第26話 降伏

 黒騎士ファレルによる降伏勧告を城方は受け入れた。

 議論の余地はなかった。ペリシテ軍は疲弊しきっていたし、総大将であるメラン卿も心を折られてしまっている。最後の一戦をしてのけるだけの意地もすでにへし折られていた。


 帝国の捕虜の扱いが控えめに言っても丁寧でないことは彼等も分かっているが、ここで玉砕しても何ら戦略的な意味がないことも理解している。

 ドロア城はペリシテ王国最大の要害にして最後の守りだ。ここが突破された以上はもはや王国の趨勢は決したも同然。これから滅びる国のために命を散らすのでは何の得もない。


 一方、唯一反撃を諦めていなかったウェルテナ傭兵団とその団長エリカは彼らのその決定に対して口をさしはさむことはなかった。

 傭兵は所詮傭兵だ。雇われた身である彼らには国を失うペリシテ兵の心を推し量ることは難しい。ましてや、一度挫けてしまった士気を立て直すことなど不可能だ。


 無論、エリカ個人としてはこのままファレルに一矢報いて華々しく散りたいという願望は捨てきれない。だが、彼女もまたウェルテナ傭兵団を率いる身だ。己の身勝手で団とペリシテ軍を巻き込むわけにはいかなかった。


 そうして、話し合いらしい話し合いもなされぬまま、夜明け前に本城の尖塔に白旗が掲げられた。


 降伏の使者が受け入れられ、本城の門が開け放たれると帝国軍は悠々とドロア城に入城した。

 八千ばかりの軍勢の先頭を進むのは、黒騎士ファレルとその配下のものたち。その精鋭に守られるようにして、攻め手の総大将第三皇女ユーリアは姿を現した。


「――っ」


 堂々と城の大広間を進むその姿にエリカは思わず矢筒に手をやりそうになり、どうにか堪える。

 ユーリアは美しい。同じ女の身であるエリカから見てもそれは認めざるをえないほほどに。それが余計に腹立たしく、妬ましい。その美貌のせいでかつての兄貴分が帝国に着き、敵に回ったのだとしたら到底許せるものではない。


 ユーリアは玉座の前で平伏するメラン卿の前で足を止める。彫像のように整った顔には何の表情も浮かんでいない。

 対するメラン卿は屈辱と慚愧に奥歯を噛みしめている。凄まじい葛藤を覚えながらも敗軍の将としての責務を全うしようとしていた。


「役目大義であった。約定通り、命は取らぬ。兵も離散を許す。ただし――」


 ユーリアが口を開く。麗しさと威厳を兼ね備えた声が大広間に木霊した。


「ウェルテナ傭兵団においてはその限りではない。その者たちの身柄は我が預かる」


 続く要求は城方の全員が初めて耳にするものだった。城兵は全員、離散を許すというのが降伏の条件だったはずだ。


「お、お待ちください! それではお話が――」


「我が騎士は、こう申したのだ。城兵は全員離散を許す、とな。城兵とはつまり城将たるそなたの配下。傭兵はその限りではない」


 やられた、とエリカはユーリアの側に立つ黒騎士をにらむ。確かに傭兵と配下の兵は違う。言葉遊びではあるが、降伏の条件には含まれていないと強弁されれば反論の余地はない。

 だが、エリカにとって真に腹立たしいのはユーリアの口にした我が騎士という呼び方だ。まるでファレルは自分のものだと言わんばかりのその態度にエリカの怒りはますます燃え上がっていた。


「た、例え傭兵といえど、ウェルテナ傭兵団は我らと共に――」


「構いません。我らが囚われることでお味方が助かるのなら、受け入れましょう」


 エリカは自ら進み出る。ユーリアとファレルへの怒りは別として団長である彼女の意はウェルテナ傭兵団の総意だ。ドロア城に勝利をもたらせなかった以上、味方のために最大限働くのが傭兵団の掟だ。


