第27話 王子と傭兵とメイド
捕虜になったウェルテナ傭兵団には地下牢ではなく、以前から使っていた詰め所が宛がわれた。
見張りにつく兵も最小限で、武器こそ取り上げられたものの拘束もされていない。捕虜の虐待で有名な帝国とは思えない上等な扱いだった。
こうなるといっそ不信感がわいてくるが、蜂起するわけにもいかない。
団長であるエリカだけが別の場所に監禁されている。彼女の安全を確保するまでは帝国に従うほかなかった。
さらに言えば、どれだけ勇敢で武勇に優れていてもエリカは女性だ。一度戦場に出た以上、覚悟は決めているがそれでも団員たちは気が気でなかった。
しかし、そんな団員たちの心配とは裏腹にエリカは極めて丁寧な扱いを受けていた。
彼女に与えられたのは独房ではなく尖塔の一室。扉に鍵こそかかるものの寝台も置かれ、傷の治療も受けた。着替えや寝間着まで用意されているのだから、これでは捕虜というより客人だ。
「…………なんだってのよ」
弓の弦を弄りながら、エリカは窓から外を眺める。
すでに夜も深いが、彼女の目ならば眼下の様子ははっきりと見て取れる。あわただしく動く無数の影を見ていると、もはやどうしようもないのが分かっていても指先は疼く。
後この部屋でできることといえばふて寝することくらいだが、眠るにはあまりにも落ち着かない。いっそ冷たい床にわらだけ与えられた方が落ち着いたかもしれない。
捕虜になるということは人としての尊厳を失うことに等しい。生かすも殺すも捕らえた相手の胸先三寸。いや、いっそ殺されるだけならマシなほうだ。拷問されるか、あるいは凌辱されるか。どちらにせよ、この場で自害した方がまだ救いがある。
実際、そうすることもできる。弓以外の武器は取り上げられたが、窓は開く。この高さから飛び降りれば即死だ。
だが、衝動に身を任せるほどエリカは愚かではない。自分がいなくなればウェルテナ傭兵団は頭目を失う。つまり、傭兵団そのものは消滅する。祖父の代から続いた傭兵団を断絶させてしまうことはエリカにとってはどんな責め苦より耐え難かった。
腹立たしいのは、それを見透かされていることだ。
「いったいどういうつもりよ、アニキ」
エリカの扱いを決めたのは、まず間違いなくファレルだ。自分ならば決して自害することないだろうと読んでこの部屋を宛がった。そう考えると、完全に策略に陥っていた自分がなおのこと許しがたく、憤懣やるかたない。
かといって、何ができるわけでもない。せいぜいできて扉から入ってきたところを弓で殴りつけるくらいだ。
「――!」
そんなことを考えていると、扉が叩かれる。敵かと思ったが、続けざまに二、三、二回と独特の感覚で響く音はウェルテナ傭兵団の符牒の一つで敵ではないと告げていた。
この城でウェルテナ傭兵団の団員以外でこの符牒を知るのは二人しかいない。
「……どうぞ」
そう言いながらエリカは弓の先端をもって扉の影に姿を隠す。先ほどの思考を実行するのだ。
鍵が外される。ゆっくりと扉が開き――、
「殴るのは自由ですが、やめておいた方がいいかと。あとで後悔しますよ」
聞き覚えのある声が響く。その声にわずかに緊張が解け、エリカは弓を下した。
「久しぶりですね、エリカ」
扉を開けて現れたのはテレサだ。戦用の黒装束ではなくメイド服を着て右手を吊っていた。
彼女は部屋に入るとゆっくり扉を閉め、どこから取り出したのか湯気の立ったままの紅茶を机の上に置いた。
「…………傷は、いいの?」
「ええ、おかげさまで。ですが、毒には改善の余地がありますね。もう少しいろいろな種類の毒を混ぜた方がよく効くかと」
テレサらしい助言にエリカは苦笑いを浮かべる。二年前から彼女が変っていないことに安堵していた。
