第19話 攻城戦

 翌日、戦端を開いたのは、帝国側だった。

 労せずにドロア城を包囲した帝国軍は城の正門と西門に同時に攻撃を仕掛けた。


 正門側の攻撃を指揮するのは総大将、第三皇女ユーリア本人。対する西側の攻撃は黒騎士ファレルが担当し、攻城兵器を投入して双方向から強烈な攻撃を仕掛けた。


 対するペリシテ軍は、定石通り城壁からの反撃に徹した。絶え間なく矢を射かけ、城壁を登ろうとする兵士たちを残らず撃ち落としてみせた。


 その間もウェルテナ傭兵団は兵を率いる将を的確に狙い続けたが、この日、彼らの矢が標的にあたることはなかった。

 大盾を構えた重装兵が指揮官の周囲を固めていたためだ。個々人の練度こそ大したものではなかったが、巧みな配置で見事に狙撃のための死角を塞がれてしまった。


 そうして日が暮れ、一日目の戦が終わる。結果として、帝国軍、ペリシテ軍双方痛み分け。決定的な戦況の変化はなく、両者ともに順当にをすり減らすことになった。


 この資源とは、兵力、矢の残数、兵糧の備蓄、前線で戦う兵士たち士気それら全てを複合したものを指す。大抵の場合、城攻めとは攻める側も、守る側もこの資源をより多く確保することが肝要になる。


 現状においては、攻める帝国側も、守るペリシテ側もこの資源を補填するあてはない。双方ともに持てる戦力で戦い抜くほかなかった。


「――皆、よく戦ってくれた!」


 月が中天に昇る頃、ペリシテ軍総大将ミケラス・メランは居並ぶ兵士たちにそう声をかける。

 彼の右手には酒杯があり、兵士たちもそれぞれ酒瓶を手にしていた。


 夜の食事だ。城の広間にはわずかな見張りの兵を除いてほぼすべての城兵が集められている。彼等の前には十分な量の食事も用意されており、総大将の言葉を今か今かと待ちわびていた。


 資源の節約だけを考えれば、食事もできるだけ簡素なものにすべきだ。

 しかし、それでは兵の士気は下がっていくばかり。将たるものこれを軽視するわけにはいかない。


 他の資源が限界を迎えても戦いそのものを継続することが可能な場合はあるが、士気ばかりは一度底を突けばどうにもならない。例え城が健在でも軍は脆く崩れ去る。


 その士気を維持するために重要なのが食事だ。調理のための薪も限られてはいるが、暖かな食事に勝る士気高揚の材料はそうはない。

 緒戦で負けているからこそ、今日の食事は重要だった。平素からの蓄えもあって、兵に振舞う酒も十分にあった。


「特に、ウェルテナ傭兵団の面々はよく戦ってくれた!  緒戦も、以前の戦もそうだが、見事だ! 女神ヴィクトリエ殿!」


 総大将に呼ばれ、ウェルテナ傭兵団団長、エリカが立ち上がる。彼女が杯を掲げると、それを待っていたかのように大広間全体が歓声に揺れた。

 揺れが収まるのが待ってから、エリカは頭を下げて、着席する。必要なこととはいえ、このような役割は性に合わなかった。


 前回の第三軍との戦以来、ウェルテナ傭兵団は外様でありながらペリシテ王国軍の士気の柱となっている。特に敵の総大将を射貫いたエリカは勝利の女神ヴィクトリエに準えて、我らの女神殿ヴィクトリエとあだ名を付けられていた。


