第24話 離間の計

「――それで、首尾の方は?」


 湯船から足を投げ出したまま、ユーリアが尋ねた。

 帝都からわざわざ運んできた白磁の浴槽には湯が張られ、贅沢に薪が炊かれている。おかげで天幕の内部は蒸し風呂のような有様だが、ユーリアはお構いなしに寛いでいた。


 もちろん戦地で風呂など資源の無駄遣い以外の何物でもないが、ファレルもこの程度のことをいちいち責める気にはならなかった。なにしろ、相手は皇女ユーリアだ。倹約など鼻から頭にない。


「おそらく上々だ。でなきゃ、お前が暢気に風呂になんて入れてない」


「夜襲か。まあ、私でもそうする。そうできてないということは、上手くいったというわけか」


 ユーリアの頬がわずかに緩む。

 ファレルの策が的中したことはまず間違いない。それはつまり、彼がかつての仲間を本気で陥れようとしていることの証だ。勝つために、ひいては、彼女のために。


 それがユーリアには立っていられなくなるほどに喜ばしい。これ以上の慶事などこの世界にない、そう思えた。

 けれど、それを面に出すわけにはいかない。どれほど隠そうとしても彼の苦悩は消えていない。であれば、せめて冷徹な皇女として応えるだけの礼節は彼女もわきまえていた。


「……東門から撤退した時はさすがに肝が冷えた。よく兵をなだめられたものだ」


「アドワーズ騎士団の連中を使ったからな。あいつらは単純だが、その分、余計なことも考えない。オレの指示に忠実だ」


「連れてくるのを許して正解だった、というわけか」


 ユーリア旗下の黒百合騎士団の中でも元アドワーズ騎士団の面々は特殊な立ち位置にある。

 ファレルの直属であり、指揮権が彼にあることからも事実上の私兵といってもいい。通常の帝国軍の編成から考えれば狂気の沙汰ともいえる事態だが、今回はそれが幸いした。


 昼間の戦で、ファレルはその気になれば東門を陥落させることができた。いかに相手がウェルテナ傭兵団の参戦で士気を盛り返していたとはいえ、犠牲を覚悟で攻め続けていれば東門は落とせていただろう。

 その機会をファレルは己が策のために犠牲にした。傍から見ればむざむざ勝機を放棄したようなものだ。それこそ味方からの不信や疑いを招きかねない。


 だが、あの攻撃に用いたのはアドワーズ騎士団の兵だった。

 ファレルの言葉通り、彼等はファレルに忠実だ。ファレルの指示に疑義をさしはさむことはないし、退けと命じられれば即応するだけの実力はある。


 そこまでして策を進めたのは、ドロア城を最小限の犠牲で陥落させるためだ。

 確かにあのまま攻め寄せていれば東門は攻め落とせただろうが、そこまでだ。城方はあの時点で東門の奥にある内門に戦力を集中させつつあった。これでは東門を占拠できても城内に突入するにはさらなる戦力を投入せねばならなかっただろう。


 もしそうなっていれば、狭い東門での乱戦だ。数の有利を活かせなくなるうえに、ウェルテナ傭兵団による狙撃にも警戒しなければならない。

 であれば、一度退いてその時を待つ。ファレルは己の判断を疑ってはいなかった。


「では、今頃、例の傭兵団は囚われの身か」


「少なくともエリカ……団長は詮議を受けているはずだ。明日の戦場には出てこれないはずだ。その隙に――」


「一息に内門まで突破する。そうなってしまえば、敵の狙撃も意味を無くす。あとは丸裸の本丸を叩き潰すだけだ」


 湯船の中でユーリアは指先を見つめる。その指先でドロア城をすり潰すさまを思い描くと、背筋を暗い快感が走った。それが戦の愉悦によるものなのか、あるいは自分の知らない思い出を消し去ることへの執着なのかは彼女自身にも分からなかった。


 確かにウェルテナ傭兵団は強力な戦力だ。彼等が城に籠ればそれだけで攻め手は常に彼らを意識せざるをえなくなる。

 だが、どれだけウェルテナ傭兵団が強くとも彼らが戦場に出られないのならば存在しないも同然。ドロア城の守りは半減する。


 城方とウェルテナ傭兵団の分断、およびに内紛。この三日間、ファレルはそのためだけに行動していた。

 

