第17話 狙撃手

 黒騎士ファレル率いる騎馬隊の突撃によって、ペリシテ王国軍の陣形は四分五裂となった。

 統制の取れなくなった部隊は四方に分散し、それぞれに敗走している。そんな敗軍の中に、その一隊は潜んでいた。


 ある使命を帯びたその部隊は迎撃にも防衛にも参加せず、ただひたすらその時を待っていた。

 彼らが防衛に参加していれば、あるいは騎馬隊の突撃を制することもできたかもしれない。だが、幾百、幾千の味方の犠牲に比してなお彼らの帯びた任務は重要だった。


 彼ら、ウェルテナ傭兵団の使命は『狙撃』。戦場において敵の総大将を討ち貫くことに彼らはその総力を注いでいた。


『団長、標的見えました』


「こちらでも確認した。全員配置に」


 観測手たる魔法使いの念話を受けて、少女はゆっくりと弓に日本の矢を番えた。大鷹の羽と古樹レテの枝から造られたその弓は三里先の標的を正確に射貫くことができる。


 少女の名は、エリカ・ウェルテナ。褐色の肌に美しい銀髪をなびかせるウェルテナ傭兵団の若き棟梁にして、大陸随一の弓手アーチャーだ。

 

 エリカは今、味方の屍の山に身を隠している。周囲には同じようにウェルテナ傭兵団の団員が身を潜めていた。

 ウェルテナ傭兵団は東方においては名の知られた傭兵団だ。団員には団長と同じ褐色の肌の東方出身者が多く、その弓の冴えは東方一の呼び声も高い。


 そんなウェルテナ傭兵団を若くして、それも女の身で率いるだけあってエリカの弓術は他の追随を許さない。

 三歳で初めて弓を手にして、八歳になるころには空を飛ぶ鷹を射落とし、十五歳の初陣では敵将二人を討ち取った。


 先の戦において、第三軍の総大将であったブライトン卿を討ち取ったのもまた彼女だ。数の有利に任せて攻め寄せてきた第三軍の間隙を縫うようにして、エリカは見事標的を射貫いた。


「……味方の位置は?」


『想定より押し込まれています。ですが、問題はないかと」


「風向きは?」


『東に少し吹いています』


 しかし、今回の戦は前回ほど予定通りに進んでいない。

 今回の敵は第三軍よりも兵数は少ないが、騎兵の勢いが比較にならないほど強い。これほどの短時間で中陣まで食い破られるとは思ってもみなかった。


 味方の犠牲も想定より多い。このままでは負け戦だが、それをひっくり返すためにウェルテナ傭兵団は雇われたのだ。


「――ふぅ」


 屍の山から出ると同時に、息を吐いて、狙いを定める。

 卓越した視力は戦場の混乱の中でも、的を捉えていた。


 黒い甲冑と金色の髪。噂に聞く通り、馬上にありながら五輪の花のような美しさだった。

 アルコン帝国第三皇女、ユーリア・ステラ・マキシマス。彼女こそが今回の侵略軍の総大将だ。

 

「天よ、我が矢を届けたまえ」


 ゆっくりと弦を引く。きりきりと弓が泣き、解放の瞬間を待つ。

 眼前に障害物はない。標的までの進路は開けていた。


 指を放す。二本の矢は空を裂き、標的へと吸い込まれていった。



 風切り音より先に、テレサは動いていた。

 事前にファレルから警戒を厳命され、狙撃の可能性を言い含められていなければ反応は間に合わなかっただろう。


「――っ!」


 地面を蹴って跳躍。そのままユーリアに飛びついて、彼女

の盾になるようにして地面に押し倒した。


「ぐ、なにを――!」


「伏せてなさい!」


 起き上がろうとするユーリアを押さえつけながら、腰の短剣を抜く。そのまま本能に任させて、背後に向かって刃を振るう。その一撃が二本目の矢を防いだ。


 恐るべき絶技だ。

 二本目の矢は一本目の矢と同時に放たれたのにも関わらず、時間差で着弾した。つまり、一本目の矢で射られ、倒れたところにとどめを刺すために射手は二本の矢を射ていたのだ。


