第21話  夜襲

 明けて、十の月の四日、帝国軍は前日の猛攻が嘘かのように消極的な攻めを見せた。

 ウェルテナ傭兵団の配置された正門を避けるようにして、南門と西門に兵力を集中し、攻城櫓も含めた兵器の類は後方に下げられていた。


 侵略戦を得意とする帝国軍にはしては目的の見えない曖昧な攻撃だ。結局、この日一日、帝国軍は大きな戦果をあげることができないまま日没を迎えた。


 もっとも、明確な成果を上げられなかったのは城に籠るペリシテ王国側も同じだ。頼みのウェルテナ傭兵団も敵が交戦を避けたことで敵将を狙撃することもできず、ほかの部隊も城を出て攻勢に転じることはできなかった。

 結果として、城方は一日目に比べ戦死者は少なく済んだものの、貴重な矢を多く消費することとなった。


 そうして、戦の中断される夜、エリカ・ウェルテナは自分たちが黒騎士ファレルの術中に陥っていることに気付いた。


「……矢の消費量は?」


「うちらはほとんど撃ってませんが、城全体では昨日の二倍近く撃ってますね」


 参謀からの予想通りの答えに、エリカは奥歯を噛む。

 彼女の持つ権限でどうにかできることではないが、もう少し早く気付いていれば、そんな悔恨は拭えなかった。


「団長? どちらへ?」


「総大将殿のところよ。それと、敵はたぶん夜討ちを仕掛けてくるから警戒させておいて!」


「りょ、了解!」


 そう指示を飛ばして、エリカは足早に総大将を探す。この時間であれば大広間で兵士たちと食事を共にしているはずだが……、


「メラン卿!」

 

 兵士たちの中心に総大将の姿を見つける。それなりに酒が進んでいるのか、顔は赤らんでいた。


「おお、女神殿! どうしたのかな、血相を変えて」


「夜襲の可能性があります。それと、敵の作戦が読めました」


 他の兵士たちに聞こえないように声を潜めて、エリカはメラン卿に要件を告げる。赤らんでいた彼の顔から血の気が引き、戦士の表情になった。

 二人はそのまま他の兵士たちに悟られないように、大広間から出る。今まさに敵に襲われているならまだしも、今の段階では兵士たちには情報を伏せておかなければならない。


「……夜襲か。本当に帝国がそんな手を取るのか?」


 人気のない通路に出たところで、メラン卿が尋ねる。


「敵の将はそういう将です。普段の帝国軍だとは思わない方がいい」


「……わかった。警戒を厳としよう。それで、敵の作戦と言うのはその夜襲のことなのか?」


 首を振るエリカ。

 正面切っての会戦を得意とする帝国軍が夜襲をするだけでも珍しいことだが、敵軍を率いているのはあのファレルだ。すべての行動に何らかの意図がある。


「昼間の戦いの狙いは、こちらの消耗です。攻城戦だというのに軍を動かし続けたのはこちらに矢の消費を強いつつ、自分たちの損害を減らすためです。事実こちらは敵に振り回されて、昨日の二倍も矢を使わされてしまった……」


「なるほど……では、敵の狙いは持久戦か? こちらが弱り切るのを待ってそこを一気に潰す気なのか?」


「いいえ、こちらにそう思わせるのが狙いなのです。こちらが長期戦を考えれば、警戒が緩む。その隙を突いて夜襲を敢行する、というわけです」


「……敵はかなりの策士だな。君が気付いてくれなければ敵の術中にはまっていたところだ」


 メラン卿は笑顔を浮かべると、エリカの肩に手を置く。彼はエリカに全幅の信頼を寄せていた。

 

 だからこそ、エリカは迷う。

 敵の策をここまで正確に予想できるのは敵将の黒騎士、ファレルとの関係があってこそだ。彼の思考の癖、作戦の傾向を理解していなければ彼女もまた敵の術中にはまっていただろう。

 問題は、その事実をメラン卿に対して告げるべきかどうか。敵将との友好関係など傍から見れば疑いの種でしかない。かといって、黙っているのは信義に反する。どちらを取るべきかは聡明なエリカにも分からなかった。


