第32話 凱旋

 凱旋した黒百合騎士団を帝都の人々は華々しく出迎えた。

 通りには見物人が溢れ、歓声が響き渡る。道路には祝福の花が舞う。まさしく凱旋、第三皇女の戦勝を帝都の住民たちは心から寿ことほいでいた。


 黒百合騎士団には初めての経験だ。これまでの彼らは戦は国内の鎮圧戦ばかりで、同胞を殺めるためのもの。そこに名誉はないが、対外戦争となれば話は別だ。

 血だまりの皇姫は晴れて、帝国の領土を広げた英雄となったのだ。


 無論、その背後にはそもそも黒百合騎士団を南方に遣わした宰相カレルヴァン侯爵の力が大いに働いている。

 旧ペリシテ王国の領地は今は皇帝の直轄領となっているが、いずれは宰相の後援している第二皇子の領土になる。その際の移行を潤滑にするためにも、黒百合騎士団の活躍を称え、ユーリアの機嫌を取っておく必要があった。


 ましてや、ここ数年、帝国軍の遠征は失敗続きだ。

 西方辺境域では西方の大国ダハーン流国に進出を阻まれ、東では東方諸連合と膠着状態。華々しく戦果をあげているのは東方へ進出している第一軍団くらいのもので、あとは国内での叛乱の鎮圧にばかり駆り出されている。

 民の間でこれ以上厭戦的な気分を醸成させないためにも、南方での戦勝を必要以上に喧伝する必要があった。


 凱旋の行列は目抜き通りを進み、帝城へと至る。黒百合騎士団は急備えの軍隊で大半の兵士はまともな訓練さえ受けていないが、この時ばかりは立派な軍隊のように見えていた。


「――皇帝陛下に成り代わり、戦勝の賀詞を奉る」


 入城したユーリアたちを出迎えたのは皇帝ではなく、宰相ヴァレルガナ侯爵だ。

 慣例では皇族の凱旋を迎えるのは皇帝御自らと決まっているが、現皇帝は病に臥せっている。

 その場合は特例として皇帝が自ら行う行事は全て宰相が代行することになっているが、それがアルコン帝国ではもう二年も続いている。事実上、玉座は空になっているようなものだ。


 そのことについて、ユーリアは特段何も感じてない。その出生がゆえに世間や兄弟から疎まれてきたこと自分が英雄として迎えられたことにも感慨はない。


 むしろ、心中には氷のような諦観だけがある。民とはそう言った身勝手なもので、節操もなければ、恥もないものだと理解している。


 もっともそれは、侯爵のような貴族や政治家も同じだ。腹の底では見下したままの癖に、表面的な態度だけは取り繕うのだから質の悪さでは上かもしれない。


 そんなことを考えながら、ユーリアは玉座への道を歩む。その背には勝利と栄光を示す赤いマントが掛けられ、同じく赤色の髪によく映えていた。


「玉座に拝跪を」


 宰相の声が響く。ユーリアは無感情に指示に従い、その場に跪いた。

 黒騎士ファレルがそれに渋々と追従し、兵士たちもそれに倣う。ウェルテナ傭兵団をこの場に同行させなかった己の判断にファレルは安堵していた。


 周囲に集った皇族、貴族たちもその爵位の上下に関係なく、膝を折っている。その中で唯一立っているのは、ヴァレルガナ侯爵。この光景は今の帝国の全てを象徴しているかのようだった。


「――皇帝陛下よりのみことのりを発する」


 沈黙の中、宰相だけが声を発する。皇帝からの言葉という形で口にしてはいるものの、実際にはやはり宰相の言葉だ。この戦の論功行賞は自分が差配する、そう宣言したようなものだった。


 詔はまずは決まりきった美辞麗句から始まり、次に分かりきった状況の説明が続く。その後になって、ようやく具体的な褒賞について話が及んだ。


「以上の戦果を持って、第三皇女ユーリア・ステラ・マキシマスにガルア渓谷およびその周辺の諸領地を与える。皇帝の名代としてよくこの地を治め、一層の忠勤に励むべし」


 これも予想通り、いや、約束通りの内容だ。

 

 ペリシテ王国への遠征はもともとガルア渓谷周辺の領地を手に入れようとしたユーリアへのカレルヴァン侯爵の横やりから始まったもの。彼への借りを返すことでようやくユーリアは己が領地を正式に手に入れたのだ。


 長い道のりだった。それに結果としては、ただ奪い取った領地を政治的駆け引きで維持するよりもはるかに良い。

 なにせ、宰相を介してとはいえ皇帝からのお墨付きを得られたのだ。いかに臥せって長いとはいえ帝国にこれ以上の権威は存在しない。これから領地を経営していくにあたって、余計な干渉を避けられるというのは十分に有用だ。