 まず一日目、ファレルは密書を送りエリカと接触した。

 あの会合は内密ということになっていたが、実際は違う。あの時送った矢文はエリカの手に渡った一通だけではなく、城内の数か所に射込まれていた。

 

 それらは城兵によって回収されたものの、彼等には内容が理解できずただの敵から嫌がらせとして報告さえされなかった。しかし、その数日後、城内にある噂が広まったことでただの嫌がらせに意味が生じた。

 ウェルテナ傭兵団の団長が敵将と密通しているとの噂。あの矢文こそがその噂の証拠に違いないと誰かが言い出したのだ。


 最初はただのうわさに過ぎなかったそれが証拠に裏付けられたことで、明確な疑いに代わる。ファレルはたった一通の矢文で、エリカとウェルテナ傭兵団を策に絡めとったのだ。


 一度、疑いが生じれば、あとは容易い。それまでに仕込んでおいたありとあらゆる種が芽吹き、その疑いを増大させていく。


「……我が家臣ながら恐ろしいことだ。私の首もそのうち危なくなりそうだな」


「同じ策を思いついていながらよく言う。第一、城攻めのやり方を決めたのはお前だろう」


 ファレルの指摘に、ユーリアは微笑みで返す。

 この離間の計とも言うべき策を立案したのはファレルだが、細部を構築したのは全権を握るユーリアだ。

 

 前線での指揮など将としての適性はファレルに分があるが、こと政治的あるいは心理的な駆け引きにおいてはユーリアに一日の長がある。

 彼女は生まれたその日から陰謀と策謀の中に生きてきた。人を騙し、偽り、陥れるのは彼女にとっては息をするようなものだ。


 ユーリアはウェルテナ傭兵団への疑いを強めるために、日ごとに城攻めのやり口を変えた。


 まず一日目。この日は意図的に定石通りの攻めを徹底した。敵の配置と動きを確かめるためだ。この一日で、ファレルとユーリアはウェルテナ傭兵団を含めた城内兵力の分布を完璧に把握した。


 その情報をもとに二日目からの帝国軍は徹底してウェルテナ傭兵団との戦闘を避けた。あえて城を遠巻きにし敵の疲労と油断を誘った。帝国軍は決戦を避けたがっている、と敵に誤認させたのだ。


 そうして、その日の夜、ファレルは自ら兵を率いて城に夜襲を仕掛けた。城内に侵入してペリシテ兵だけを狙い、ウェルテナ傭兵団が現れるや否や素早く撤退した。

 この動きもまたウェルテナ傭兵団を音入れる策を補強するための布石だ。


 ただ事実だけを見れば、帝国軍は夜襲に成功し撤退したというだけのことだが、ひとたび疑いが生じれば違った見方がされる。

 帝国軍は味方であるウェルテナ傭兵団との交戦を避けた、疑い始めたペリシテ軍にはそう見えるようになる。


 さらに三日目、ウェルテナ傭兵団が昼の戦には出陣しないと踏んだファレルは東門に苛烈な攻勢を仕掛けた。

 煙玉と攻城兵器を併用し、一気に城門に迫るとこれを陥落寸前にまで追い込んだ。


 追い込んだうえで退いてみせた。敵から見れば不可解この上ない動きだが、そこに疑いの目を向ければ昨日と同じからくり見えてしまう。帝国とウェルテナ傭兵団には何らかの密約があるのだ、という疑念はもはや拭いきれない。


 そうして、膨れ上がった疑いは城の守りに致命的な隙を生じる。あとはその隙を突くだけだ。


「明日の攻撃もオレが指揮する。夕方までにはあの城はお前のものだ」


 それだけ言って、ファレルはユーリアに背を向け、天幕を後にする。その背には何の感情もにじんでいないように見えるが、ユーリアには彼の苦悩と己自身への激憤が手に取るように分かった。


「……私が欲しいのは、城ではないよ。ファレル」


 すべてを分かったうえで、ユーリアは叶わぬ夢を口にする。国一つを平らげる力を持っても人の心はままならない。

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