「女神殿……」


 メラン卿には発せられる言葉もない。礼を述べることさえおこがましい区、ただ深々と頭を下げた。


「では、決まりだな。この城は今より我がもの。城に残り、帝国の戦列に加わりたきものは申し出るがよいぞ」


 ユーリアはメラン卿の横を通り過ぎ、玉座に腰かける。その隣には黒騎士が影のように寄り添っていた。



「……ようやくだな」


 ユーリアは椅子に腰かけると深々とため息を吐く。

 かつてメラン卿の執務室であった部屋だ。この部屋をユーリアは仮の御所として定めていた。


「しかし、貧相な部屋だ。この椅子も固いし、調度品もない。こういうものなのか?」


「こういうものだ。というか、マシなほうだ。天井も無事だしな」


 ユーリアの愚痴に兜を取ったファレルが答える。

 実際、ファレルの策の甲斐もあって、ドロア城は比較的健在なままユーリアのものとなった。東門と正門の修築は必要だが、防御拠点としてはまだ機能しうるほどだ。


 力づくの城攻めではこうはいかない。たいていの場合、城が陥落する頃には城郭が半壊し、もはや使いものにはならなくなっている。このドロア城をできるだけ保全しておくことも二人の立てた戦略の一つだった。


「だが、休んでる暇はないぞ。オレは夜が明け次第出立してコタンの街を降伏させる。兵糧を供給したら――」


「一気に首都まで攻め落とす。敵が動く前に」


 わかっているならそれでいい、とファレルが頷く。いくつかの想定外はあったが、事態はおおよそ二人の計画通りに進行している。

 

 ペリシテ王国は元より小国だ。兵の数も少なく、領土も狭い。それでも辛うじて独立を保っていたのはドロア城が堅城であったためだ。

 この城が陥落すれば、王国の首都であるナポンまでは目立った防衛拠点はない。つまり、帝国軍の進撃を阻む者はいないということだ。


「帝都への使者は一応出しておいた。まあ、紛れ込んでいる間者が伝えているだろうがな。どちらにせよ、横やりを入れようにもその頃には首都は落ちている」


 問題はその速度だ。遅くとも一月以内に首都を落とせなければ、手柄の横取りを狙う帝都の勢力からの干渉は免れない。

 しかし、その点についてユーリアは心配していない。なにせ、侵攻軍を率いるのはファレルだ。ウェルテナ傭兵団を捕虜にした以上、もうペリシテ王国には彼と拮抗できるような人材はいない。一月どころか二週間もあれば、あっさりと王都を落とせるはずだ。


「……そう上手くいけばいいがな」


 一方、期待を寄せられているファレルの方は警戒心を解いていない。むしろ、ドロア城を陥落させた今こそ警戒を強めるべきだと彼の直感は告げていた。


 ドロア城の攻略そのものは上手くいった。ウェルテナ傭兵団とエリカを陥れたことには心が痛むが、必要なことではあったし、結果としては城も傭兵団も手中に収めることができた。

 多少の想定外はあったがうまくことは進んでいる。否、進んでしまっている。そう言った時こそ、落とし穴があるのだとファレルは知っていた。


「なんだ、珍しく自信がないのか?」


「そういうわけじゃない。だが、今日はもう休ませてもらう」


「わかった。言うまでもないと思うが、捕虜との面会はまだ許さんぞ。浮気は――」


 ユーリアの言葉を遮るようにドアが叩かれる。ユーリアが誰何《すいか)すると控えめな声で答えが返ってきた。


「ニーナです。その、お話が……」


「ああ、お前か。よいぞ、入れ」


 許可を得たニーナが入室する。彼女は兜をしていないファレルを見て気まずそうにするが、ユーリアはそんな彼女に「構わん」とだけ言った。

 ファレルは普段から兜をかぶり顔を晒さないが、彼自身やユーリアがそうすべきと判断した相手の前では気にせず素顔をあらわにしている。


 今回の戦でそれだけの価値をニーナは示した。彼女が影ながらウェルテナ傭兵団の魔術師たちの術を妨害していなければ、ここまで容易く城は落ちなかっただろう。


「それで、どうした? 何か変事か?」


「は、はい。その大したことではないと思うのですが……」


「いいから言え。お前の直感であれば聞く価値がある」


「で、では、申し上げます。少し前この城内でかなり強い念話が使われました。ほんの一瞬で、内容も聞き取れませんでしたが、かなりの遠距離にまで声を届けたかと……」


「念話? ふむ、帝都の間諜か?」


 ニーナの報告にユーリアは眉を顰める。帝国で魔術を積極的に使用するものは少ないが、間者が魔術を使えればこれほど便利なものもない。十分にあり得ることだ。


 一方、この報告はファレルにとっては全く別の意味を持った。

 この場において彼の身が知る事実。妹カトレアがユーリアの暗殺を画策しているという事実が、この情報に結びついていた。


 

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