「女神殿? どうされた?」


「……いえ、なんでも」


 結局、エリカは黙っていることを選んだ。それが正しいことかはわからないが、今メラン卿に余計な疑念を抱かさせるべきではない、と判断したのだ。


「団長! 敵です!」


 その答えが出ないうちに兵士が駆け込んでくる。予想通り、夜襲の報せだ。


「敵は十中八九、少数。私たちと見張りの兵で対処できます。総大将殿はどうか、お戻りを」


「分かった。女神殿にお任せする」


 夜襲を受けたとなれば、軍の士気に多少なりとも影響が出る。兵士たちを休める為にも最低限の兵力で対応できるならばそれに越したことはない。

 

 襲撃を受けたのは、東門。昼間の戦で唯一攻撃を受けていない場所だ。


「灯を絶やすな! 応戦はしなくていい! 矢は打つな!」


 すぐさま駆け付けたエリカが指示を飛ばす。当初は混乱していた兵士たちだが、彼女の声が響くとすぐに統制を取り戻した。

 

 夜陰に紛れて行動する以上、夜襲に動員できる兵力には限りがある。当然、攻城櫓や破城槌のような兵器も使えない。

 城攻めに重要なのは兵力と兵器。夜襲を行ったところで期待できるのは、相手へのいやがらせくらいのものだ。


 しかし、その嫌がらせも馬鹿にならない。兵力は少なくとも、城方は攻撃に対しては対応せざるをえないし、それが連日続けば兵の士気は著しく下がっていく。効率よく対処する必要がある。


「火矢だ! 燃え移る前に消火しろ!」


 エリカの予想通り、夜襲の部隊はせいぜいが百人ほど。遠巻きに火矢を射かけてこそ来るが、積極的に攻めてはこない。

 見張りの兵はわずか五十人足らずだが、城壁の上からならば十分に対処は可能だ。


「――これだけじゃないでしょ、アニキ」


 だが、エリカの直感はこれで終わるはずがない、と告げている。あの副団長ファレルがこの程度の相手のはずがない。


「っ!?」


 その直感はすぐに実現する。

 兵士の一人が消火のため水を掛けた瞬間、周囲に煙が充満する。煙幕だ。一時的に城方は何も見えなくなった。


「ぐぁっ!?」


 煙が晴れるより先に、悲鳴が上がる。混乱の最中、数人の兵士が切り殺された。

 

「味方同士、背中合わせになれ! 互いを守れ!」


 事態を察して、エリカが叫ぶ。

 どんな方法を使ったかわからないが、数人の敵が城壁の上に上がっている。その敵が味方の兵を襲っているのだ。


 であれば、煙が晴れるまでは味方同士背中を預け合うしかない。その点で言えば、エリカの指示は的確だ。彼女はこの状況で救えるだけの命を救った。


 十秒もしないうちに煙が晴れる。そこには惨状が広がっていた。


 切り殺された無数の味方、彼等の流した血が滴り、城壁を赤く汚している。ウェルテナ傭兵団の手練れはどうにか生き残っていたが、ペリシテ兵はそのほとんどが討ち取られていた。

 そんな屍山血河の中心に立つのは、件の黒騎士ファレル。周囲には同じく黒装束の兵士が控えていた。


「っ討ち取れ! 敵将だ!」


 一瞬の惨劇に、歴戦の兵士さえも怯む。すぐさまエリカが発破をかけるが、それでも踏み出すものはいない。それほどまでに黒騎士の発する威圧感は強烈だった。


 エリカ自身も恐れを感じている。初めて敵に回したファレルの姿に彼女の弓手は微かに震えていた。


「くっ!」


 恐れを断ち切るように、エリカは二本の矢を番える。

 彼女が得意とする二重の矢だ。時間差で飛来する二本の矢は例え一本目を防がれたとしても、必ず標的を仕留める。


 エリカが指を放す、それと同時に黒騎士が踏み込んでくる。黒騎士は剣で一本目の矢を切り落とすが、すぐに二本目の矢が兜ごと騎士の頭部を射貫く、はずだった。


「――見事だ。エリカ」


 黒騎士の足が止まる。彼の左手には二本目の矢が握られていた。

 彼は時間差で飛来する二本目の矢をかわすでも、防ぐでもなく、空いた左手で掴んでみせたのだ。


 簡単なことではない。並外れた度胸と武勇があってこその技だった。


「今日はここまでだな」


 エリカが二の矢を番えるより先に、再び発生した煙がファレルの姿を覆い隠す。煙が晴れた時、黒騎士の姿はそこにはなかった。


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