第15話 出陣

 明けて二十五日、黒百合騎士団の出陣は予定通りに行われた。

 その兵力は、アドワーズ騎士団を加えて九千五百名。行軍中に加わる諸勢力の兵を合わせれば、一万を超える大軍勢となる。


 目指すは南部辺境域、ペリシテ王国だ。


 軍を率いるのは、血溜まり皇女の異名をとる第三皇女ユーリア・ステラ・マキシマス。帝国の象徴たる黒い鎧をまとい、すぐそばには懐刀たる黒騎士が轡を並べていた。 


 戦地までは約七日の行軍だが、カラール商会の協力もあって兵站や装備について不足はなく、騎士団は何の支障もなく南のゴルド山脈を越えた。


 彼らが布陣したのは、第一の目標と定めたドロア城から少し離れた小高い丘の上。前方には大軍が展開可能な平原が広がり、戦にはうってつけの地形だった。


 本陣が置かれたのは、丘の頂上。その天幕の中に、総大将たるユーリアがいた。


「――疲れた」


 甲冑を外し、靴まで脱いで、寝台の上に身体を投げ出している。

 向かい側には黒騎士、ファレルが天幕の柱に背を預けている。律儀にも兜は被ったままだ。


「大した行軍じゃない。疲れるのはこれからだぞ」


「うるさい。誰かさんが勝手に御用商人を決めたり、兵を増やしたりしたせいで気疲れしたんだ」


 痛いところを突かれてファレルは気まずそうに唸る。

 実際、今回の一件に関してはファレルはユーリアに対してかなりの無理を通した。カラールの件に始まり、アドワーズ騎士団についても普通の臣下ならば、謀反を疑われてもおかしくない行為だった。


 それをユーリアは呑み込んでみせた。もちろん、それが必要なことだったと理解しているというのもあるが、彼女の度量がそれだけ広いということでもある。


 もっとも、度量が広いからといって、感情的に処理できているかといえばまた話は別だ。この七日間の行軍中、ユーリアの機嫌はすこぶる悪かった。


「あーあ、馬で揺られたせいで、足と腰ががちがちだなー。誰か揉んでくれないかなー」


 白々しく言いながら、ファレルに視線を向けるユーリア。彼女にしてみれば当然の要求だった。


「オレは使用人じゃない」


「ああ、でも、周りからは私の愛人だと思われてる。愛人ならその程度のことはしてくれると思うんだけど? 愛してるんだし?」


「あのな……」


 言い返そうとして、ファレルはあることを思い出す。

 ユーリアは自分の命が狙われていることを知らない。しかも、それを黙っている理由は暗殺の首謀者が妹であるカトレアだからだ。


 負い目ではある。いくら発端がユーリアにあるといっても、騎士としての道理を己の感情で曲げるのはファレルにとってはあってはならないことだ。


「……わかった」


「? やけに素直だね。まさか――」

 

 ファレルが足に触れる直前、ユーリアは眉を顰める。彼の性格上、素直に言うことを聞くなどまずありえない。

 となれば、何かあると考えるべき。その程度のことに気付くのにユーリアならば一瞬で十分だった。


「――またほかに女でも作ったのか?」


「……いや、それはない」


「どうだか。君は自覚なく女を口説くからな。そういう意味では、私も被害者の一人と言えるか.。この女たらしめ」


 そう言いながらもユーリアはその脚をファレルに預ける。彼の指がふくらはぎに触れると、彼女は熱のこもった声を漏らした。


「す、少し強いよ。あ、でも、そこいい……」


 ファレルが指を動かすたびに、ユーリアが喘ぐ。声だけ聞けば万人が事に及んでいると認識するようなわざとらしさだった。


「……それで、オレの作戦でいいのか?」

 

 この後の修羅場について考えないようにしながら、ファレルが尋ねる。

 出陣前に大まかな方針を立ててはいたものの、行軍中にそれを煮詰めるだけの時間がなかった。


「平原に誘い出し、て、会戦で、叩き潰す。うん、私も好きだよ、分かりやすくて。問題は――」


「どうやって釣りだすか、だな」


 ユーリアの脚を解しながらも、ファレルは思考を巡らせる。

 籠城している敵をどうやって誘い出すか、はこの作戦の肝だ。だが、基本的なことだからこそそれを実現するのには困難が伴う。


「ドロア城は堅城だ。正面から力攻めするにはこっちの兵が足りない。囲むにしても先に音を上げるのはこっちになる」


「抜け道の類は? 兵さえ入れられば有利なのはこっちだ」


「今探させてる。望み薄だがな」

 

