第18話 ウェルテナ傭兵団
ウェルテナ傭兵団による狙撃の失敗の直後、ファレル率いる騎兵隊は敵本陣を陥落させた。
すんでのところで総大将であるカデル卿は取り逃がしたものの、軍の統制は完全に崩壊し、ペリシテ軍は敗走した。
出陣した五千の兵の内、三分の一近くの一千五百名が討ち取られるか、あるいは捕虜となった。
これだけの数が討ち取られても戦況から考えれば、少ない被害で済んだと言える。
この幸運は戦場のすぐ背後に逃げ込むことのできるドロア城があったというのもあるが、それ以上にウェルテナ傭兵団の存在が大きい。
彼らによる狙撃を警戒した帝国側は追撃の手を緩めざるをえず、その隙にペリシテ軍は逃げることができた。それでも帝国軍は最大限の戦果をあげたが、野戦の一撃でペリシテ王国軍を完全に粉砕するというファレルとユーリアの思惑は挫かれる形となった。
そうして、残兵の掃討を済ませたころには日はどっぷりと暮れかかってしまっていた。帝国側は勢いを駆っての追撃は断念せざるをえず、夜営の準備に移っていた。
「テレサ! いるか!」
帝国の陣の最後方、怪我人の治療が行われている天幕にファレルが踏み込む。テレサが負傷したと聞いて、矢も楯もたまらず駆け付けたのだ。
「テレサ! どこだ!!」
必死に視線を走らせ、大声を張り上げるファレル。戦場においては臣下の一人として扱う、という体面さえ頭から吹き飛んでいた。
「団長! こっちです!」
天幕の端、そこだけ仕切られている一角からユリアンが出てくる。走り出したくなる己を抑えて、ファレルは仕切りの中に入った。
仕切りの中では、寝台の上にテレサが横たわっている。右肩に巻かれた包帯には血が滲んでいた。
一瞬、我を失いそうになるファレルだが、彼女の胸が上下しているのを見てようやく冷静さを取り戻す。
すでに治療は済んでいる。眠ってこそいるものの、命に別状はないようだった。
「……よく運んでくれた。この寝台もよく用意できたな」
テレサの寝かされている寝台は相当に上等なものだ。同じものがユーリアの天幕にあったのをファレルは記憶していた。
「い、いえ、テレサ殿はここまで自分で歩かれました。寝台の方は、皇女殿下が使え、と」
「……そうか」
テレサが怪我をおして歩く姿は容易に想像できたが、ユーリアが自らの寝台をテレサに与えるのは完全に想定外だった。
だが、今はその気遣いに感謝するほかない。仕切りにしても女性であるテレサにはありがたい配慮だ。
「よ、容体は問題ないです。ど、毒も血清を投与しましたし、そもそも、あまり効いてなかったみたいですけど……」
処置を担当したニーナがそう報告する。本来、戦場の後方で防諜と敵の魔術の感知を担当する彼女が遣わされたのもまたユーリアの計らいだった。
「毒には耐性があるんだ。だが、礼を言う。魔術師殿」
「い、いえ、それより私が敵の念話を感知できていれば……すいません……」
「気にするな。敵に魔術師がいると分かっただけ僥倖だ」
弓による狙撃は、ファレルもユーリアも想定していた。第三軍の将の死因は矢傷だ。情報収集にも政治的な横槍が入ったが、それさえわかれば可能性は絞ることができる。
だが、ここまで正確で、その上、魔術を使っての連携まで使ってくるというのは想定外だ。テレサが押し倒さなければ、ユーリアは今頃冷たい屍になっていただろう。
「……よくやった」
ファレルはそう言って、愛しい眠り姫の頬に触れる。
騎兵で敵を打ち破ったのはファレルだが、今回の殊勲者は間違いなくテレサだ。
そのことが誇らしく、同時に傷を付けてしまったという罪悪感が沸き上がる。煮え立った湯のようなそれをファレルはどうにか飲み下した。
「……ユリアン。騎士団の重装歩兵を集めろ。大盾もできればほしい」
「りょ、了解です」
今までに見たことない主の姿に動揺しながらも、ユリアンは駆けていく。策謀や駆け引きには疎い彼女だが、その実直さをファレルは評価していた。