「だ、団長! 貴様!」


「違う! 私の周囲を固めろ! 盾で四方を囲め!」


 すぐさま護衛の兵士たちがテレサに刃を向けるが、ユーリアが制する。二本目の矢を見た瞬間に、彼女は状況を察していた。


 テレサがいなければ確実に自分は死んでいた。業腹だが、聡明な彼女は誰よりも先にそれを理解していた。


「盾では……防げません……」


 テレサが立ち上がる。彼女の右肩には一本目の矢が突き刺さっていた。


「……私が追います」


「……構わんが、動けるのか? 毒くらいは塗ってあるだろう、それ」


「おそらく。ですが、私に大抵の毒は効きません」


 そう言ってテレサは一息に鏃ごと矢を引き抜く。右の鎖骨は折れているが、動きに支障にないことを確認すると痛みを意識下に押し込んだ。

 

 この程度のことは王の影としてはできて当然だが、テレサの胆力はその中でも随一。主のためならばたとえ首だけになっても敵に食らいつく覚悟だった。


「……ファレルがお前を傍に置きたがる理由が少しわかったよ」


「ええ。若様わたくしがいなければだめですから」


 テレサの言葉に苛つきながらも、ユーリアは冷静に思考を巡らせる。

 負傷したテレサ一人に敵を負わせるわけにはいかない。しかし、狙撃手を追うために本陣の兵を裂けばそれこそユーリアが危ない。


 どちらの手にも危険が伴う。だが、手をこまねいていれば――、


「――テレサ殿!」


 駆け込んできたのは味方の騎兵、それもファレルの副官を務めていたはずのユリアンだ。

 

「テレサ殿! って大丈夫ですか!?」


「問題ありません! それよりあなた、どうしてここに……」


「団長があなたを探して警戒するように伝えるようにと命じられて」


「……そうですか」


 己が主の慧眼に感じ入りながらも、テレサは前を向く。

 主はこの状況で最善の手を打っている。ならば、臣下としてこれに応えないわけにはいかない。


「では、ユリアン殿。私の手伝いをしてください。狙撃手を追います」


「そ、狙撃手!? 一体どういう……」


「話はあとで。馬を借ります」


 すぐさま馬にまたがるテレサ。馬の扱いも手馴れたものだ。


 駆け出す前にテレサはユーリアに視線を向ける。

 彼女の主はファレルだが、この戦の総大将はユーリアだ。軍を動かす以上は、彼女の裁可を仰がねばならない。

 

「……任せた。それと、私以外に殺されるなよ」


 テレサの意図を察して、ユーリアが頷く。

 総大将として扱うということは配下としてふるまうという意思表示でもある。ならば、信じて用いるのに値する。


「――御意」


 ただ一言そう応じて、テレサは馬に鞭を入れる。

 狙撃手はすでに移動しているが、同じ穴の狢としてその動きは予想できる。


 敵は一度しくじった。だが、それであきらめるとは思えない。敵軍はこの暗殺にすべてを賭けている、ならば必ず二手目を用意しているはずだ。


「続いてください!」


「は、はい!」

 

 馬の首を返して、テレサは戦場を大きく回り込むようにして南側に抜ける。目指すは先ほどまで味方の本陣の置かれていた丘の上だ。


 ファレルの騎兵隊の突撃に合わせて、帝国軍の本陣は前進していた。その本陣を的確に狙い撃てる場所は少ない。ましてや、誰にも見とがめられないように動くとなれば選択肢は少ない。


「見つけた」


 テレサの判断は正しかった。

 丘の上には兵士の一団が陣取っている。帝国軍の旗を掲げ、鎧を着ているが、こんな場所に味方は配置されていない。


「――っ!」


 蹄の音に気付いたのか、頭目と思しき兵士が振り返る。その手には弓が握られ、二本の矢が番えられていた。


 弦から指が離れる。それと同時にテレサは馬の蔵を蹴って、空中へ。

 

 一本目の矢は馬の額を射貫き、二本目は空中のテレサに迫る。

 その回避不能の一撃をテレサは短刀で切り落とした。王の影たる身体能力と技の神髄が神域の一矢を上回ったのだ。


 そのままテレサは狙撃手に対して間合いを詰める。すぐさま次の矢が番えられるが、それよりも先にテレサの刃が届く。


「くっ!」


 一閃。

 狙撃者は咄嗟に弓で斬撃を受け止めるが、フードで隠していた顔が露になった。


「――あなたは」


 露になったその顔にテレサの思考が凍る。その隙をついて、狙撃手は丘から跳ぶ降りる。すぐさまユリアンたちが追撃に移るが、追いつくことはできなかった。


 エリカ・ウェルテナ。ウェルテナ傭兵団団長、カイリア・ウェルテナの娘。かつて轡を並べた戦友こそが狙撃手の正体だった。

 

 

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