第28話 王子と妹分

 ドロア城におけるユーリアの居室、メラン卿の元執務室は本城四階の奥まった場所にある。

 部屋の前の扉は精鋭の兵士二人が警護し、廊下にも巡回の兵がいる。ここがいまだ適地ということを考えても、十分な警備だ。


 ユーリア自身も暗殺については常日頃から警戒している。食事に関しては専属の料理人が調理したものしか口にしないし、水も自分専用の葡萄酒の樽を用意する念の入りようだ。

 並の暗殺者ではユーリアに近づくこともできないし、よしんば近づけても彼女の命を奪うのは容易ではない。


 だが、此度の凶手は並の相手ではない。かつてアルカイオス王国にて死の先触れと恐れられた王の影が彼女の命を狙っている。


 そのことを知るのは、この城においてはたったの三人。黒騎士ファレルとその従者テレサ、そしてウェルテナ傭兵団団長のエリカ・ウェルテナだ。


「……見えるか」


「当然」


 本城のベランダからエリカは眼下を見下ろしている。すでに真夜中、月は雲に隠れて、僅かなたいまつしか灯りがないにもかかわらず彼女の眼は夜闇を見透かしていた。

 隣に立つファレルの目にはほとんど何も見えない。元王の影であり優れた視力を持つテレサでもエリカほどはっきりとかつ遠くまで見通すことは不可能だ。


 王の影にはその名の通り影に潜む技術に長けている。彼等の襲撃を少人数で、しかも秘密裏に防ぐにはエリカのこの眼が不可欠だった。


「それより、約束は守ってもらうわよ」


「わかってる。暗殺を防げれば、ウェルテナ傭兵団おまえたちは自由だ」


 他人行儀に確認するエリカに、ファレルも同じように応じる。かつてのような間柄ではなくあくまで契約における教頭なのだ、と互いに言い聞かせていた。


 エリカの協力を取り付ける為、ファレルは彼女にある見返りを提示した。それがウェルて傭兵団の解放。ユーリアの暗殺を防げば彼らを解放すると請け負ったのだ。

 捕虜の中でもウェルテナ傭兵団の扱いはファレルに一任されている。決して不可能ではない。


 だが、この役目を引き受けたのは、団長としての役割だけが理由ではない。

 怒りや悲しみが完全に消えたわけではない。けれど、今は正面からファレルと向かい合ってみたかった。そうすることで何かが開けるはずだ、と。


 エリカの役目はその目を活かしての全体の監視。ファレルは暗殺者の素性と襲撃方法についてある予想を立てているが、確信はまだない。今は全体を見張って怪しい動きや兆候を探すほかなかった。

 ユーリアの居室にはテレサが秘密裏に張り込んでいるが、今の彼女は片腕が使えない。一人ではやはり限界がある。


「…………それで、あの皇女様を誰が狙ってるわけ?」


 夜闇に視線を走らせつつ、エリカが尋ねる。余計なことを尋ねていると彼女自身も分かっているが、こうして二人きりになると衝動を抑えきれなかった。


「……それは…………言えん」


「じゃあ、見当はついてるわけね」


「……そういうことだ」


 ファレルが答えを濁したことで、エリカはおおよその事情を察する。雇い主にすべてを知らせるわけにはいかない後ろ暗さはむしろ傭兵である彼女の方がよく知っていた。


「お前は、誰にやとわれたんだ? 南方こっちに来るなんて珍しいだろ」


「……妙な仲介人のせいよ。払いもよかったし、ペリシテには父さんの恩人もいたし、あと帝国は嫌いだし引き受けたわ。こんな目に合うと分かってたら、断ってたけどね」


「なるほど。依頼内容は、この城の防衛か。確かに少数でこの城を守るならオレでもお前たちを雇う」


「当然よ。今回だって先に降伏されなきゃあの皇女様はあたしが射貫いてたし」


「だろうな。だから、先んじて手を打ったが、無理に狙撃されてたらお手上げだったぞ」


 兜の下に、エリカはいたずらっぽく笑うファレルの顔を垣間見る。二年前のファレルはいつでも堂々として、立ち振る舞いには優雅さえあった。

 その点で言えば、二年前も今も彼の本質は変わっていない。エリカはそのことに懐かしさを覚えるのと同時に、彼の変化を意識せざるをえない。


 今のファレルは影を負っている。それが打倒してきた敵の恨みなのか、あるいは彼自身の後悔によるものなのかはわからない。ただ国を背負う覚悟と苦悩は傭兵であるエリカには縁遠いものだった。