 ドロア城の周辺については、先行していたテレサが三日前から偵察を行っている。

 その彼女からはまだ有益な報告は上がってきていない。何らかの隠し道があるならばもう見つけていてしかるべきだ。


 となれば、別の策で敵を引きずり出すしかない。


「敵は勢いに乗ってるはずだ。第三軍を破ってから半年も経ってないからな」


「ふむ。誘いには乗ってきやすいだろうね。第三軍の将が討たれたのも会戦でだ。あちらとしても会戦は悪くない選択肢のはず」


「そこがこちらの勝機だ。相手は寡兵だが、勝てると思っている。そこに付け込む」


 ファレルとユーリアの結論が一致する。そうなれば後は細かな作戦を煮詰めるだけだ。


「とりあえず、軍を動かすか。平原を抜けて、山を越えるそぶりを見せればやつらとしては動かざるをえない」


「それで動かなければどうする? 一端の将ならこっちの意図くらい見抜くと思うが」


「その時は山を越えてしまえばいい。後背の街を抑えてしまえばあの城は無意味だ」


 ドロア城は国境を守るための城だ。そのため普段から三千人の兵士が詰めているが、現在は増員して五千の兵士が立て籠もっている。

 城自体も大砲の砲撃に耐えられるほど堅牢で、兵站は後背にあるコタンの街から常に供給されている。ここ二十年、帝国は攻勢を続けているが、いまだにこの城を突破できていない。


 だが、ファレルの言う通り、一か所を守るための城はそこを迂回されてしまっては城自体が意味を無くしてしまう。

 無論、険しい山道を踏破するのには相応の危険が伴うが、その可能性があるというだけで城方には脅威。その動きを見せた時点で対応せざるをえなくなる。


「――まずは動いてみて、か。上策とは言えないが、他に手もない」


「だいたいいつもそうだ。お前が関わるとなんでもめちゃくちゃになる」


 「痛っ」と悲鳴を上げるユーリア。ファレルの指は太ももに達していた。

 

 ユーリアと出会って以来、ファレルの人生は何一つとして順調には進んでいない。


 亡くなった父に代わって王位を継ぐはずが顔さえ晒せない黒騎士になり、黒騎士になってからも次々舞い込んでくる厄介ごとに対処をし続けている。

 しかし、なにより、そんな日常に充実を感じている己がファレルには忌まわしかった。


「――初めて会った時のこと、覚えてる?」


 そんなファレルの内心を察してか、顔を伏せたままユーリアが言った。


「十年前の、帝都での晩餐会だ。それがどうかしたか?」


 即答するファレル。その日のことは彼の記憶にも焼き付いていた。


 当時、ファレルの故国アルカイオス王国はアルコン帝国の属国だった。そのため、年に一度行われる夏至の晩餐会にアルカイオス王国の王族も招かれていたのだ。


 その晩餐会で起きた事件をきっかけに、ユーリアは血溜まりの皇女と呼ばれるようになった。


「あの時、私は君を見初めた。一目惚れだった」


 ファレルの手が止まる。


 晩餐会でのユーリアはほかのどの皇族、王族よりも輝いていた。まさしく花か、宝石のようだった。

 それが運の尽きだった、ファレルは己の運命をそう結論付けていた。


 だが、それでも、なにもかもが無になったわけでは――、


「私を恨めばいい。君の不幸はすべて私が――」


「――若様」


 テレサの声が響く。黒い装束を着た彼女はいつの間にか天幕の中に姿を現していた。元王の影の技量をもってすればこの程度は容易い。


「どうした?」


 それをユーリアが見とがめるより先に、ファレルが尋ねる。テレサは顔を伏せたまま、こう答えた。


「城方に出陣の動きがあります。明日の朝には布陣を終えるかと」


 願ってもない急報に、ファレルとユーリアは顔を見合わせる。本来ならば喜ぶべきことだが、二人の脳裏には同じく何故という疑問が浮かんでいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る