第22話 三日目の戦い
夜襲の後、ウェルテナ傭兵団は夜を徹して城壁を見張った。
こういった無理が後にたたることは重々承知の上だが、黒騎士自らが襲撃部隊を率いているのであれば対処できるのはエリカと傭兵団の手練れだけだ。ペリシテ兵ではいたずらに犠牲を出すばかりなのは、一度目の奇襲でたった一分足らずで二十名の兵士が切られたことからも明らかだった。
昨夜の夜襲において、帝国軍は特性の煙玉と城壁登攀用のロープ付きの
これで二度目の夜襲は防ぐことができる、戦場に変化が起きたのはそう安心した矢先のことだった。
「――団長! 総大将から援軍要請です! 東門が陥落寸前です!」
ウェルテナ傭兵団の詰め所になっている城の一角に伝令が飛び込んできたのは、昼間のことだった。
昨夜、寝ずの番を買って出たウェルテナ傭兵団は城将メラン卿から今日の出陣は見合わせるように命令を受けていた。
主力であるウェルテナ傭兵団を温存するためだ。エリカも帝国側は昨日と同様消極的な攻めに徹すると予想し、この策に同意した。
実際、そのエリカの予想は午前中までは的中していた。
朝の開戦当初、帝国軍は昨日と同じ包囲陣形を敷いていた。そのままじりじりと包囲を狭め、各門に対して散発的な攻撃を行う、はずだった。
「直接その場所に向かうわ! 歩きながら説明して!」
「は、はい!」
跳び出すようにしてエリカは詰め所を出る。万が一に備え、甲冑を着たまま仮眠をとっていたのが幸いした。あのファレルが二日も同じ手を使うとは思えない、そんな微かな引っかかりがあったのだ。
慌てて仮眠をとっていた傭兵団のものたちが追従する。彼等も歴戦の勇士だ。臨戦態勢に入るまで数分と掛からなかった。
「て、敵はまず昨日と同じように仕掛けてきました! そ、それで……」
「落ち着いて。それでどうしたの?」
伝令にそう促しながらも、エリカは足を止めない。矢筒から矢を引き抜き、弓に番えた。
「ひ、昼前になって、敵の動きが変わりました。中でも黒い騎士が率いる隊の勢いはすさまじく、先ほど城壁に取りつかれました」
「……矢での迎撃は?」
「それは……やっているのですが、敵が煙にまぎれて効果が薄く……」
「……そう使ってきたか。まあ、当然といえば当然ね」
城壁に取りついた部隊を率いる黒い騎士とはまず間違いなく、ファレルだ。手を変え品を変え、毎回こちらの意表を突く手腕には感心したくもなるが、それを顔に出すわけにはいかなかった。
「昇ってくる兵は少ないはず。ここを押し返せば門は守れるわ。援軍は無用だと総大将殿に伝えて」
「りょ、了解しました」
「団長!」
わずかに速度を落とすと、ちょうど準備を終えた傭兵団の面々が追い付いてくる。指示するまでもなく彼らは白兵戦を想定した装備をしていた。
エリカたちウェルテナ傭兵団が東門に到着した時、戦況はまさに佳境という状況だった。
攻城櫓が城壁に取りつき、昨晩の倍ほどの数の敵兵が城壁の上に登っている。味方は階段まで追い詰められ、ここを突破されれば東門は裏側からこじ開けられてしまう。
混沌とした戦場で、エリカは咄嗟に
「全員突っ込むぞ! 敵を押し返せ!!」
恐れを振り払い、エリカは大音声を張り上げる。ウェルテナ傭兵団の面々が雄たけびで応えると、押されていた味方も士気を盛り返した。
黒騎士は恐るべき策士であり、卓越した戦士でもあるが、この場におけるエリカとウェルテナ傭兵団はさらに凄まじい。重傷を負ったものでさえ、彼女たちの参戦に奮い立ち、戦いに戻っていた。
エリカ自身も後方から弓で味方を援護する。敵は重装歩兵を前面に押し出してきているが、エリカの腕前ならば甲冑の隙間を射貫くのも容易い。