「……受けた依頼は、本当にそれだけか?」


 ファレルが立ち止まる。その問いの意味をエリカは分かっている。契約をかわしたとはいえ、それでも、ファレルには知る必要があった。


「それだけよ。でも、仲介人の様子はおかしかった。ペリシテを守りたいっていうよりは、帝国の邪魔をしたいってそんな感じだった」


「……なるほど」


 エリカの答えはファレルには十分なものだった。

 戦が始まった当初、ファレルはウェルテナ傭兵団の参陣に何らかの意図を感じていた。ファレルの過去を知るカトレアがユーリアを射殺すための傭兵団を雇ったのではないかと考えたのだ。


 だが、ウェルテナ傭兵団は半年前の戦からこのドロア城にいた。そうなると仲介人を使ってウェルテナ傭兵団を雇ったのがカトレアとは考えづらい。何者かの意図が働いていることはまず間違いないが、それが直接的にこの戦場に関わるものかどうかはファレルにも分からない。


 一方、明確になった事実もある。

 カトレアの暗殺計画はまだ生きている。彼女の放った暗殺者は今この時もユーリアの命を虎視眈々と狙っているのだ。

 

 そして、暗殺者が動くとすれば今日この夜しかない。戦に一区切りがつき、軍の規律が緩んでいる今こそが最大の機会。その機会を逃すほど暗殺者は愚かではないはずだ。


 そのままエリカは無言のまま城壁を見回る。見張りの兵士たちも黒騎士の姿を見つけると無言で去っていった。


「――ねえ」


 不意にエリカが声を発した。沈黙に耐えかねたのではなく、もし今日事態に変化があるなら今のうちに決着をつけておくべきことがあった。


「……あたしたち、強かった?」


 単純な問いだが、そこには多くの意味が込められている。その重さを噛みしめてから、ファレルはこう答えた。


「強かった。だからこそ、汚い手も使った。そうでなければ勝てないとオレが判断した」


 ファレルは率直に、正直に答えを返す。

 事実、彼にとってもこの戦いは容易いものではなかった。結果的にすべてがうまく運びこそしたものの、何もかもが紙一重だ。何か一つ違っていれば捕らえられていたのはファレルの方だった。


 だからこそ、ファレルは打てる手はすべて打った。彼にとってはそれが事実であり、そこに伴う懊悩や迷いは口にする必要はなかった。


「……そう。ならいいわ」


 エリカもまた戦士だ。ファレルの意は十分に伝わっているし、テレサからその背景を聞かされた今なら納得もできる。策にはめられたことは腹立たしいが、それは己の未熟さによるものだと割り切ることもできた。

 

 迷いは晴れた。あとは、傭兵らしく仕事を完遂して自由になるだけだ。その後のことはその時に考えればいい。


「――ん?」


 そう決意した瞬間、エリカの視界の端を何かが過る。一瞬、こうもり噛むしかと見間違うような速度だったが、エリカの直感は警告を発していた。


「……あれは」


 目を凝らして動きを追う。最初は一つだった影は今や五つに分れている。獣じみた動きをしているが、獣ではない。


「どうした?」


「何か動いてる。数は五つ。東門の辺り」


「走るぞ。本城への連絡を抑える」


 すぐに走り出したファレルにエリカが続く。返された矢筒から矢を引き抜き、弓に番える。今ならば無防備な背中をいることもできるが、そんな気はもうさっぱりと消え失せていた。

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