第11話 王子と魔法使い
帝都アルコン、中心街。帝城の真下にあり、貴族と大商人たちが居を構える政治と経済の中心地、目にいたいほどの華やかさを旨とするその場所におよそ似つかわしくない人影が一つある。
紺色のローブで顔を隠し、樫の杖を携えたその少女の名はニーナ・ウェルチ。帝国魔術院の魔法使いであり、噂の第三皇女ユーリアの宮廷魔術師の一人だ。
彼女は人を待っている。遠慮なく向けられる好奇の視線を意識の外に追い出して、瞼を閉じて瞑想していた。
ここに彼女を呼び出したのは、あの
考えどころか、表情さえ読めない主の腹心。その得体の知れなさ、恐ろしさは素顔を知った今でも変わらない。むしろ、その実力、策略を目の当たりにした今では恐怖心は増大さえしている。
それでも、この呼び出しに応じた理由はニーナ自身にも分からない。怖いもの見たさの好奇心か、あるいは
太陽は中天を過ぎた頃、待ち合わせの時間は正午だったはずだが、すでに半時ばかりの時間が過ぎていた。
「――ここにいたか」
そんなことを考えていると、
「こっちだ。ついてこい」
「あ、あの」
ニーナの呼びかけを無視して、ファレルは中心街の西側、商家の屋敷が立ち並ぶ区画に進んでいった。
仕方なくニーナも後ろを付いていく。先ほどまで向けられていた好奇の視線はもはや刺すようなものに変化していた。
「……ここだな」
ファレルが立ち止まったのはある商家の前だ。
大貴族のそれにも劣らない壮麗なこの屋敷は帝都の大商人の中で最も歴史が古く、名声も高いメリオン家のものだ。
だが、メリオン家は代々聖神教の信徒だ。帝国との関係は良好とは言えない。そんな場所に何か用事あるとは思えない、ましてや、魔術が必要になるとは思えなかった。
「『梟の耳』は使えるな?」
ファレルが尋ねた。
梟の耳は初歩的な魔術の一つで、聴力を強化して遠くの音を拾う魔術だ。便利ではあるものの研究を本業とする魔法使いの間では、軽視されがちな魔術の一つでもあった。
「つ、使えますけど」
「なら、使え。発動させたままオレの後ろについてこい。オレの話していることも部屋の中の会話も聞かなくていい。その代わり、外で聞こえる会話を覚えろ。特に、日にちと場所は絶対に記憶しろ。いいな?」
「は、はぁ」
指示の意味を理解できないまま、勢いに押されてニーナは頷く。
なぜそんなことを命じられたのかは理解できないが、指示の内容そのものはそう難しくない。時には百冊以上の巻物を一言一句違わずに記憶しなければならない魔法使いにしてみれば、十数人単位の会話を記憶する程度は容易だ。
「気張れよ。お前の肩に主人の命がかかってると思え」
発破をかけられ、怯えながらも頷くニーナ。何が何だかわからないが、すべきことだけははっきりとしていた。
◇
結果としていえば、メリオン商会を筆頭とする商人たちとファレルの交渉は難航した。
社交界の華、旧アルケイデン王国王女の親書を携えているとはいえ、顔も見せない黒騎士を信用するほど商人たちは甘くない。
面会こそできたものの、本題に入ると言葉巧みに要求をかわし、曖昧な物言いではぐらかし続けた。
その間もニーナは指示された通り、屋敷内の他の会話を拾うことに集中していたが、それでもわかるほどに交渉はうまくはいっていなかった。
一方、当事者であるはずのファレルの心情は窺い知れない。兜の下の顔が焦っているのか、怒っているのか、あるいは落ち付いているのかさえ、ニーナにはわからなかった。
そのような状態のまま、二人は半日足らずで五つの商家を回りすべてから融資を断られた。
いい加減、連れまわされているだけのニーナも危機感を抱く。ファレルが口を開いたのはそんな頃合いだった。
「こんなところでいいだろう」
「え? でも、全部断られたんじゃ……」
「それでいいんだ。もともと本命は次だけだ」
「ほ、本命……?」
