第31話 ペリシテ王国の滅亡

 翌日の朝、ファレルは予定通り軍を率いて出立した。

 率いる兵力は約七千。残る二千の兵は後詰としてドロア城に残った。


 総大将たるユーリア、並びに副将であるテレサを筆頭として主だった将は全てドロア城に残った。捕虜の監視とユーリアの護衛という名目での留守居ではあったが、実際は休息をとり、後詰として備えるという意味合いが大きかった。


 ウェルテナ傭兵団はファレルとの約束通りに自由を与えられた。城を去るのも、留まるのも勝手とされた傭兵団はしばらくの間は城に逗留することを選んだ。

 表向きは雇い主であるペリシテ王国への義理を果たすためということになっていたが、実際には団長であるエリカがこれからの身の振り方について決めかねているということが大きい。


 戦には勝ち負けがつきものであり、勝敗は一時の運とも言われるが、一度負けた傭兵団にたいして世間は冷たい。次の雇い主の当てもない以上は城に留まるほかなかった。

 考えるべきは、その後どうするか。ファレルの提案を受け入れるか否かがエリカには一番の問題だった。


 ファレルは出陣の間際、エリカに対して行き場がないのなら自分がウェルテナ傭兵団を雇う、と言い出した。これからの自分には必ずエリカとウェルテナ傭兵団が必要になる、と。


 ウェルテナ傭兵団がただの傭兵団ならば願ってもない申し出だ。

 傭兵は国に仕えず自由ではあるものの、やはり流浪の身。身を寄せる大樹もなく、望んでこの職に身をやつすものはほとんどいない。

 それが国の、それも大陸の覇権を握る三大国の一つであるアルコン帝国のお抱えになれるのだ。普通ならば一も二もなく頷いてしかるべきだろう。



 けれど、ウェルテナ傭兵団はその数少ない例外の一つだ。自由を謳歌し、不便さのが団のあり方。誰かの籠の鳥になることは伝統への裏切りにもなりかねない。

 それにファレルに仕えるということは帝国に仕えるということでもある。エリカも含めて傭兵団の構成員には西方の大国ダハーン流国の出身者が多い。流国と帝国は不倶戴天の敵だ。帝国への敵対感情はウェルテナ傭兵団にも根付いている。


 しかし、その二つとエリカの個人的な葛藤を踏まえてなお、ファレルからの依頼オファーには魅力がある。

 今回のドロア城での戦は、いわゆる割に合わない仕事だった。敗北したうえに装備を消耗し、戦力も減らした。報酬は前払い分しかもらえていないし、全員分配したうえでけが人や退団者への手当てを考慮した場合、団の財政は火の車だ。ここでファレルに仕えることでその問題を解決することができるなら、願ったりかなったりだ。


 それにエリカ自身、自分たちを雇おうとするファレルへの反発はあるが、かつてのようにファレルやテレサと共に戦えることへの喜びも感じている。

 二年前のウェルテナ傭兵団は無敵だった。戦には連戦連勝。大陸全土に勇名が響き渡り、大陸各地の戦場からは引く手あまた。団員の数も千を越えていた。


 まさしく最盛期。二年間、エリカは団長として団を維持してきたが、その頃には追い付けていない。どんな形であれ、ウェルテナ傭兵団がかつての姿を取り戻すのならエリカの肩の荷も下りようというものだが……、


 簡単には答えはでない。少なくとも、ファレルがペリシテの首都を落とすまでウェルテナ傭兵団の滞在は許されている。二週間、あるいは十日、それだけの時間があるとエリカは見込んでいた。


 ところが、ファレル率いる先遣隊からの急使が城に着いたのはドロア城陥落からたった五日後。使者が述べた言上は「首都は陥落。至急、向かわれたし」という極めて端的なものだった。

 


 軍を率いて出立したファレルは、まずコタンの街を降伏させた。まともな城壁も持たない商業都市であるコタンには帝国の軍勢に抗する力はなく、街を預かる市長は抵抗より先に白旗を振った。


