第23話 疑惑

 最初に違和感の正体に気付いたのは、エリカだった。


 日没まで東門を守り切ったウェルテナ傭兵団は生き残った守備兵に後を任せて、一旦、城内へと引き上げた。

 昼間の戦いの激しさを考えれば夜襲は考えにくい、ならば、明日に備えて休むべきだと考えての判断だ。


 普段ならば、ウェルテナ傭兵団が帰還すれば城兵達は彼らを出迎える。望んだことではなかったが、傭兵団がそれだけ城内において慕われているという証左だった。

 その出迎えが今日に限ってなかった。城兵達は傭兵団を遠巻きにするだけで、誰一人として近寄っては来なかった。


 次に起きたのは、主将たるメラン卿の態度の変化だ。いきなり邪険に扱ったり、無視を決め込むようなあからさまなものではないが、エリカからの報告を聞いた彼の態度はこれまでと何かが違っていた。

 繕った笑顔の奥にある腫れ物に触るような、あるいは見たくないものを遠ざけるような棘をエリカの直感は見逃さなかった。


 これだけの兆候があれば、結論を出すのは容易い。この違和感、ウェルテナ傭兵団に向けられている感情とは、疑念だ。


 強い疑いと不信がウェルテナ傭兵団に向けられている。これは昨日までは全くなかったものだ。

 無論、兵の中には傭兵そのものを信じられないものも少しはいただろう。だが、ここまで強い負の感情をこの戦場で受けたのは初めてのことだった。


 何かが起きている、いや、起きてしまった。エリカが見落としていた何か、あるいは彼女の意識外で進行していた何かが実を結んだのだ。

 問題はその何かがどれほど致命的かということ。場合によってはこの戦の将はすでに決しているのかもしれない。


「……団長、様子が変です」


「わかってる。でも、慎重に動いて」


 遅れて、古参の兵士たちが状況を把握する。自分たちが何らかの罠にかかっているならば、むやみに動くべきではない。


 すぐにエリカの意を受けた古参の兵士たちが傭兵団全体を落ち着かせる。彼らはできる限り動揺を表に出さないようにしながら、与えられた詰め所に戻った。

 

 その後、エリカを含めた数人だけが信頼できる城兵に接触し、情報収集を行い、すぐに事態は明らかになった。


 すべての発端はある噂だ。昨夜あたりから城内に『ウェルテナ傭兵団は敵将と関わりがある』という噂が流布されていたのだ。

 問題は、その噂が事実無根ではないことだ。


 確かに、ウェルテナ傭兵団は敵将と、それも黒騎士と浅からぬ関係にある。今は敵味方に分かれているが、家族と言ってもよい。

 だが、そのことはエリカ以外は知らないはずだ。総大将であるメラン卿にさえ黙っていた。


 であれば、情報が漏れたのは別のところからだ。事実を知るのは、エリカともう一人は――、


「……まさか」


 その考えに至った瞬間、エリカの中に二つの矛盾した思いが生じた。


 一つはかつての兄貴分への信頼。彼は策士で、戦士ではあったが信義を重んじる人物だった。そんな彼がこんなある意味な策をとるなどとは信じたくなかった。

 もう一つは、噂の黒騎士ファレルならば勝つためにそれだけのことをするという確信だ。あの時相対したファレルの瞳にはギラギラとした黒い輝きがあった。


「………いえ、相手のことを考えても仕方ない」


 そうして思考の迷路に落ち込みかけたエリカだが、すぐに考えを転換する。

 このうわさが敵の策かどうかは考えても答えは出ないが、何をすべきかは明らかだ。


 今、城内に蔓延しているのはウェルテナ傭兵団への疑念だ。疑いは厄介なものだが、晴らすことができる。信頼を取り戻すことさえできれば、戦況を五分に戻すことも可能だ。


 そのためにはまず、メラン卿を説得せねばならない。彼も噂を聞き及んではいるようだが、まだそれを表に出さないだけの分別が働いている。言葉を尽くせば再び信頼を得ることも不可能ではない。