「――加えて、もう一つ。皇帝陛下よりユーリア殿下への下賜がございます」


 続く言葉はユーリアにも想定外のものだった。

 彼女にとってドロア城での戦はすでに手に入れたものを守るためのものだった。その上何かが手に入るなどとは思ってもみなかったのだ。


「『此度の功を鑑み、第三軍を第三皇女に与える。好きに使うがよい』、以上です。おめでとうございまする

、ユーリア殿下」


 ユーリアはその言葉の意味を一瞬理解できなかった。

 軍団を与えられるのは、皇位継承順位三位以内の男子のみだ。それがユーリアに与えられた。


 その意味するところは一つ。皇位継承順位七位だったユーリアが兄弟たちを飛び越えて、後継者争いに食い込んだのだ。


 

 凱旋式とそれに伴う晩餐会やらなにやらの行事を終えて、ユーリアが息つくことができたのは帰還から三日後のことだった。


 何より大変だったのは突如決まった第三軍団の引継ぎに伴うあれこれだ。

 正確には再編中だった旧第三軍を二つに割って、半分をユーリアの旗下に、残りを新設される第四軍に組み込むということだったのだが、どちらにせよ一夜にして勢力が急拡大し、臣下が激増したということに変わりはない。


 その引継ぎと挨拶だけでも眠る暇さえない有様だった。


「――疲れた。もう無理だ、帰る」


 アルセナ離宮の私室、その寝台に全身を投げ出してユーリアは深くため息を吐いた。

 先ほどまで来ていた儀礼用の甲冑はあたりに脱ぎ捨てられている。肌着一枚しか着ていないせいで豊満な体の線が露になっていた。


「ここがお前の家だろうが。どこかに帰るっていうんだ?」


 仕方なく甲冑を拾い集めながら、ファレルが尋ねる。彼もユーリアの補佐として働き詰めだが、不思議と疲労を感じてはいなかった。


「辺境に小さな領地を買うんだ。それで、君と農家になって暮らす。子供は五人欲しい、あと犬を飼おう。でかいやつがいい、色は白」


「オレは付いていかないし、お前に農業は無理だ」

 

「なんで? 植えるだけで育つんだろ?」


 いちいち訂正する気にもなれずため息を吐くファレル。できればそうしたくはないが、現実逃避するユーリアの気持ちも理解できる。


 第三軍団を与えられたことは慶事でもあるが、凶事でもある。

 

 まず敵が増えた。特にもともと第三軍を率いてた第三皇子とその派閥との決裂は決定的だ。引継ぎのため対面での挨拶を申し込んだが、門前払いされた。これからはことあるごとに敵対してくるだろうし、大っぴらな攻撃もあるだろう。


 次に厄介なのは、その第三軍そのものだ。彼等は黒百合騎士団のようにユーリアの子飼でもなければ、旧アドワーズ騎士団の面々のように個人的な縁故があるわけでもない。

 つまり、信用できるかどうかも分からない。命に従うどころか、反抗的な態度をとることや寝返りも十分に考えられる。


 しかし、この二つよりもユーリアの頭を悩ませているのは一つの疑問だ。なぜ、皇帝が自分に第三軍を与えたのか。その答えだけはいくら考えてもでなかった。


「……まあいいさ。私には君がいる。誰が敵で味方でも、それが確かなら構わない」


「……いやだって言ってもお前を皇帝にするのがオレの役目だ。それだけは信じろ」


 ユーリアなりの信頼にファレルも応える。

 もはや越えてはいけない一線などとうの昔に越えている。例え行き先が地獄だとしても、その地獄の王にユーリアを押し上げるまでファレルは戦い続けるつもりだった。


「信じてるさ。まあ、戦の度に女を増やすたらしっぷりだけは治してほしいけど」


「誰がたらしだ。オレは必要なことをしているだけだ」


「どうだか。あの傭兵団のこと私はまだ許してないからな」


 いつもの調子が戻って頬を膨らませるユーリア。そんなユーリアに対してファレルは心底不服そうに唸った。

 ウェルテナ傭兵団を引き入れたのはファレルの独断だ。エリカとかつての仲間たちを必要としたことに私情が混じっていないと言えば嘘になる。だが、ウェルテナ傭兵団がいずれ大きな助けになるとファレルは確信していた。


「そうだ、いっそ私と婚約しよう。そうすれば変な虫も寄ってこないし、あのメイドも使用人として部をわきまえるだろ。よし、そうしよう」


「……言ってろ」


 ユーリアの言葉は本気のようにも、冗談のようにも聞こえる。あるいは、もっと昔に彼女の求めに頷いていれば別の形もあったかもしれない、そんな甘い空想もしがファレルの脳裏に浮かんですぐに消えた。


 ファレルにも、彼女ユーリアにも今この時しかない。その今のためにも為すべきことを為すのが二人にできる唯一のことだった。

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