 ここまでは計算通りだった。コタンが抵抗しないことは事前に分かっていたし、周辺の砦や街に戦力が残っていないことも分かっていた。

 そのため、首都ナポンまでたった三日で行軍できたこともそうおかしなことではなかったし、どの街も使者を送る前から逆に降伏を申し出てきたこともありえることではあった。


 不可解な事態に陥ったのは、首都ナポンに到着してからだ。

 事前の情報収集によればナポンにはまだ三千人のペリシテ兵が残っていた。精鋭は全てドロア城に出払っていたものの、ナポンにも城壁はある。その気になれば防戦することも不可能ではなかった。


 ところが、ペリシテ王国はファレルが王都に到着したその日に降伏の使者をよこした。死者は王都を明け渡し、国権を放棄するゆえ王と王族、王侯貴族の命は保証されたし、という旨が印された書状を携えていた。書状の末尾には王と大臣の署名まであった。


 書状を読み終えた瞬間、ファレルはそれをバラバラに引き裂いてやろうかという衝動に駆られた。使者をこの場で切り殺し、そのまま全軍で王都を蹂躙してやろうかとも思った。

 そうして書状をにらんだまましばらく思案した末に、ペリシテ王国の降伏を受け入れることにした。


 よくよく考えてみれば、即降伏したペリシテ王国の行動にも納得はできる。

 帝国軍はドロア城を抜けてきた。あの城はペリシテ随一の堅城だ。それに比べればナポンの都は脆い。兵も弱卒でそれを率いる将もいない。援軍を送ってくれるような同盟国もない。


 つまり、勝ち目がない。戦っても勝てない以上は戦うのは無駄だ。犠牲を出すくらいならば、自分たちの身分と国を守る。いっそ合理的な判断でさえあるだろう。


 いや、例え勝ち目がなくとも防戦すべきだった。少なくともファレルはそう確信している。

 ペリシテ王国にとってこの戦は国家の存亡をかけた一戦だった。であれば、意地を示すべきだ。滅びるとしても後の歴史には、臆病者としてではなく勇敢な敗者として名を刻むべきだ、それがファレルの考えだった。


 だが、矜持と名誉が失われても人は生きることができる。どちらを優先するかを強制することはできない。


 かくして、王都ナポンの陥落をもってペリシテ王国を滅亡した。

 五日後にはドロア城を出立した第三皇女ユーリアが王都に入り、正式にペリシテ王国の消滅とその領土が帝国に編入されたことを宣言した。ユーリアにしてみれば己の領地になるのではなく、皇帝の直轄領となることに憤懣やるかたなかったが、それが決まりである以上は従わざるをえなかった。


 続けて、その三日後、戦後処理のも済まないうちに帝都から使者がナポンを訪れた。使者としてやってきたのは、宰相カレルヴァン侯爵の配下、ディノファン伯爵。伯爵は戦勝の賀詞もそこそこに、皇帝からの勅命としてユーリア以下黒百合騎士団全員に凱旋を命じた。

 ようは、とっとと宰相側についている第二軍団と交代して帝都に帰還せよ、との命令だ。カレルヴァン侯爵は南方との貿易で財を成した、その権益にユーリアが食い込むのを阻止したいのだ。


 驚くべきは、その手の速さ。ドロア城の攻略の全権をユーリアに預けておきながら、侯爵が第二軍団を動かしていたことは火を見るよりも明らかだった。

 

 ともかく、黒百合騎士団は腰を落ち着ける間もなくナポンを出立した。帝都への到着予定は、約一月後。北に向かう軍勢の中には先日まで敵であったはずのウェルテナ傭兵団の姿があった。


 エリカの決断がウェルテナ傭兵団にとって吉であるか、凶ではあるかはまだ分からない。確かなのはこの戦において大陸の勢力図が変化したということ。戦乱の嵐はすぐそばまで迫っていた。


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