 まず真実を話す。隠していたことを咎められるだろうが、そうせざるをえなかったことは理解してもらわねばならない。


 しかし、エリカの予想よりも早く敵の策は城の守りを蝕んでいた。


「メラン卿に火急の用がある。通してくれ」


「……ここはお通しできません。卿は現在、就寝中です」


 メラン卿の執務室を尋ねようとしたエリカを衛兵が阻む。通常の手はずの通りだが、その態度にはやはりいささか以上の険があった。

 

「火急の用だと言った。通せぬまでも取次はしてもらうぞ」


「……それもできません。どうかご理解を」


 なおも食い下がるエリカだが、衛兵たちには取り付く島もない。いくら疑われているとはいえこの対応は妙だ。

 直接メラン卿に談判できないとなればできることは限られてくるが、潔白を証明しなければ明日からの戦いは厳しいものになる。


「……押し入るのは逆効果ね。となれば……」


 詰め所へと戻りながらも、エリカは必死で思考を巡らせる。


 敵がこの状況を作ったことはもはや疑う余地はない。であれば、こちらの取る手も予想されていると考えるべきだ。並大抵の策では戦況を覆すことはできない。

 となれば、あえて危険を冒す必要がある。失敗すれば余計に疑われることになるが、成功すれば味方の不信を拭うだけでなく敵の士気を挫くこともできるだろう。


「……こっちから夜襲を掛ける。それしかない」


 そうと決まれば、話は早い。できれば、メラン卿から直接許可を取り付けるべきだが、事態は一刻を争う。誰かに言づけておけば十分に事足りる。


 詰め所へと戻ったエリカは、傭兵団に向けて状況の説明とこれからとるべき方策について説明した。

 自分たちが疑われたと知っても、ウェルテナ傭兵団に動揺はなかった。彼等は傭兵だ。今回のように味方から好意を寄せられることの方が特例であり、疑われ不信を向けられる方が彼らにとっては普通だ。


 無論、それを挽回する方法も彼等は熟知している。戦場において戦果は言葉よりもはるかに雄弁だ。


「いい? 襲うのは兵糧庫よ。少しだけ奪ってあとは全部燃やす。欲を出して遅れるようなら、置いていくわ」


 エリカの命令に、傭兵たちが「応」と答える。闇に溶け込むように甲冑をあえて汚し、頭には黒いぼろ衣を被っていた。


 夜闇に潜んでの奇襲はウェルテナ傭兵団の得意とするところだ。時には敵軍の死体から甲冑をはぎ取り、それを着て敵陣の後方に潜入したこともあった。

 無論、相手はあの黒騎士だ。当然その程度のことは予想しているだろうが、予想していても防げない攻撃というものはある。


 兵糧が敵陣の後方に集積されていることは掴んである。位置さえ分かってしまえば、そこまで見つからずに進むことはそう難しくはない。

 ましてや、ウェルテナ傭兵団には数人だが魔術師が所属している。彼等の援護があれば一方的夜闇を見渡すことも可能だ。


 少数精鋭であることを鑑みても、夜襲であればウェルテナ傭兵団に利がある。完璧な策とは言えないが、この状況を変える為には必要な一手だ。


 しかし――、


「エリカ・ウェルテナ!」


 その声が響いたのはウェルテナ傭兵団が夜襲に出撃する直前のことだった。

 叫んだのは、物々しく甲冑に身を包んだペリシテ兵たちだ。彼等は剣呑な空気を纏い、詰所の出口に立ち塞がっていた。


「……何用だろうか」


 ただ事ではない警戒する傭兵たちをかき分けて、エリカは兵士たちと向かい合う。

 何人かは剣の柄に手を掛けている。幸いにも、兵を率いている騎士はいくらか冷静なようだが、それでもその瞳には微かな敵意があった。


「ウェルテナ傭兵団団長、エリカ・ウェルテナ殿。我らと同行していただく」


「……我らはこれより敵に夜襲を掛けるところだ。どのような用件であれ、あとにしては頂けまいか」


「いいや、駄目だ。今すぐ同行していただく。貴方には敵との内通の疑いが掛かっているのだから」


 毅然とした口調で、騎士が言った。

 その一言でようやくエリカは黒騎士ファレルの恐ろしさを真の意味で理解した。何もかもがこの時のためだったのだ。



 

 

 

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