第12話 王子と商人
「――つまり、彼と私は、十年来の友人であり、敵であり、取引相手というわけさ」
ファレルとニーナを応接間に通したかと思うと、覆面の商人カラールは聞いてもいないのにそんなことを語り始めた。
「初めて会ったのは、そう三年前だ。その時は黒騎士君はまだ黒騎士ではなく、私は今と変わらなかったのだが、二人とも性格はそう変わらなかった。ああ、でも、名前は違ったかな。君は、武者修行中だったからいかにも怪しいトーリンとかいう偽名を――」
「その話はいい。昔を懐かしみたいならほかでやれ」
対するファレルも兜をかぶったまま、そう話を切り上げる。
両者ともにこれから商談という態度でも風体でもないが、使用人たちは何事もないかのように紅茶とお茶請けを用意していた。
「君はいつも短気だ。おまけに不機嫌だ。いや? 昔はそうでもなかったか? それにあの怖いメイドも連れてないじゃないか? 代わりを用意してあげようか? 高くつくけど」
「黙れ。テレサは別の仕事だ」
「誰もあんな化け物がちょっとやそっとで死ぬとは思ってないよ。それより、私はワクワクしてるんだ。君がとうとう私を頼ってくれるなんて! 本当に切羽詰まってるんだね!」
楽し気に笑うカラールにファレルは心底憎々し気に唸る。
状況が危ういのは事実だ。この場所を尋ねている時点でそのことは隠しようがない。交渉相手に弱みを見せるな、という大前提はすでに損なわれていた。
「では、商談だ! 何が欲しい、と言いたいところだが、先にそちらの魔法使いちゃんを紹介してくれるかな?」
突然水を向けられ、ニーナの表情が強張る。一目で魔法使いと見抜かれるなど今まで尋ねた商家ではなかったことだ。
「しかし、魔法を使って間諜とは……私もこうして目にするまでは思いつかなかった。そもそも魔法使いが希少というのもあるが……いや、流石だ。神殿に籠城する男に怖いものはないな」
「お前に通じると思うほど馬鹿じゃない。だが、オレたちが手に入れた情報にはお前も興味があるはずだ」
「当然! 君からあの骨董品どもの悪巧みを聞けるなんて蒼い月と朱い太陽が同時に昇るようなものさ!」
望外の喜び、という意味の異教徒の諺を引用するカラール。今か今かとファレルが話を始めるのを待っているが、そんなカラールをファレルは制する。
「先にこっちの要求を聞いてもらおうか。それか、先に証書を書くってんならそれでもいいが」
「ふむ。道理だな。それで、いくら欲しい? 入用なんだろう? 第三皇女殿下は」
「……耳が早いな」
今度はファレルが舌を巻く番だった。
カラールの情報網が大陸全土に及んでいることは分かっていたが、敵地である帝都でもこれほどの速度で情勢を掴んでいるとは想定外だった。
「まあ、これに関しては君の責任だね。だって、君がそんな兜を付けて仕えてる女だよ? 親友としては見張らざるをえないさ」
「……事情が分かっているなら、それでいい。いくら出せる?」
そう聞かれて初めてカラールは大げさに、顎に手を当て、足を組んで考え込み始める。ファレルにしてみれば無意味な
「……うちも最近はいろいろ厳しくてね。そうだな、これくらいなら私の裁量で出せるかな?」
カラールはそう言うと指を五本立てる。一本、帝国の通貨で100万ソルドとして500万ソルドまでなら出せるということだった。
500万ソルドともなればかなりの大金。帝都の中央通り沿いに屋敷を立ててもまだ余る程度の額だが、一万の兵士をかき集め、その装備を整えるとなれば全く足りない。
「オレを値切る気か? 倍出せるだろ」
「おいおい、無茶言うなよ。ただの情報に1000万も出したら、私は次の集会で首になるよ。ああ、この場合は例えじゃないよ。実際に長老たちに首を刎ねられる」
「じゃあ、逆に長老どもの首を刎ねられるようにしてやる。だから、今回の情報と合わせて2000万出せ」
「無茶苦茶言うなぁ! どう思う、魔法使い君! これが久しぶりに会う親友に頼みごとをする態度なのかなぁ!」
