第29話 刺客
崩壊した東門には、ファレル旗下の元アドワーズ騎士団の面々が詰めていた。
彼等には事の詳細こそ伝えられていないものの、敵の侵入を警戒せよという厳命が下っていた。彼等は愚直であるからこそ明確な命令にはよく従い、よく働く。
そのアドワーズ騎士団のいる東門を刺客はすり抜けた。警備の兵は刺客の存在に気付きもしなかった。
東門を抜けた刺客たちはそのまま城壁を伝って、本城を目指す。影から影へと飛び移り、誰にも気づかれることなく本城へと続く一本道に差し掛かった。
標的のいる執務室まではあと一歩。城内に入る必要はない。赤子の頃から訓練重ねてきた王の影たちならば城壁を登攀するくらいのことは容易い。
城壁に鉤爪を引っ掛ける。ロープを掴み、体重を預けた瞬間――、
「――!?」
飛来した矢がロープを断ち切る。不意打ちではあったが、刺客たちは五人とも無事だった。
だが、見つかった。なにものであれ王の影がその姿を捉えられるなどあってはならないことだ。
「そこまでだ」
声が響く。本城へと続く門から姿を現したのは本来ならば彼らの仕えるべき主たる、黒騎士ファレルだ。
「影たちよ。お前たちの任は承知している。だが、それを成すことは許さん」
王子として語り掛けるファレルに対して、影たちは答えない。任務中彼らは言葉を発することを禁じられている。その掟は王子が相手でも曲げることは許されない。
ここで退くこともまた影には許されない。ユーリアを殺すことが彼らの任務だ。そのためには障害が誰であれ、排除する。
「止まらんか。ならば、致し方あるまい」
ファレルもまた剣を抜く。同胞を手に掛けるのは忍びないが、彼もまた大きなものを背負っている。その大きなもののためにも、ここでユーリアを殺させるわけにはいかない。
対する影たちはそれぞれ二本の短剣を構え、地を這う獣ののように姿勢を低くする。互いに呼吸を合わせ、声を発するまでもなく動きを合一にした。
王の影の数ある強みの一つだ。一糸乱れぬ連携で確実に標的を仕留める。
その脅威がファレルへと迫る。
「フッ!」
踊りかかるような左右からの初撃をファレルは剣で弾く。間髪入れずに切り返すが、反撃は宙を切るだけだ。
ファレルもまたアルカイオス王国に伝わる剣術を修めているが、その流派の手の内は同じアルカイオスの民である王の影には透けている。いくらファレルが武勇に優れるといっても、一対五では防御で手いっぱいだ。
しかし、今のファレルは一人ではない。
「――!?」
脇をすり抜けようとした影の眼前に数本の矢が突き刺さる。城壁の上から狙撃手が狙っているのだ。
様々な技を操る王の影をして驚嘆すべき妙技だ。夜闇を見透かす眼と針の穴を射貫くような弓の腕、その二つの才が揃っていなければこれだけのことはできない。
「ぐっ!?」
足を止めた影にファレルが斬りかかる。その膂力に吹き飛ばされ、影は城壁に叩きつけられた。そのまま意識を失ったのか、ピタリと動かなくなった。
これで一人。残りは四人だ。
続けざまファレルは影たちの中に斬りこむ。防御に回った影の背中を狙撃手が射貫く。そうして二人が倒れた。
残るは二人。大陸において死そのものに例えられた王の影がこうも容易く倒されることなどありえない。
「投降しろ。お前たちに勝ち目はない」
しかし、再度の勧告にも影たちは応じない。彼等にとって己の命なんてものは何の価値もない。死して任務を果たせるなら、それで十分。いや、本望とさえ言える。
一人が先んじてファレルへと突撃する。自分の命を盾にして、残る一人を本城へと侵入させるつもりなのだ。
意図は読めているが、それだけに防ぐことは難しい。
「――エリカ!」
ファレルの動きを見てエリカはその意図を察する。先行した影をファレルが斬り捨てる。それと同時に背後から飛び出したもう一人をエリカは射貫いてみせた。
紙一重だ。少しでも狙いが逸れていれば、矢は影ではなくファレルを射貫いていただろう。彼女以外の弓兵ではこんな芸当は不可能だ。
