第16話 開戦
テレサからの報告通り、城に立て籠もっていたペリシテ軍は平原に布陣した。
その数にしておよそ五千。ほとんどの兵士が城から出ていた。
彼らの陣形は守りの陣形である
定石通りの布陣ではある。彼等の背後には味方の城があり、いざとなれば逃げ込むことができ、攻める敵方には消耗を強いることができる。寡兵で大軍を押しとどめるには最善策といってもよかった。
対する帝国軍が敷いたのは突破力に優れた
両者の陣形そのものに有利不利はないが、その兵数には大きな差がある。
守りを固めるペリシテ王国軍五千に対して、帝国軍にはそれに倍する一万の兵力がある。城の守りを頼みにするのならともかく、正面切っての会戦では兵の数の差はそのまま戦力の差だ。
ましてや、帝国の攻撃の要、千人の騎馬隊を率いるのは黒騎士ファレルだ。その突破力、破壊力は並の騎兵の比ではない。
両者の布陣が終わり、会戦の火蓋が切られたのは十の月の三日、その早朝のことだった。
「――掛かれ」
鋒矢陣の後部に陣取ったユーリアが剣を振り下ろす。その号令に従い、一万の軍勢が地鳴りと共に動き出した。
しかし、その動きはお世辞にも一本の矢のようにとはいかない。訓練の間に合わなかった後ろ側の兵士は明らかに出遅れていた。
それでも、ファレル率いる千人の騎兵、その勢いには凄まじいものがある。
射掛けられる無数の矢にも怯まず、最高速度で守りを固める長槍部隊にまっすぐに突っ込んでいった。
激突の瞬間、世界が割れるような轟音が辺りに響く。
跳ね飛ばされた兵士たちが宙を舞い、胸を貫かれた騎兵が後方へと吹き飛ぶ。次の瞬間には、屍の山が築かれていた。
そんな阿鼻叫喚の戦場で一際輝く黒い雷があった。
「邪魔だ!」
馬上から剣を振るえば、兵士たちの首が飛ぶ。
勢いを弱めようと盾を連ねるものたちを巧みな手綱さばきでかわたかと思えば、そのまま側面に回り込んで陣形を崩す。
あるいは弓で狙われようと、飛来する矢を見もせずに打ち払う。
そうして、彼の進んだ後には敵の屍だけが残される。
まさしく一騎当千。突出した武の冴えはわずかな間でペリシテ兵に恐怖を刻み込んだ。
これこそが黒騎士ファレルの戦い。策謀を巡らせるだけではなく個人の武においても彼は並の将とは一線を画していた。
すぐに敵兵たちは、ファレルを遠巻きにするようになる。ここは自分たちの領域であり、圧倒的な数の優位があると分かっていてなお、彼等はファレルの間合いに踏み込めないでいた。
「殿下! ご無事で!」
「殿下と呼ぶな! 遅いぞ!」
そうして生じた空白地帯に、遅れてユリアンと元アドワーズ騎士団の面々が追いつく。
彼等も決して愚鈍なわけではない。ファレルがあまりにも早すぎるのだ。
ファレルの突撃でペリシテ軍の第一陣は混乱に陥っている。半年前にはさらに大軍である第三軍の突撃を受け止めたペリシテ軍だが、ここまでの威力は彼等も想定していなかった。
勝機だ。この状況ならば、好き放題に敵陣を荒らしまわることができる。
「それで、殿下! ここからは!」
「殿下じゃない! このまま進んで、敵の中陣を崩す! その後は先陣で門を抑える!」
「はい! お供いたします!」
ファレルが鞭を入れ、その背中に向かって千騎の騎兵が続く。
そのうち半分はアドワーズ騎士団で共に調練を受けた面々だが、残りは今回集められた傭兵たちだ。
彼らも戦の玄人ではあるが、大軍で戦うという経験は少なく、また自分たちの傭兵団以外の見方と連携するという意識も薄い。
そんな彼らが曲がりなりにも軍として行動できるのはファレルの存在あってこそだ。自分の背中を追いかけろ、という単純明快な指示と指揮官先頭を徹底する黒騎士の後ろ姿が彼らを動かしていた。