 メラン卿はそれを最大限に利用している。ウェルテナ傭兵団さえ健在ならば城が落ちることはない、と兵士たちに信じ込ませようとさえしているのだ。


「女神殿に!」


 総大将の号令に合わせて、すべての杯が女神エリカに捧げられる。兵士たちは一斉に酒を飲み干すと、食事を始めた。


「浮かない顔ですな、お嬢」


 宴の最中、傭兵団の古参兵の一人、サディンがカレンにそう声をかける。すでに顔は赤らんでいるが、その声には娘を気遣うような優しさがあった。


「まだ女神扱いが気に食いませんので? いいではないですか、我らの傭兵がこうも信頼されることなどまずない」


「そういう問題じゃない。それに、考えているのはそれじゃないわ」


 不機嫌に腕を組んだまま、エリカが答える。彼女の脳裏ではある疑念とそれを否定する理性がせめぎ合っていた。


 今日の戦いにおいて、帝国側はウェルテナ傭兵団の動きを完璧に読んでいた。そうでなければあの兵の配置は不可能だ。

 そんなことができる将はそうはいない。もし敵に神域の天才がいたのだとしても、ウェルテナ傭兵団の戦術に通じていなければ完全に防がれるというのはありえない。


 この二つを兼ね備えた人物は大陸広しと言えど、一人しかいない。だが、その人物は――、


「女神殿、呑んでおられるかな?」


「……総大将殿」


 兵を鼓舞して回っていたガレル卿に声を掛けられ、エリカは思考を打ち切る。ありえないことを考えても仕方ない、と己に言い聞かせた。


「今日の戦では醜態をさらし、申し訳のしようもありません」


「いやいや、何を言われる。君たちの狙撃がなければ城壁にとりつかれていたところだ。今日は将を射貫くことはできなかったが、敵は君らを恐れている。それだけで百の兵を倒すよりも価値ある活躍と言えよう」


「お言葉痛み入ります」


 エリカから見たガレル卿は決して突出した傑物ではない。しかし、総大将として必要な人徳を備えた人物でもある。こうして自国の兵でも、雇われた傭兵でも分け隔てなく親しく接する度量を持ち合わせている。


 それになにより、余計なことをしない。妙案、妙計を思いつくわけでもないが、讒言に惑わされることも、戦火を焦ることもない。傭兵の身としてはいちいち疑われないというだけでも十分だった。


「君たちには大いに助けられている。この戦が終わり次第、私から王に君たちの功を上奏しよう。貴族になることもできるはずだ」


「それは……どうも」


 もっとも、凡庸であるということは典型的な貴族出身者の枠組みをでないということでもある。そんな人間に傭兵の気楽さを理解しろと言っても土台無理だ。


 特に、ウェルテナ傭兵団は一つ所に留まらずを団の原則としている。このドロア城に半年も留まっているのは団にとっては例外中の例外。特別な依頼がなければとうの昔に別の戦場に移っていただろう。


「団長である女神殿には伯爵位が、主要な団員も騎士卿として――」


「おお、団長! ここにいたか! ログ爺さんが呼んでますぜ!」


「……ああ、わかった。では、ガレル卿、私はこれで」


 実現しない夢を語る総大将に困り果てていると、団員の一人が助け舟を出してくれる。ログ爺さんとはウェルテナ傭兵団内部でのみ通じる符牒の一つだった。


 エリカは宴会場を抜け出して、城壁へと向かう。酒を呷る気分でもなかったし、今は夜風にあたって考えを整理したかった。


「……あの動き」


 遠くにある帝国軍の灯りを見つめながら、エリカは昨日のことを思い出す。


 第三皇女への二度目の狙撃の際、一人の女戦士が邪魔をした。その戦士のみせた身のこなし、戦い方がどうしても引っかかる。

 黒装束と二本の短剣、獣のような殺気。それらが記憶の中にある人物と重なりかけては、感情でそれを否定していた。


 なぜなら、その人物が帝国に着くことはありえない、ありえてはいけないからだ。


「――っ!」


 不意に空を切る矢音が響く。咄嗟に姿勢を下げたエリカの頭上を一本の矢が過った。


 すぐに応戦しようとするが、追撃はない。流れ矢にしても奇妙だった。


「――これは」


 もしやと思い、城壁に突き刺さった矢を見るとそこには手紙が結び付けられている。戸惑いながらも、エリカはそれを手に取った。


 ゆっくりと手紙を開く。そこにはウェルテナ傭兵団にのみ伝わる不調でこう書かれていた。


『今夜、戦場の外れ、砦の跡で待つ。兄より』


 手紙を読み終えると同時に、エリカはそれを破り捨てる。彼女の瞳には怒りとも、悲しみともつかない光が浮かんでいた。


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