ファレルは構えを解き、エリカに戦闘終了の合図を送る。城壁の上から見ても他に敵影はなかった。
屍の一つに近づき、ファレルは人相を改めようとする。影は黒いフードを被り、さらにその下に仮面をつけていた。
ゆっくりと仮面をはぎ取る。その下にあったのは見知った顔だった。
「これは……」
仮面の下にあったのは、旧アドワーズ騎士団の一員、ゴットンの顔だ。
彼は騎士団の古参兵の一人で出自も確かだ。その彼が王の影の一員だったのだ。
念のため、他の四体の素顔をも確認するファレル。そのどれもが、やはり、旧アドワーズ騎士団の古参兵だった。
つまり、彼等は十数年前アドワーズ騎士団に加入したその時から、王の影として暗躍していたということになる。
そして、その前提に立てば、この場には一人分の顔が足りない。すぐにそう思いたったファレルだが、すでに手遅れだ。
六人目の刺客、他の五人を囮にした本命がユーリアに迫りつつあった。
◇
彼女は生まれた時から、影たるものとして育てられてきた。
物心がつく前からあらゆる武術、体術、暗殺術を叩き込まれ、己というものを確立するより先に偽りの人格を植え付けられた。
以来、二十年もの間、彼女は影として王族に仕えた。正体を偽りながらも側に侍り、あらゆる脅威から主君を守護してきた。
そうして今、別の役割を仰せつかった。アルコン帝国第三皇女ユーリア・ステラ・マキシマスの暗殺。並びに黒騎士ファレルの護衛。後者に関しては今回動員された影の中でも彼女だけに命じられた特別な任務だ。
もっとも、そのことには何の感慨もない。いや、生まれてこの方、感情が揺らいだことなどない。当たり前のように鍛錬し、当たり前のように殺し、当たり前のように偽る。呼吸を意識することがないように彼女の心はどんな残忍な行いにも揺らぐとことはない。
ゆえにこそ、彼女は王の影の中でも最高傑作としてカトレアに信を置かれた。彼女ならば確実にその任務を果たすだろう、と。
しかし、その信頼さえ彼女にはどうでもいい。た虚ろな心のまま少女は本城へと侵入した。
誰にも気づかれぬまま、四階の廊下に窓から侵入する。見張りの兵士の姿はない。仮にこの場にいたとしても並の兵士に彼女を止めることはできない。
彼女は音もなく廊下を進み、執務室の前へ。油断なく扉を観察し、罠がないことを確認する。
室内にある気配は部屋の主たるユーリアのみ。寝台に横たわり、暢気に寝息を立てている。情報通りだ。第三皇女は夜半には眠りにつく。眠りそのものは浅いが、彼女ならばこのまま音を立てずに喉を掻っ切れる。
扉を開けて、部屋の内部へ。寝台へと近づきながら、右手の指を揃えて力を込める。爪先は剣のように鋭利だ。
これこそが王の影の秘奥の一つ。遥か極東に伝わる肉体操作による身体の武器化。彼女の指先は並のナイフよりも鋭い。
寝台の側に歩み寄り、右手を振り上げる。狙うのは柔らかな首元。確実に即死だ。
凶器を振り下ろす。確実に皇女の命を奪われると思われたそれは――、
「――っ!?」
その直前で弾かれる。ありえない、そんな思考を寸断するかのように反撃が奔った。
短剣の一撃を彼女はかろうじて交わすが、切っ先がフードごと仮面を断った。
「諦めなさい。諸劇を防がれた時点であなたの人は失敗した」
皇女ユーリア、否、それに化けていた女が立ち上がる。
皇女の寝間着を着ていてもその顔を見間違うことはない。テレサ・ルイーズ、王の影の中から王子の護衛として選ばれた天才児だ。
「――あなたは」
その天才の目が影の正体を捉える。能面のように無表情だが、顔の造りも髪の色もある少女と一致していた。
少女の名は、ユリアン・マクビッツ。旧アドワーズ騎士団の副団長であり、この戦いにおいてファレルの副将を務めた少女騎士以外の何物でもなかった。
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