第20話 王子と傭兵

 その夜、ファレルはテレサさえ連れずに待ち合わせの場所を訪れた。

 監視の目もなく、本当の意味で一人になるのはひどく久しぶりのことだった。


 待ち合わせ場所である砦跡には月明かりが射している。秋の夜風は冷たいが、どこか心地よかった。

 ファレルは瓦礫の上に腰を下ろし、兜を外す。これから会う相手にこの欺瞞は必要ない。


「……来たか」


 足音が響く。接近を告げつつ、敵意がないことを示すため足音の主はあえて響かせていた。

 そうして、数秒もしないうちに彼女は姿を現す。銀色の髪も、褐色の肌もかつてと同じままだが、その表情だけが以前と違っていた。


 怒りと悲しみ、大きな困惑。団長として経験と苦労を重ねたその顔にはそれらがない交ぜになっている。


 思わず歯噛みしそうになる自分をファレルはかみ殺す。

 かつての家族にそんな顔をさせてしまっている己の咎とそれすらも策の一部として利用しようとしている性がひたすら憎らしかった。


「よう、エリカ」


 そんな内心をおくびにも出さず、ファレルはあえてかつての通りに声をかける。

 それを聞いてエリカの顔に微かに喜色が浮かぶが、すぐに怒りの表情に変わった。


「何が! 『よう』よ!」


 エリカは背負っていた弓を一瞬で構え、矢を番えた。その鏃はファレルの額に向けられている。

 

 ファレルが傭兵団を去った経緯、また現状を考えれば当然の反応ではある。しかし、一軍の将として考えれば軽率な行動だ。


「おいおい、そりゃないだろ。これが和議なら一発で破談だぞ」


 そんなエリカに対して、ファレルはかつてのように兄貴分として接する。

 二年間団長を務め、それなりの修羅場を越えてきたとしても生まれついての性格はそう簡単には変わらない。その点で言えば、ファレルはすでにこの会談の主導権を握っていた。


「うるさい! 裏切者と話すことなどない!」


「裏切者? オレは団を去っただけだ。裏切者呼ばわりされる筋合いはないぞ。それとも、お前の代になってから去るもの追わずの規則は消えて、去る者は射殺せに変わったのか?」


「ち、違う! でも、何も言わずに去るような奴は裏切り者と同じだ! 父さんの葬式にだってでなかったくせに!」


 ぎりぎりと弓の弦が絞られる。怒りと悲しみに離れそうになる指を情の楔が縫い留めていた。


「待て。団長は亡くなったのか? 本当なのか?」


「父は二年前に病で死んだ! 今はわたしが団長だ!」


 エリカの返答にファレルは「そうか」と頷き、天を仰いだ。演技もあったが、それ以上に団長の死に驚いていた。

 一度矛を交えた時点で代替わりは予測はしていた。そうでなければエリカに対して矢文など送らなかった。


 だが、団長は引退したのだ、とファレルは考えていた。いや、思い込もうとしていた。確かに団長は病を患っていたが、それが命に障るものだとは思ってもみなかった。


「……すまなかった。裏切者呼ばわりも致し方ないな」


「っそうだ! アンタさえ、アンタさえ……」


 言葉ではファレルを責めながらも、張り詰めた弦は少しずつ緩んでいく。一切、言い訳しないファレルを容赦なくなじることはエリカにはできなかった。

 それが例え、家族を、自分を捨て姿をくらました憎らしい兄が相手でも。


「……団長の最期は、どうだった?」


「……団を抜けたアンタには関係ない話よ。それより、あんたこそこんなところで何をしているわけ?」

 