困惑するニーナを他所に、ファレルは馬車を呼び止める。それも皇族や貴族が使う御用車ではなく帝都内の辻馬車に彼は乗り込んでいった。
慌ててニーナも乗り込む。馬車は中心街から離れて、平民や外国人が利用する市場の方へと向かっていった。
「あ、あの、どこに?」
「商家だ。決まってるだろ」
「でも、こんなところに商家なんか……」
「新興の家ならある。まあ、少し癖はあるがな」
「じゃ、じゃあ、それが本命なんですね」
「そういうことだ」
それだけ言ってファレルは黙り込む。兜越しの視線は何かを促しているようだった。
少し遅れて、ニーナはその意図に気付く。同時に、ファレルが自分に魔法を使って何をさせようとしていたのかも分かった。
「……最初のメリオン商会では、南方方面軍の撤退について話してました。小麦が値上がりする前に買い占めるって」
「……ほかには?」
自分の意図を察したニーナに驚きながらも、ファレルは先を促す。
得られた情報の内、何が有用かを判断するのはファレルの仕事だ。それを理解して事実だけを述べるニーナの姿勢も彼には好ましかった。
ファレルがニーナに、梟の耳を使うように命じたのは情報を集めるためだ。。
商家の屋敷内の会話であれば大半の場合は商いに関連しているはず。その中には当然、商いだけではなくあらゆる使い道のある有益な情報が含まれている。それを拾い上げ、後の交渉の材料にしようというのだ。
「――商家で聞いた話は以上です」
「わかった。よくやった。使える情報だ」
ニーナの報告を聞き終えて、ファレルは満足げに頷く。
五つの消火で行われていた会話はそれ一つ一つではそこまでの勝ちはないが、繋ぎ合わせて考えれば一つの像を結ぶ。その像はこれから会う交渉相手を指し示していた。
「…………満足していただけたようで何よりです」
兜越しでもわかるほど上機嫌なファレルに対して、ニーナは皮肉を口にする。彼女にしては珍しく、態度にも現れるほどに感情を乱されていた。
「なんだ? 馬車にでも酔ったか?」
「……なんでもありません。ただ…………」
怒っているのは確かだが、自分でもその原因が分からずニーナは言葉を濁す。
尊き魔法を盗聴の手段として使われたことに憤っているのか、それとも最初から命令の意図を知らされていなかったことが信用されていないように感じられて拗ねているのか。どちらにも思えるが、後者であるとは認めたくなかった。
「……魔法も手段の一つだ。低く見ているわけじゃないし、奇跡として崇めるつもりもない。オレは少なくともそう思考している。これはお前の主も同じだ」
「…………わかってます」
そんなニーナの心情を察してか、ファレルが言った。
彼やユーリアのような人種には魔法であれ宗教であれ、あるいは血の繋がりでさえ数ある手段のうちの一つでしかないというのは紛れない事実だ。
一つの道を志し、それに身を捧ぐ魔法使いとは真逆のあり方だ。だが、そのことにニーナは不思議と不快感は覚えなかった。
「それに、お前を信じてないわけじゃない。ただ盗聴しろと命じれば、後ろめたさや緊張が表情に出かねない。そのことを考慮しただけだ」
「……分かりました」
続く言葉も理屈として納得はできるが、心の裡を見透かされているような気分の悪さはある。
しかし、それも一瞬のこと、この黒騎士は恐ろしいが同時に憎み切れないがある。ある種の魔法だろうか、とニーナが勘繰りたくなる不可思議さだった。
「着いたな」
馬車が止まる。御者が扉を開けると、そこには奇妙な人物が立っていた。
「やあ、よく来てくれたね! 僕の親友!」
その人物はにこやかな笑い、二人を歓迎する。
奇妙なベールで顔を覆い、西方の異民族の伝統衣装をまとったその人物の名はカラール。帝都に進出した新興の商会の一つで、禿鷹の名で蔑まれるカラール商会の会頭だった。
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