごとをこなせてはいるものの、やはり、人材不足は否めなかった。


「だめだ。今は不用意に軍を動かしたくない。アレク兄さまに横やりを入れる隙を与えたくない」


「なら、どうする。騎士団は手いっぱいだ。傭兵団の連中にまで手伝わせてるんだぞ」

 

 ドロア城の戦で捕虜になったウェルテナ傭兵団は、現在はファレル旗下の私兵という扱いになっている。無論、ユーリアは難色を示したし、傭兵団の団長であるエリカもこれは一時的なことだと言い張っているが、ファレルの要請で砦の修復に駆り出されていた。


 そこまでしても、手が足りていない。武官はともかく内政に携わる官僚がまったくもって不足していた。


 これもユーリアが第三軍の総帥となった影響だ。

 本来の予定なら黒百合騎士団の人員をすべてここに連れてくる予定だったが、第三軍との連絡要員、アルセナ離宮の警備、帝都での政治的工作などに人手をとられ、約半数は残してこなければならななかった。


「言っとくが、オレの伝手は使えないぞ。お前だってこれ以上オレの裁量が増えるのがまずいのは分かってるだろうしな」


「…………文書の処理はしばらくの間、私一人でどうにかなる。その間に人を集めてくるしかない」


 実際、ユーリアの実務能力は並の官僚十人分だが、能力があるだけで領地を経営できるわけではない。将来的には、必ず追加の人員が必要になる。


 ましてや、今は時間が惜しい。じっくり時間をかけて人を育てているような暇もなかった。


「選んでる場合じゃないな。ともかく募集を掛ける。こういう時は数だ。お前の好みは無視するぞ」


「いやだ! 私の側で働く以上は有能で顔がいいもの以外は雇わない! 矜持に反する!」


「それこそ却下だ! 矜持で仕事が回るか!」


「ぐぬぬぬぬぬ……!」


 ファレルに論破され、ユーリアは拗ねたようにそっぽを向く。彼女自身、我がままなのは自覚しているが、ファレルに甘えていた。

 所詮、命の掛かっていない書き物仕事に過ぎないが、だからこそ地道で果てがない。戦慣れしている彼女にしてみればこの地道さは十二分に堪えていた。


「……甘いものだ。甘いものが欲しい」


 しばらく拗ねていたかと思うと、再び書類に視線を戻し、今度は唸り始めるユーリア。すでに十年分の税の出納帳を読み込み、戸籍名簿も記憶したが、いかんせん前領主のモースタント卿の不正は根深かったようで資料の三分の一は使い物にならない。


「――失礼します」


 不意に扉が叩かれ、メイド服を着たテレサが現れる。右手にお盆を乗せており、そこでは二つのカップが湯気を立てていた。

 ファレルの護衛役を務める彼女もまた帝都からガルア渓谷こちらに移動してきている。

 これまで通りの役目に加えて、砦内の給仕塗装時、家事全般の管轄も彼女は任されている。たとえ相手が不倶戴天の恋敵でもその能力の高さをユーリアが正確に評価している証拠だった。


「はちみつ入りの牛乳ミルクです。そろそろご入用かと思いまして」


「ああ、助かる」

 

 テレサからカップを受け取るとファレルは当たり前のように口を付ける。なめらかな口当たりと強い甘みは脳の疲れによく効いた。


 それを見て、ユーリアも恐る恐るカップを受け取る。毒見のされていない飲み物を飲む習慣はなかったが、我慢できずに口を付けた。

 そうして思わず頬が緩みそうになり、慌てて手で隠す。温度といい味といい今も求めているすべてがこれには詰まっていた。相手がユーリアでなければ見事な気遣いに褒賞を与えていただろう。

 

「懐かしい味だ。城にいた頃以来か」


「はい。若様は座学が終わるたびにせがんでおいででした」


「…………ふん」


 親しげに言葉を交わす二人に、今度はへそを曲げるユーリア。

 致し方ないとはいえ自分の知らない思い出を目の前で語られるのには腹が立つ。テレサの優秀さも欠かせない人材であることが分かっていても、嫉妬心ばかりはどうしようもなかった。


 問題はその妬ましさをどこに向けるかということ。今のところできるのはどうやってテレサを出し抜きファレルを独占するか、頭の中で妄想を持て余すことくらいだ。


「――い、おい、ユーリア」


「え? ああ、なんだ?」


 ホットミルクを飲みながら、書類を眺めているとファレルに声を掛けられる。妄想ばかりがはかどっていたが、ファレルの真剣な顔を見て一瞬で意識が切り替わった。


「外の様子が変だ。妙に騒がしい」


「……そうだな」


 二人が異変に気付くと同時に、扉が叩かれる。ユーリアが用件を尋ねると、兵士はこう答えた。


「その……領民が来ております。なんでも、殿下と黒騎士殿に御目通りを願いたいとかで……」


 なんとも歯切れの悪い答えに、ファレルとユーリアは顔を見合わせる。使者や役人ならばともかく民が領主を尋ねるなど帝国ではそうあることではなかった。




 

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