 エリカはゆっくりと弓を下す。怒りが完全に収まったわけではないが、相手の言い分を聞ける程度には頭が冷えていた。


「…………団長は、オレの素性を話したか?」


「話してない。父さんがそういう人だってのはアンタだってわかってるでしょ」


 生前のエリカの父、カリードはファレルが素性を明かした際、秘密は守ると請け負った。彼は己の言葉を違えない人物だった、文字通り、秘密を墓場まで持って行ったのだ。


「なら、オレから言えることは選択肢はなかったということだけだ。団を去った時と同じで望んでこの地位にいるわけじゃない」


「……どうだか」


 ファレルが天性の野心家であることはエリカも知っている。

 だが、野心のためだけに帝国に着いたとは思えない。それも噂に聞く第三皇女の懐刀、黒騎士の正体がかつての兄弟分だとはこうして目の前にしても信じたくはなかった。


 けれど、事実は事実だ。エリカはどうにかそれを呑み込み、初めてファレルと目を合わせた。


「……オレはお前たちと戦いたくはない。団を離れてもウェルテナ傭兵団はオレにとっては故郷だ。二度も故郷を失いたくないんだ」


 ファレルの瞳に嘘の色はない。彼は本心からの言葉を口にしている。

 エリカにもそれは分かっている。湧き上がる安堵や喜びを押し殺し、ウェルテナ傭兵団の団長としてこう答えた。


「……なら、こっちに降ればいい。下っ端でなら雇ってあげてもいい」


「そうできたらいいんだがな。生憎と、オレも背負ってるものがあるんだ」


 そう答えるファレルの姿は、エリカの知らないものだ。

 彼女の知るファレルは常に自信に満ちていたが、今の彼は違う。荒波に削られた岩のように、より鋭い気配を纏っていた。


 それだけで団を離れてからの二年間がファレルにとってどのようなものだったか想像できる。おそらく容易ではない死線をいくつも切り抜けてきたのだろう。


「今回の戦から手を引け。その後のことはオレが責任を持つ」


「……かつての副長殿とは思えない言葉ね。ウェルテナ傭兵団うちらの掟も忘れたわけ?」


「いいや、覚えている。その上で、こうして頼んでるんだ。オレはお前たちを殺したくない」


 その言葉にも嘘はない。彼は本気でウェルテナ傭兵団を慮っている。

 実際にファレルにはそれだけ能力がある。彼が本気で帝国軍を指揮すればウェルテナ傭兵団を壊滅させることもできるだろう。


 エリカもそれを理解している。ファレルの戦上手ぶりを彼女は戦場で嫌と言うほど見せつけられてきた。

 

「――上等よ」


 だからこそ、退くわけにはいかない。

 今、ウェルテナ傭兵団を率いているのは、エリカだ。ファレルがどれだけ団員に慕われていても、父が彼を後継者に選ぼうとしていたのだとしても、この二年間を戦い抜いたのは彼女だ。


 その自信が今のエリカにはある。かつては背中を負うことしかできなかった憧れの相手に正面から向かい合うこともできる。


「わたしも、傭兵団も戦場ここから引き下がることはない。、例えアンタが相手でも、最後まで戦う」


「……そうか、残念だ」


 ファレルはそう言うと深く息を吐き、おもむろに立ち上がる。その瞳には冷徹な光が浮かんでいた。

 エリカを敵として認めたのだ。戦場で会えばもう容赦はしない、とその光は告げていた。


「…………こっちが勝ったら、捕虜くらいにはしてあげる」


「悪くない。こっちが勝ったら、そうだな。お前たちをもらうとしよう」


 ファレルの言葉の意味をエリカは理解できない。しかし、彼が時折こういった言動をすることは経験として知っている。

 そういう場合は大抵、自らの策を元に相手を揺さぶり、行動を制限するためだともファレルは言っていた。


 やはり、今の自分はあのファレルに敵として見られている。そのことがカレンには悲しく、それ以上に嬉しくて仕方がない。憧れていた背中にようやく追いつけたのだ、と。


「……決裂だな」


「ええ、決裂よ。でも――いえ、次は戦場で会いましょう」


 その先を口にしようとして、エリカは口を紡ぐ。そのまま去っていく背中を彼女は見送った。

 今や、かつての憧れは倒すべき敵となった。ならば、情を掛けてはいけない。それが敵に対するせめてもの礼儀だ。

 ましてや、『また会えてよかった』など口裂けても言えるはずがなかった。



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