ニーナに助けを求めるカラールだが、彼女は事前にファレルから何があっても口を開くなと命じられている。不用意に言質を与えないためだ。
「本当に長老たちの首を刎ねられるなら、1200万払ってもいいが、そんな質種が君にあるのか?」
「1400万だ。ガルア渓谷と南部辺境領を抑える。ここまで言えばわかるだろ。南部からの交易路をお前に任せる」
「1250万。本当にできるのか? それに第三皇女を説得できるのか? 彼女には彼女の計画があるんじゃないか?」
「1300万。オレが説得する。全部計画通りにいけばお前は皇帝の御用商人。これでも格安だ」
今度こそ口を挟みたくなるニーナだが、彼女は律儀にファレルの命令を守っている。
ガルア渓谷は交通の要所。その地の利を活かした南部蛮域との交易は莫大な利益を生む。ユーリアが最初の領地としてガルア渓谷を選んだのはそれを見込んでのことだ。
ゆえに、その販路を管理する御用商人は慎重に選ばなければならない。いくらファレルがユーリアの腹心と言っても一存で決められることではない、はずだ。
だが、ファレルはあえてそれを口にした。切り札を切ったのだ。
「確かに魅力的な先行投資ではあるが、空手形だ。その未来が実現する可能性はあまりにも低い」
「このままならな。だが、お前がいる。オレが
今度こそカラールが言葉を失う。信頼を通り越して他人の金で賭け事をするような厚顔無恥さだった。
そもそもカラール商会は大陸全土に版図を広げる新興の商会だが、所詮は新興の商会に過ぎない。その影響力には限りがある。
それを理解したうえで、ファレルはカラール商会を最大限に活用すると宣言した。傲岸不遜そのもののような発言だが、彼にそれを実現するだけの能力があることをカラールは知っている。
「……まったく君は変わらないな。出会った時から変わらずに傲慢で、無茶苦茶だ。まあ、私も人のことは言えないか」
「ああ。お前はオレと同類だ。やれるかもしれないと思ったら、やらずにはいられない。どれだけ無謀でもな」
カラールが大きく頷く。理性は警戒しているが、期待感に胸が躍る。商会内の長老たちだけではなく、ふんぞり返る他の商会のお歴々を傅かせるなど想像するだけで頬が緩むというものだ。
「……もし、無理だと判断したらその時点で手切れだ。君の命くらいは買ってあげてもいいけどね」
「それでいい。こっちもお前らが邪魔になれば切り捨てる。オレたちはそもそもそういう関係だ」
「よろしい。1300万、君らに融資しよう。百倍にして返してくれよ?」
カラールとファレルが握手を交わす。商談は成立だ。正式な契約はまだだが、互いに一度発した言葉を覆すような相手でないことは確信していた。
「あ、忘れるところだった。集めてきた情報と君の推測を聞いておかないとね」
そうして、さもついでと言わんばかりにカラールはそう尋ねる。情報の確度を疑ってはいなかった。
「三日後に西の街道、アレンソナの宿場を通り過ぎるあたりでお前のところの隊商を襲う気だ。数はまあ、多くて五十人規模。大半が素人同然の傭兵だろうな」
「ふむ。ずいぶんと舐められたものだ。まあ、実際護衛をつけていないからそれでいいんだがね」
カラールが指を鳴らす。そうすると応接室の扉を開けて、顔を隠した使用人が現れる。彼らの言語で二言、三言言葉を交すと使用人は音もなく下がった。
「よしよし、これで対処は完了だ。金はいつまでに用意すればいい?」
「一月だ。それまで領収書を切りまくるから支払いは任す」
「早速財布扱いじゃないか! ひどいぞ!」
カラールが叫ぶ。聞いているニーナにしてみれば、1300万ソルドもの大金を一月という短期間で用意するほうが無理難題に思えたが、仮面の商人にそれを気にするそぶりはなかった。
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