ウェルテナ傭兵団の奮戦によって、数分足らずで戦況が変った。取り付いた攻城櫓も側面からの攻撃で炎上している。
このままであれば東門を守り通せる、そんな楽観がエリカの脳裏を過る、その瞬間だった。
「――っ!?」
背筋の凍るような殺気に、エリカの体が反応する。直感に任せて、弓を盾にした。
直後、斬撃が走る。衝撃に骨が軋み、一瞬呼吸が止まるが、古樹の弓はそのしなやかさで刃を受け止めていた。
「――よく受けた」
斬撃を放ったのは、やはり
鍔迫り合いから伝わる力に、エリカはファレルの本気を感じる。彼は容赦なくエリカの命を狙っている。
「このっ!」
押してくる力を利用して、エリカはファレルとの位置を入れ替える。同時に放った矢は容易く弾かれるが、間合いは開いた。
ファレルの剣技の腕前は良く理解している。正面から戦うほどエリカは愚かではない。
「団長!」
すぐさま傭兵団の兵士がエリカの周りを囲む。皆、歴戦の古強者だ。いかにファレルが武勇に秀でているといっても、短時間での突破は難しい。
戦況が城側に傾いている以上、時間はエリカの味方だ。
「……ここで黒騎士を仕留める。『狼の牙』をやるわ」
エリカの指示に、兵士たちも覚悟を決める。
彼等は黒騎士の正体を知らないが、その実力は昨夜の夜襲で目にしている。彼等が手練れと言っても犠牲は避けられない。
狼の牙とはウェルテナ傭兵団に伝わる戦闘技術の一つで、参加する団員が狼の群れのように協同することで得物を追い込み、仕留めることからこの名が付いた。
「オオオオオオ!」
まず仕掛けるのは、前衛の二名。槍を構えた彼らの役目は敵の退路を断つことだ。
突き出された二本の槍、その穂先が宙を舞う。
ファレルはかつてウェルテナ傭兵団に所属していた。当然、狼の牙についても、その対処法についても熟知している。
だが、ファレルには二年の空白がある。その間もウェルテナ傭兵団はその戦術を進化させてきた、狼の牙もより鋭く変化している。
二段目の左右からの斬撃、それと同時にエリカは矢を番える。ファレルならば必ず二段目の攻撃をかわすはず。かつての狼の牙らならばそれで終わりだが、今は三手目がある。エリカならば、回避した隙を狙い撃つ程度容易いことだ。
予想通り迫る斬撃をファレルは紙一重でかわす。反撃のために生じたわずかな隙。その針の孔ほどの刹那を、エリカは見逃さなかった。
「――なっ!?」
だが、その矢が標的に届くことはない。
ファレルが防いだのではない。エリカの矢を阻んだのは、大楯を構えた奇妙な
「殿下! ご無事で!」
「ああ、よくやった! だが、殿下と呼ぶな!」
すぐにエリカはファレルが兵を伏せていたのだと気づく。
当然と言えば当然だ、今のファレルは一介の傭兵ではなく一軍を率いる将。供回りがいないはずがない。離れたから二年間のウェルテナ傭兵団をファレルが知らないように、エリカもまたファレルの人生のすべてを知っているわけではなかった。
それでも、弓を放つ指先がかすかに強張らなければあるいは――、
「ここで退く! 合図を出せ!」
「はっ!」
二度目の機会が訪れるより先に、ファレルの指示で帝国軍は後退を始める。ここまで攻め込んでおきながらの徹底は珍しいが、不利と見ればあっさりそうしてみせるのがファレルという将の強みだ。
一方、エリカはすぐには動けなかった。己の内にあった僅かな迷い、それがもたらした結果が彼女を縛り付けていた。
そうして、ドロア城をめぐる戦い、その三日目が終わる。戦の大勢が決したのは、その日の夜のことだった。
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