ファレル率いる騎兵隊による二度目の突撃はペリシテ軍側の陣形を大いにかき乱し、彼等の指揮系統を無残に引き裂いた。
戦況は帝国側に大きく傾いている。このまま戦えばペリシテ王国軍は間もなく敗走するだろう。
勝利までは、もう一押し。ファレルの直感が警告を発したのは、そんな時だった。
「どうされました!?」
突然馬の足を止めたファレルの下に、ユリアンが追いつく。ほかの騎兵たちも事前の指示通りにピタリと足を止めた。
「……こちらの損耗は?」
「おそらく十騎ほどかと。これも団長の指揮の賜物です!」
「十騎……」
これだけ駆けまわって損害は十騎程度。いくら突撃が成功しているとはいえ、あまりにも損害が少なすぎる。普通の戦ならばありえない数字だ。
ペリシテ軍側とて遊んでいるわけではない。長槍での防御も、側面からの矢も十分に機能している。騎兵の突撃こそ止められていないが、足止め程度には――、
「――ユリアン、伝令だ。五十騎連れて、本陣に走れ」
「はい?」
「いいから行け! テレサを見つけて警戒を強めるよう伝えろ!」
「は、はい!」
すぐさま駆けていくユリアン。
すべて杞憂であればという思いも過るが、ファレルの直感は敵の奇策を確信していた。どれだけ戦況が優勢であっても、総大将に万が一のことがあれば戦は負けだ。
ファレルの隊は敵陣の奥深くまで食い込みすぎている。今から踵を返したとしてもその時には手遅れになっているだろう。
ならば、本陣を守っているテレサとユリアンを信じるしかない。
「体勢を立て直すぞ! このまま敵の本陣を目指す!」
ファレルの号令に騎兵たちは「応!」と答える。士気は旺盛だ。ここまで駆け抜けてきたことで即席の騎兵隊に自信が生じていた。
この状況でファレルたちにできるのは、前進のみ。敵が味方の本陣を狙うならば、それより先に敵の本陣を陥落刺させるだけだ。
◇
ファレルが騎兵を止めたのとほぼ同時刻、馬上にあるユーリアもまた同じ違和感を感じていた。
彼女のいる帝国軍の本陣は鋒矢陣形のほぼ中心にあり、ユーリアは戦場全体に目を配り、的確な指示を出していた。
「歩兵を押し上げて黒騎士の隊の左右を固めさせろ。敵に囲ませるな」
「はっ!」
指示を受けた伝令が馬を駆っていく。
戦況は帝国に傾いているが、やはり、軍の練度の不足は否めない。先ほどの指示にしても本来ならば部隊単位で判断すべきことだ。
ほかにも陣形の乱れや味方間での連携の欠如、報告の遅れなど問題点はいくらでもある。
だが、全体では勝っている。ファレルの突撃が見事というのもあるが、期待していなかったほかの部隊も善戦していた。
しかし、それが余計にユーリアを悩ませる。ペリシテ軍がこの程度ならば第三軍が負けるはずがない、その事実が棘のように彼女の思考に引っかかっていた。
「――なんだ、メイド。人の顔をじろじろ見て」
ふとユーリアは自分に向けられた視線に気づく。視線の主は彼女の背後で影のように気配を殺していた。
「いえ、なんでも」
「は! なんでもないがないだろう! 私の首でも狙っているのではないか? 戦場であれば後ろから刺すのは容易だしな」
我ながら大人げないと思いつつも、ユーリアはテレサを
「……貴方様の命を狙うなら、ほかにいくらでも機会はあります。若様がお許しなるなら、それこそいつでも」
対するテレサもユーリアが相手であれば遠慮はしない。護衛を命じられていながらも、殺意を隠す気は一切なかった。
「は! それなら永遠にその機会は――」
勝ち誇った顔で、ユーリアが言い返す。その瞬間、鋭い矢音が戦場に奔った。
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