ファレルと同じようにテレサもしばらくの間、ウェルテナ傭兵団に所属していた。その頃のエリカとテレサは年の近い姉妹のように親しかった。
「しかし、因果なこともあるものです。数ある傭兵団の中からよりによって
「こっちこそびっくりしたわよ。突然いなくなったと思ったら、帝国に仕えてる上に、あの黒騎士になってたなんて、こっちからするとわけがわからない」
「……そうですね。私自身も戸惑いが消えたと言えば嘘になります。若様、いえ、ファレル様もそれは同じです」
エリカの隣に腰かけるとテレサはそう本音を漏らす。
帝国は、ユーリアはファレルだけではなくユーリアにとっても祖国の仇だ。どんな理由があったにせよ、アルカイオス王国は滅ぼされてしまった。
怒りもある。恨みもある。あるいは、身を裂くような嫉妬さえある。そのすべてを呑み込むことは決して容易なことではない。
「じゃあ、どうして……? そんなになってまで帝国つく理由があるの?」
「あの人は、話さなかったのですね」
テレサの問いにエリカが頷く。主の頑固さと律義さに彼女はため息を吐いてから、話すべきか、話さざるべきかを思考する。
本来であれば、主が話すべきでないと判断したことを臣下である彼女が覆すことなどありえない。しかし、今回は半ば家族の問題のようなもの。戦場でのファレルの判断には間違いはないが、こういった場合には内助の功が必要になる。
「少し長くなりますが、私の話を聞いてくれますか?」
決心を固めてテレサが言う。それを組んでエリカは黙って彼女の言葉を聞き届けることにした。
「……つまり、あのアニキが本当は王子様で、テレサはその付き人だったってわけ」
そう要約したうえで、エリカは寝台に背を預ける。テレサの話を疑う気はないが、すぐに信じるのは難しい。
だが、よくよく考えてみれば納得はできる節はある。例えばファレルの普段の振る舞いは傭兵のそれではなかったし、昔から傭兵の自分たちよりも世情に通じてもいた。高等な戦術や武術に通じていたことも王子として教育を受けたと考えれば不思議ではない。
それに、従者であるテレサの存在自体が証拠だ。彼女の身のこなしや諜報能力、隠身の技術も彼女が本来王族の護衛なのだとしたら必須の技能といえる。
「……信じるしかない、か」
「怒っていますか? 隠していたこと」
「…………そっちに関してはあんまり怒ってない。突然出てったことも理由を聞けば納得できるし……あたしが怒ってるのは……」
気付かぬうちに一人称がかつてのものに戻る。二年前、まだウェルテナ傭兵団にファレルとテレサがいた頃のものに。
「…………今回の戦い、策を立てたのは、アニキなんでしょ?」
あえて、かつての呼び名を口にするエリカ。完膚なきまでに敗北したからこそ、自分が誰に負けたかははっきりさせて起きたかった。
「……策は全て、若様が立てたはずです。多少、あの皇女が手を加えてはいるでしょうが」
偽りなくテレサが答える。ここで嘘を吐いたところで主のためにはならないし、主もそれを望まないことを彼女は知っていた。
「そっか……」
思わず目頭を押さえる。ここには団員はおらず、テレサは団長になる前のエリカを知っている。強がる必要はなかった。
そんなエリカに対してテレサは何も言わない。今慰めを口にすることは許されないし、そうしなくてもいいと彼女は知っていた。
「――入るぞ」
しばらくして、その声が響く。彼はゆっくりと扉を開き、姿を現した。
兜は外している。ファレルの顔には哀れみも蔑みも浮かんではない。何か決意めいたものだけがその瞳に燃えていた。
「お前の力を貸してくれ、エリカ」
そうして、ファレルが言った。その意志の強さはエリカに伝わり、彼女もまた答えを返した。
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