敵が弓による暗殺を頼みにしているとわかっていれば、対抗策はいくらでも思いつく。
ドロア城に関しても然り。敵は守りを固めているが、一万の兵力があれば、どんな策でも立てられる。
王として、将としては個人的な感情は排除すべきだが、テレサを傷つけた相手に容赦など必要ない。徹底的に叩き潰す、そう決意した瞬間のことだった。
「……若様」
ファレルの拳に、テレサの指が触れる。弱弱しいが、確かな意思がそこにはあった。
「テレサ……!」
「若様……」
その指をとって、ファレルはテレサの側にしゃがみ込む。彼女が目を覚ましたことで少しだけ殺意が薄らいでいた。
そんな主の耳元に、テレサは顔を寄せる。痛みをこらえて、こう告げた。
「――敵は、ウェルテナ傭兵団です」
「……間違いないか?」
テレサは頷き、そのまま意識を失う。忠誠心と愛情のなせる業だった。
「あの……大丈夫ですか?」
「あ、ああ、テレサを頼む。オレは……ユーリアと話してくる」
一方、ファレルは動揺を抑えきれない。付き合いの短いニーナでも一目でわかるほどだった。
そのままファレルは天幕の外に出る。できることなら兜を外して頭を抱え込んでしまいたかったが、どうにか将としての体面は保っていた。
「黒騎士殿! 殿下がお呼びです!」
「……わかった。すぐに向かう」
しかし、考えをまとめる暇もない。
今の自分は黒騎士、第三皇女ユーリアの家臣であり、帝国の帝国の尖兵なのだ、と己に言い聞かせた。
呼ばれた理由はわかっている。ユーリアは明日からの城攻めについて軍議を行うためだ。ファレルにとってはもう一つの家族といってもいいウェルテナ傭兵団をいかにして殲滅するか、その知恵を求めているのだ。
◇
ユーリアがアルカイオス王国を攻め落とす以前、ファレルは祖国の伝統に倣って武者修行に出ていた。
この修行においてファレルは無理やり同行したテレサのみを連れて己が身分を隠して、諸国を漫遊し、傭兵や他国の兵に混じって武術や戦略について多くを学んだ。
その旅において、もっとも長くファレルが最も長くの時間を過ごしたのが、東方辺境域の小国『オスニア』だ。そのオスニアを拠点にしていたのがウェルテナ傭兵団だ。
ファレルは一年オスニアに滞在したが、その間にウェルテナ傭兵団と幾度も轡を並べ、彼等と親しくなった。
そうして、予定の滞在期間を過ぎた後、ファレルは傭兵団の団長に入団を誘われる。
本来ならば断わるべきだったが、傭兵団を気に入ったファレルはその誘いを受け、彼らと共に諸国と渡り歩いた。
その内、戦場で手柄を挙げ続けたファレルは傭兵団内で副団長の座に昇り詰め、団の兵士たちもファレルを慕うようになっていく。団長のカイリアなどファレルを息子のように扱い、跡取りとして見込むほどだった。
それでも別れの時は訪れる。
ファレルがウェルテナ傭兵団に入って二年が経ったころだ。ファレルの父でありアルカイオス王国国王イオレグ三世が病に倒れた。
王の病は重く、ファレルは修業を中断しての帰国を余儀なくされた。
当然、戦力を失うウェルテナ傭兵団としてはとんでもない話だ。だというのに、ファレルから素性を明かされたカイリアは彼を快く送り出した。何かあれば帰ってこい、とそんな言葉まで言い添えて。
それが今から一年半前のこと。よき思い出として埋もれていくはずの記憶だった。
「――それで戦えるのか?」
ファレルの告解を聞いたうえで、ユーリアはあえてそう尋ねた。
残酷なようだが、尋ねたのは彼女なりの気遣いでもある。ファレルの覚悟が少しでも揺らいでいるようなら自分が代わりに前線に立つつもりだった。
「――戦える。策も考えてある」
ファレルの答えは明確だった。迷いも、躊躇もない。彼は確かに修羅の道を歩んでいた。
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